薔薇色の人生。

夕藤さわな

第1話

 薔薇色の人生とはどんなだろうと考えてみたんだけどいまいち思い浮かばなくてね。とりあえず庭付きの家を買って、その庭を薔薇で埋め尽くす人生はどうだろうかと考えたんだ。その庭を眺めるときにキミが隣にいてくれたらうれしい。とても。


 大真面目な顔でそんなことを言って結婚を申し込んで、本当に庭付きの家を買って休日に庭づくりを始めて。せっせせっせと薔薇の手入れをして、本当にこの庭を薔薇で埋め尽くしてしまう。

 そういう人だったのよ、あの人。

 顔に似合わずというか。表情に似合わずというか。ロマンチストだったのね、きっと。


 あの人が手入れをしていた頃は本当に見事だったのよ。一年中、色んな種類の薔薇が咲き乱れていた。本当に咲き乱れていたって言葉がぴったりなくらい。

 あの人が死んで私が手入れするようになってからはそこそこ。

 ここしばらくはほったらかしで様子を見に来ることも出来ていなかったけど……薔薇って強いのね。ちゃんと咲いてる。手入れしていた頃よりずいぶんと小ぶりだけどこれはこれで可愛いわ。


 あの人が死んでからどれくらい経つのかしら。二十……六、七……八年くらい? ダメね、自分の年令と同じ。ちゃんと思い出せない。

 あの人もね、肺がんで死んだの。最後の方は骨や脳にも転移していてね。痛い痛いって。それがそのうちに死にたい、死なせてくれって。

 お見舞いに来た人もお医者さんも看護師さんもそういうことを言うあの人を否定するの。そんなこと言っちゃダメだって。

 そしてね、私に言うのよ。本心では生きたい、死にたくないと思っているんだよって。だから、励ましてあげてねって。


 そうね、でも違う。

 生きたい、死にたくない。でも、こんな痛い思い、辛い思いにはもう耐えられない。いつまで続くかわからない、死ぬまで続くだろう痛い思い、辛い思いを終わらせてほしい。終わらせるために死にたい、死なせてほしい。

 そういうことなのよね。


 いいえ、お医者さんも看護師さんも、お見舞いに来た人たちだってわかっていたのかも。わかっていて、それでもどうすることもできないからあんな風に言ってた誤魔化してたのかもしれない。


 でも、お医者さんも看護師さんもお見舞いに来た人たちもきっとわかってない。知ってはいるけど、きっとわかってはいないのよ。

 鎮静剤を打ってもらえば苦痛は緩和されるけど緩和されるだけ。和らぐだけ。激しい痛みではないけれどにぶい痛みは続く。いっそ夢の世界にでも逃げられたらいいけど眠れないのよね。私もこうなってやっとわかった。

 夜が長くて怖い。一日が長くて怖い。耐えられないほどではないけれど、これがいつまでも続くんだろうって思うと――死ぬまで続くだろうとわかるとそのうちに耐えられなくなる。耐え難くなる。

 生きたい、死にたくないと耐えられないの天秤。ふらふら揺れていた天秤がある日、ガターンと傾くのよ。勢いよく。


 ロマンチストな人だった。

 死にたい、死なせてくれなんて言葉選び。あの人らしくないのよ。あの人らしくないあの人がいつまでも心の中に残ってる。


 私ね、ひどいのよ。一度だけあの人の首に手をかけたことがあるの。あんまり死にたい、死なせてくれって言うから見てられなくて。

 でも、だめだった。

 その時のあの人の顔が忘れられない。首に手をかけた時のほっとした顔。首から手を放した時の谷底に落とされたような顔。

 今でもあの時の罪悪感がしこりのように残ってる。あの人を殺そうとした罪悪感。あの人を裏切って絶望させた罪悪感。


 あの人が死ぬ前の日にね、お医者さんが言ったのよ。もう長くないだろうって。もし希望するならよく眠れるお薬を出せるよって。

 持続的な深い鎮静……というのかしら。それ。

 痛い思い、辛い思いの終わりがやっと見えたからかしら。あの人、急にぱっちりと目を開けて久々に聞くようなしっかりした声で言ったのよ。


 病気の時の僕のことはどうか忘れてほしい。

 こんな苦しくて怖い思い、キミはしないで済むように先に逝ってお願いしておくからね。


 最後の最後にちょっとだけあの人らしいところが、あの人らしい言葉が出たのよ。

 あの人のその言葉がなかったら私、きっとこういう選択をできなかった。私だけ楽をするなんてって。罪悪感で選べなかった。


 ***


「――この庭を死に場所になんて、選べなかった」


 ご自宅のお庭に入るなり村瀬さんは饒舌に話し始めた。薔薇を見ようと顔をあげ、首を伸ばす村瀬さんを見て、すっかり倒していたリクライニング式の車椅子の背もたれを起こす。


「なんて言う名前だったかしら。困ったわね。昔はちゃんと覚えていたのに。あの人の好きなバラの名前。薔薇色らしい薔薇色なのよ。ピンク色というか、薄紅色というか……なんて言う名前だったかしら。その薔薇がね、この時期にきれいに咲くのよ。春のこの時期に」


 ぐるりとあたりを見まわす。背の高い雑草とともにあちこちに枝を伸ばした薔薇たち。小さな花があちこちに咲いて凛とした強さを感じる。


「あの人が生きていた頃にこういう選択ができていたら、きっと、あの人はあんなこと言わなかったんじゃないかって思うの。だって、あの人。顔に似合わずというか。表情に似合わずというか。ロマンチストだったから」


 死にたい、死なせてくれ。

 確かにその言葉はロマンチックな言葉ではない。


「きっと、そうね。僕が好きなあの薔薇が咲くまで頑張るから、春になったらあの庭で僕のことを見送ってくれないか、とかかしら。ええ、きっとそう」


 赤、ピンク、黄色、オレンジ、紫、白……。いろんな色の薔薇が咲いているけれど村瀬さんの旦那さんが好きだったという薔薇色の薔薇とはどの薔薇だろう。村瀬さんは見つけられたのだろうか。

 わからない。


 ただ――。


「私たち夫婦に子供はいなかった。あの人ももういない。だからね、代わりに私のことを見送ってくれるかしら」


 村瀬さんはそう言って穏やかに微笑んでいる。


 積極的安楽死が法制化されて一年ほどが経つ。政治家や有識者とやらがどれだけ綺麗ごとを並べても法制化された理由は医療費削減と人手不足だ。

 医療関係者や介護関係者から安楽死を口にし、すすめているという話は今のところ聞かない。少なくとも私の耳には入ってきていない。それでも法制化が決まった時にニュースで散々に騒がれた。知っている患者や家族は多い。安楽死について聞かれる機会も希望する人も少しずつ増えている。


 安楽死を肯定することに抵抗はある。

 だけど――。


「お薬、薔薇色を目指してみたんですけど……それっぽくなってますか?」


「あら、素敵。可愛らしい色ね」


 微笑む村瀬さんを見ていると否定するのも違う気がしてくる。

 骨や脳にも癌が転移して痛みや吐き気があるはずだが、それでも村瀬さんは穏やかに微笑む。きっと終わりが見えているから村瀬さんは村瀬さんが思う自分らしい微笑みを浮かべるのだ。最後の最後に村瀬さんの旦那さんが旦那さんらしい言葉を口にできたように。


「あの人が好きだった薔薇の色。本当に素敵な色」


 これからの処置で使う薬ビンを見つめて村瀬さんは目を細めた。


 ちゃんと見送ってね。お願いよ。

 そう念押しする村瀬さんの手を握り、微笑み返してうなずいた。


 薔薇色の人生とはどんなだろう。

 薔薇色の人生にこの終わり方は相応しいだろうか。


 薔薇の香りに包まれた庭で九十余年の人生の幕を閉じようとする老婦人を見つめて思う。

 肯定するには抵抗がある。でも、否定をするのも――。

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