【短編】人類史上最高の薔薇色の時代【ホラー】
山本倫木
人類史上最高の薔薇色の時代
その年、インドネシアとメキシコで、ほぼ同時期に火山の大規模な爆発が発生した。轟音が半径数千キロに渡って響き渡り、巨大な噴煙は幾週間も沸き上がり続けた。成層圏まで大量に巻き上げられた火山性エアロゾルは太陽を遮り、結果、地球の平均気温は平年比2.2℃低下、世界の農業は壊滅的な打撃を受けた。世界的な食糧不足により餓死者が続出し、生き残った人々も暴動によりその数をさらに減らしていった。苦しい時の神頼み。人々は一心に祈った。
「どうか我々をお救いください」
人により祈る先の違いはあった。しかし、神でも悪魔でも、救ってくれるなら誰でも良いと思う人々が大半だった。人々の祈りが最高潮に達した時、ついに奇跡は起こった。
『その願い、聞き届けよう』
世界中の人々が一斉に同じ夢を見た。寝ている者は鮮烈な夢として、起きている者は明確な白昼夢として。威厳あふれる、厳かな伝達だった。声として聴いた者、文字として読んだ者、形容のし難い純粋なイメージとして受け取った者、伝達の形態は様々あったが、内容は共通していた。そして、気が付くと人々の傍らに1日分の食料が置かれていたことも同じだった。
人々は狂喜した。
届いた食料の内容は地域により違いはあったが、いずれもその土地に馴染んだものであった。人々はこぞって腹を満たした。何とか食べられる、という程度の味であったが生命に関わる飢えの前では問題にならなかった。
一方で、こんな得体のしれないモノなど食べられるか、という者もあった。彼ら彼女らは多種多様な手段で食料を調べつくした。ほぼ全ての検査は、届いた食材が地球上で普遍的に見られるものであることを示した。違いはただ1点。一種の薬剤が極微量含まれていた。直ちにこの薬剤の詳しい検査がなされたが、副作用は全くなく、むしろ様々な病気に対する抵抗力を高める効果があることが判明した。懐疑派も、これは食べても問題ないという結論を出さざるを得なかった。
検査の結果を待つ間も、食料は毎日届き続けた。検査の結果を受け、人々は安心をして食事をとれるようになった。世界は急速に平和を取り戻していった。
有難いが、異常な状況である。
とある機構が計算したところ、既に地球上で収穫可能な量を超えた食料が届いていると推定された。困惑する学者たちは、食料の由来を突き止めようとした。世界中から報告が集められた。DNA鑑定の結果、量が多すぎるという問題は別として、届いた食料はその土地の主要作物が主であることが判明した。日本に出現したコメは短粒種米、イタリアで現れた小麦はパスタ用のデュラム小麦、アメリカに届いた小麦はパン用のハード・レッド・スプリング小麦といった具合である。最初期のものは最低限度の品質であったが、日を追うごとに質が向上していることが分かったのは予期せぬ収穫だった。
どのようにして食料は現れるのかという点についても調査がなされた。しかし、これは何の成果も得られなかった。肉眼、監視カメラ、秤、レーザーセンサー。どのような実験手法を使っても、データを取っている間に食料が届くことはなかった。諦めて実験機材を片付けると食料が現れるようになることから、観測行為が食料の到着に何らかの影響を与えていると考えられたが、それ以上は何も分からなかった。
これではまるで人知を超えた現象だ。研究者達は頭を抱えた。理解不能な現象に対しては敢然と立ち向かうはずの人類の英知も、この現象には歯が立たなかった。
だが、一般の人々は違った。一昨日は食料が届いた。昨日も届き、今日も届いた。ならば明日も届くはず。帰納法で導かれ、人々は衣食住のうちの食は誰にでも公平に保証されるものと理解をした。人々は現実を、神の恵みとして受け入れていった。
現れる食料は、日々、少しずつ内容を変えた。単に質が向上しただけではない。当初は食材で届いていたものが、加工された姿で届くようになった。コメは握り飯として、小麦はパンやパスタとして、肉や魚は煮たり焼いたりした姿で出現した。さらに、当初は1日に1回届いたものが、朝昼夕と日に3回に分けて出現するようになった。適当な皿を用意していればその上に、何もなければ簡易な包装がされた状態でいつの間にか現れるのだった。やがては、菓子や酒類まで出現するようになり、食はますます豊かになっていった。
最初の10年は大きな問題となった。
誰もが無料で質の良い食料を手に入れてしまうのだ。農業、畜産業、漁業といった一次産業は瞬く間に崩壊した。関連する道具や消耗品も作られなくなり、レストランも次々と閉店していった。多くの産業が過去の存在となった。社会構造の激変により失業率は多くの国で史上最高に達したが、しかし、幸いにも大規模な混乱にまでは至らなかった。何があっても食だけは保証される、という事実が人々を安心させた効果は大きかった。
20年たつと、社会も落ち着きを取り戻した。一部のニッチな食材を扱う業者を残し、生産者は絶滅した。関連産業も大同小異。人の手で生産される食料の価格はかつてとは比べ物にならないほど高価になったが、不満を持つものは殆ど居なかった。わざわざ金を出して食料を手に入れるのは余程の物好きだけだった。
食料生産業で働いていた人々は、他の仕事を始めることもあれば、働かずに趣味に生きていく例もあった。働けばより豊かに暮らせるが、無理に働かなくても生きていくことは出来る。過度な競争は聞かれなくなり、競争に敗れても一定の安心は保証される。のんびりと生きる人が増えていった。
人類史上最高の薔薇色の時代。誰かがそう言い始めた。平均的な栄養状態の改善により、子供の発育が良くなった。社会的弱者の生活水準が向上し、幸せを感じる人が増えた。毎日届く食料は多すぎるという事もなく、また、栄養バランスもとれていたため、先進国で肥満が多いのは過去の事となり健康寿命も延びた。食料生産に伴う環境負荷が無くなり、環境問題も劇的に改善された。人々の精神に余裕が生まれた副作用で、争いごとも減っていった。あらゆる統計上の数字が、人類が繁栄に向かいつつあることを示していた。
〇
男は高台に建つ小屋の庭に出した椅子に深く腰掛け、陽光に照らされる穏やかな海を眺めていた。
遠くに見えるコンクリートで固められた海岸は、かつては船が行きかう漁港だった。業として漁をする者が無くなった今では漁船も居なくなり、わずかに数隻、趣味としての釣り船が出ているだけだった。人によっては寂しいと思うかもしれないが、男にとっては懐かしの、堪らなく恋しい海の景色だ。
昔、男はこの海で魚を養殖して暮らしていた。仕事として海と関わっているときには分からなかったが、どうやら男は海から離れられない性であったらしい。立ちいかなくなった養殖業を廃業して以降は、男は陸で働いた。しかし、海の音が聞こえない暮らしは男には合わなかった。苦手な陸での労働で貯めた小金でこの小屋を買い、男は久しぶりに故郷に帰ってきたのだった。
薄く潮の匂いがする微風を感じ、男の心は安らいだ。やはり海はいい。
男は思い返す。魚を育てるのは楽しかった。
養殖に必要な仕事は様々あったが、男が特に好きだったのはエサやりだった。海面に投げ込んだエサが、みるみる魚たちの腹に入っていくのを見るのは気持ちが良かった。
エサには工夫が必要だった。狭い環境で過密に飼育しているので、病気の予防は必須だ。エサに微量のワクチンを練りこむのはどこの漁師もやっていた。しかし、男の工夫はそれだけではなかった。魚は味が分かる。だから同じエサを与え続けると飽きて食いつきが悪くなってしまう。男は慈愛あふれる目で魚を観察し、飽きさせないよう日々エサの配合を変え、工夫をし続けた。
稚魚のころから接していると、魚がその日に食べたいモノが見えてくる。エサは不足してはいけないが、与えすぎるのもご法度だった。必要以上の栄養を摂取した魚は不格好に太って不健康になってしまう。過不足ない栄養で育った魚は健康的に肉が付き、顔つきまで優しく変化するので一目で分かった。男が育てる魚は、見た目の美しさからも市場で評判が高かった。
市場で評判が良かった、と考えたとき、男の表情はわずかに曇った。男は魚に特別な愛情をもって接していた。自分の与えるエサで大きくなった魚を自分の手で出荷する作業は、男に複雑な思いを抱かせた。魚にしてみれば、男は毎日の食を与える恵みの神そのものだったはずだ。神を信頼して十分に成長を遂げた魚は、しかし時が来れば、何の前触れもなくその神によって生簀から連れ去られ、二度と海には戻れない。魚たちの無垢な信頼を裏切ったことを思うと、男の胸はちくりと痛んだ。
魚を殺さなくて済むようになったのだから、今の生活も悪くはないかもしれない。男はそう思っていた。
ふと空腹に気が付き、男は小屋を振り返った。開け放したドアから小屋の中の食卓が見え、その上に今日の昼食が現れていた。男は立ち上がった。届いたのは薄切りのハムを何枚も挟んだサンドイッチに温かいミルク。男の好物だ。男は2つを持って、再び庭に出た。
「神様、ありがとうございます。今日もお恵みに感謝いたします」
男は神に祈りを捧げ、日を浴びながらサンドイッチを頬張った。マスタードが男の鼻腔を心地よく刺激する。好物ではあるが、毎日では飽きてしまう。男は5日ぶりのハムサンドをあっという間に平らげ、満足して眼を閉じた。暖かい潮風が、白いものが目立つようになった男の頬ひげを撫でていった。
やがて男が昼寝の寝息を立て始めたとき、天から光の筋が差し込んだ。光の筋は人一人が収まる太さがあり、眠っていた男は光に包まれた。昼でも眩しく感じるほどに光はひと際強くなり、そしてやがて消えた。男の姿も光とともに無くなり、後にはただ、一脚の椅子が何事も無かったかのように残された。
その日、全世界で数万人もの人々が、光に飲み込まれて一斉に姿を消した。共通点は、十分に成長した健康な成人であるということ以外に何も見当たらなかった。彼ら彼女らは二度と地上に戻ることはなく、それが何を意味するのか、残された人々に知るすべは無かった。
日々の糧は人類に届き続ける。いつまでも、いつまでも。
【了】
【短編】人類史上最高の薔薇色の時代【ホラー】 山本倫木 @rindai2222
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