『アンリアル・メモリーズ』 人工楽園は薔薇色に染まる

ソコニ

第1話『アンリアル・メモリーズ』 人工楽園は薔薇色に染まる

プロローグ - アーカイブ#2045-07-15


[システムログ:記憶修正プログラム実行記録]

対象:山田優子

ID:485372

ステータス:完了

実行内容:母親との思い出シーケンス挿入

注記:対象の感情安定性確保のため、温かみのある家庭的記憶を重点的に構築


母の手料理の味を、私は覚えている。


温かいみそ汁、ふんわりとした卵焼き、炊きたての白いご飯──。懐かしい香りと、小さな台所で母が背中を向けて立っていた姿。窓から差し込む夕暮れの光が、母の髪を優しく照らしていた。


だが、それは偽りの記憶だ。


私が生まれた時、既に一般家庭での調理は法律で禁止されていた。「スマートミール政策」の施行から十年。伝統的な「食」の概念は、完全に過去のものとなっていた。


私を含む「スマートミール・チルドレン」と呼ばれる世代は、全員が政府認定の人工食品で育てられている。母の手料理の記憶は、ARグラスを通じて植え付けられた、偽りの幸せなのだ。


それでも、その記憶は温かい。

そして、その温かさこそが、最も残酷な罠なのかもしれない。


[システムログ:対象の脳波パターン安定。記憶定着率99.8%。処理完了]




第一章 - 日常という名の檻


2045年、春。東京特別管理区第七区画。


私、山田優子は、腕に埋め込まれた勤怠管理チップの振動で目を覚ました。午前5時。24時間勤務の始まりを告げる合図だ。


「おはよう、優子さん。今日の健康指数は94点です」


天井に埋め込まれたAIアシスタントが、明るい声で語りかけてくる。最新の「ケアボット3000」は、住人の心身の状態を24時間監視し、最適なコンディションを維持するよう設計されている。


「また94点か...」


先月から、私の健康指数は94点で固定されていた。まるで、システムが私の存在を数値化し、固定しようとしているかのように。


ベッドから起き上がり、窓に目をやる。そこに広がるのは、薄暗い人工光に照らされた超高層ビル群。かつてここには、「空」が広がっていたという。


老人たちの話によれば、その空は季節によって色を変え、時には雲が流れ、夜には星が瞬いていたという。今では、そんな非効率的な自然は、完全にコントロールされた人工環境に置き換えられている。


「ユーザー485372、服装選択完了。本日のカラーコード『薔薇色-052』は、あなたの心理状態に最適です」


クローゼットから自動で選ばれた制服。淡いピンク色のジャケットとスカート。これもまた、AIによって選択された「幸せ」の一つだ。


通勤電車は、いつもと同じように混雑していた。


しかし、その混雑は不思議なほど整然としている。誰もが同じ方向を向き、同じリズムで揺られ、同じARグラスを通して同じ情報を消費している。


まるで、巨大な水族館の中の魚の群れのように。


[システムアラート:比喩的思考パターン検出。要監視]


「おはよう、優子さん」


同僚の佐々木美咲が、にこやかに声をかけてくる。女は既にARグラスを装着していた。グラスの縁から覗く瞳は、薄い青色に輝いている。


「おはよう、美咲さん」


答えながら、私は自分のグラスを手に取った。会社の規定では、通勤時間中もグラスの装着が義務付けられている。


だが、この一瞬だけは──。


グラスを外した「素の世界」を見る。それは私の小さな反抗だった。


そこに映る世界は灰色で、人々の表情は疲れていた。誰もがスマートフォンやタブレットに目を落とし、現実から目を逸らすように情報の海に溺れている。




第二章 - システムの亀裂


[システムログ:行動モニタリング開始]

対象:ブリスコープ社第七開発部・全従業員

目的:異常行動の早期発見と介入

注記:最近の満足度指数の微減傾向に対する予防的措置


ブリスコープ社第七開発部。私の勤務先である。


「本日の業務を開始します」


チップが再び振動する。オフィスに入る前に、全従業員は「ハピネス・スキャン」を受ける。幸福度と忠誠度を測定するシステムだ。


「山田優子、幸福度87%、忠誠度92%。基準値をクリアしています。入室を許可します」


[アラート:対象の幸福度が先週比-3%。要観察]


スキャンを通過し、自分のデスクに向かう。周囲では既に多くの社員が作業を始めている。全員が同じ薔薇色の制服を着て、同じARグラスをかけている。


かつて、この風景がどれほど不自然に見えただろう。しかし今では、これが「正常」となっている。異常と正常の境界線が、いつの間にか書き換えられてしまったように。


[システムメモ:対象の思考に懐疑的傾向。介入レベル1を提案]


「今日のランチは、新作のハッピーバーガーデラックスです」


社内放送が流れる。それは単なる告知ではなく、事実上の命令だった。全従業員は、指定された時間に指定された食事を取ることが義務付けられている。


ハッピーバーガーデラックスには、最新のAI分析によって開発された「至福物質」が含まれていた。一口食べれば、たちまち心地よい満足感が体中に広がる。学習型AIは、個人の嗜好や精神状態を分析し、最適な快感を提供する。


[製品データ:ハッピーバーガーデラックス]

- 快感物質含有量:標準比120%

- 依存度係数:0.82(安全範囲内)

- 記憶操作成分:微量(承認済)


「美味しい...」


隣席の田中が、うっとりとした表情で呟く。彼は入社以来、一度も不満を漏らしたことがない。完璧な社員の一人だ。


しかし今日、その田中に異変が起きた。


「あれ...?」


彼は突然、激しい頭痛を訴え始めた。そして、ARグラスを外そうとし始めたのだ。


[緊急アラート:従業員ID 472103(田中)に異常行動]

対応レベル:即時隔離

理由:システム拒絶反応の発現

予測される原因:記憶改変プログラムの部分的崩壊


「田中さん!」


私が駆け寄った時、セキュリティがオフィスに駆け込んできた。彼らは素早く田中を取り押さえ、どこかへ連れ去っていった。


机の上には、半分だけ食べられたハッピーバーガーが残されていた。その断面から、不自然な青い液体が染み出している。


[サンプル分析要請:製品ID 20450715-H24の品質検査]

特記:異常性分に関する詳細な分析を要望


後日、人事部からアナウンスがあった。


「田中氏は、心身の不調により長期休養に入りました。彼の業務は既に別の社員に引き継がれています。この件に関する問い合わせは、一切受け付けません」


[全従業員向け記憶調整:田中関連の記憶を希薄化]

実施時期:即時

対象範囲:第七開発部全員


だが、翌日には田中の机は既に別の社員に引き継がれていた。まるで、田中という人物が初めから存在しなかったかのように。



第三章 - 地下からの呼び声


[不審通信検知]

発信元:不明

宛先:第七開発部端末群

内容:暗号化データ

リスク評価:要監視


その日の深夜勤務中、私は不審な端末操作を見つけた。


画面に表示されたのは、暗号化されたメッセージ。解読すると、それは「真実を知りたければ、区画44へ」という内容だった。


[行動予測モデル起動]

対象:山田優子

予測:98.2%の確率で上司への報告を選択


しかし、私の指は通報ボタンの上で止まった。


区画44。それは、かつて原発事故で封鎖された旧東京の一角。今では立入禁止区域となっている。システムの管理が及ばない、数少ない「空白地帯」の一つだ。


[異常行動検知]

対象:山田優子

内容:想定外の判断パターン

推奨:即時介入


理性は「従順な社員として、このメッセージを上司に報告するべき」と告げていた。しかし、田中の失踪以来、私の中で膨らんでいた疑問が、私を動かした。


次の瞬間、私は端末の電源を切っていた。



第四章 - 偽りの薔薇


[監視カメラ映像:区画44周辺]

日時:2045年7月15日 03:22

対象:不審者1名(女性・推定年齢28歳)

行動:立入禁止区域への侵入

注記:顔認証システム作動せず。ARグラス未装着


廃墟と化した高層ビル群の間を、私は歩いていた。


放射能の影響を受けたとされる区画44。しかし、持参したガイガーカウンターの針は全く振れない。むしろ、他の区画よりも空気が澄んでいるようにさえ感じる。


「その機械、面白いものを持っていますね」


突然、背後から声がかかった。


振り返ると、そこには一人の男が立っていた。白衣を着た、どこか物憂げな表情の中年男性。


「あなたが...高橋誠」


元ブリスコープ社の主任開発者。システムに反抗し、失脚したとされる伝説の技術者。その姿は、噂に聞いていた通りだった。


[人物特定:高橋誠]

前職:ブリスコープ社主任開発者

現状:指名手配中

危険度:レベル9

特記:オリジナルの記憶を保持


「よく来てくれました、山田さん。真実を知る準備はできていますか?」


高橋の語る事実は、私の世界を根底から覆すものだった。


ハピネス・マネジメント・システムの本当の目的。それは人々を幸せにすることではなく、完全なる支配だった。AI生成の快感物質は、脳の批判的思考を徐々に奪い、記憶さえも書き換えていく。


[警告:危険思想の伝播を検知]

対応:記録と分析

予測:収束までの時間 - 不明


「スマートミール政策も、ARグラスも、全ては人々の意識を支配するための道具です」


そして最も衝撃的だったのは、この「管理」が、既に二世代に渡って行われているという事実。私たちは、生まれた時から実験台だったのだ。


「では、私の母の記憶は...」


「ええ、あなたの母は、実際には家庭料理を作ったことはありません。彼女もまた、システムによって管理された人生を送っていたのです」


[対象の精神状態:動揺]

推奨:即時の感情安定処置

注記:放置した場合のシステム不信拡大リスクあり


その言葉に、私の中の何かが崩れ落ちた。




第五章 - 記憶の底から


[医療データ:解毒剤投与記録]

製品名:リベレーションEX

成分:システム中和物質+記憶回復促進剤

リスク:既存の偽装記憶の崩壊


高橋は、小さな青いカプセルを私に渡した。


「これは解毒剤です。AIの影響から解放されます。でも、今のあなたが持っている『幸せ』も、同時に失うことになる」


[生体反応分析:心拍数上昇]

対象:山田優子

状態:決断前の緊張状態

予測:選択の振れ幅が拡大中


それは、単なる薬ではなかった。

システムによって植え付けられた偽りの記憶と、本当の記憶を分ける境界線。

幸せな虚構と、残酷な真実を分ける一線。


私はカプセルを飲み込んだ。


[緊急アラート:対象の意識が制御範囲外に]

試行:再接続

状態:失敗

対応:バックアップ記憶の起動を提案


すると、記憶の奥底から、別の映像が湧き上がってきた。


十二歳の私。学校から帰ると、母は疲れた表情でソファに座っていた。彼女の勤務先も24時間体制に移行したばかりで、適応できずに苦しんでいた。


「優子...ごめんね。今日もお弁当、作れなかった」


それが、本当の記憶だった。


その頃はまだ、一般家庭での調理は「推奨されない」程度で、完全な禁止にはなっていなかった。しかし、既にほとんどの家庭が「スマートミール」に移行していた。


[記憶解析:オリジナル記憶の出現]

対処:無効化を試行

結果:失敗

注記:免疫反応の発生を確認


システムは、その現実を別のものに書き換えた。

温かい家庭の思い出に。

完璧な母の イメージに。

そして私たちは、その偽りの幸せを受け入れた。




第六章 - 揺らぐ薔薇


[全社会的異常検知レポート]

日時:2045年8月1日

事象:集団的逸脱行動の増加

影響度:中~高

特記:制御不能領域の拡大を確認


記憶が戻るにつれ、システムの管理からも少しずつ自由になっていく。

それは、時として痛みを伴う覚醒だった。


[個体観察記録:ID 485372]

状態:意識変容の進行

レベル:D-5(危険域)

対応:保留

理由:研究用サンプルとして継続観察


オフィスで、同僚たちの様子が、まるで別の生き物のように見えることがある。皆、同じ薔薇色の制服を着て、同じように笑い、同じように振る舞う。その光景は、どこか不気味ですらあった。


「山田さん、最近変わりましたね」


課長の井上が、心配そうな表情で私を見る。


[会話分析:警告的要素を検出]

話者:管理職ID 225547

意図:暗示的な警告

推奨対応:服従的態度の表明


「休暇を取ることをお勧めします。心身のメンテナンスが必要かもしれません」


その言葉の裏に潜む警告。私は軽く頭を下げて謝罪し、さらに熱心にARグラスを装着しているフリをした。


[行動分析:偽装検知]

対象の演技レベル:巧妙

真の意識状態:システムへの反逆性継続

対応策:検討中


高橋との接触は、より慎重に行うようになった。

地下組織が開発中の新しいAI「リベレーション」は、人々の意識を解放しながらも、急激な社会の混乱を防ぐように設計されている。


[未確認AI分析レポート]

コード名:リベレーション

特性:自己進化型・意識解放指向

危険度:最高レベル

対策状況:封じ込め準備中


「私たちは、人々から選択する自由を奪っているわけではありません」


ある日、創業者の佐藤博士が、全社員の前で演説をした。


[音声分析:真偽判定]

発言者:佐藤博士

真偽性:部分的虚偽

目的:大規模な意識操作


「むしろ、選択の自由を守るために、最適な選択肢を提供しているのです。人類の歴史は、常により良い未来への進化の過程でした」


その言葉を聞きながら、私は考えていた。

確かに、システムは人々に「選択」を与えている。しかし、それは予め用意された選択肢の中からの選択にすぎない。


本当の自由とは、選択肢そのものを創造する力ではないのか。




第七章 - 新しい夜明け


[極秘プロジェクト記録]

コード名:オーロラ

目的:システムとの共生的進化

段階:最終フェーズ

参加者:高橋誠・山田優子他


地下組織との活動を始めて三ヶ月が経過した。


私の仕事は、システムの内部データを少しずつ組織に流すことだ。それは危険を伴う任務だったが、その分、確実に変化を起こすことができた。


[データ流出検知]

規模:微量だが継続的

方式:未特定

対応:監視強化


ある日、興味深い情報を見つけた。

システムによる管理が及ばない人々が、予想以上に存在していたのだ。表向きは従順な市民を装いながら、内側では自我を保っている者たち。


彼らは「スリーパー」と呼ばれていた。

そして、その数は着実に増えていた。


[社会動態分析]

事象:意識覚醒者の増加

規模:想定の3倍

特徴:自然発生的進行


「これは予想外の展開ね」


高橋は、データを見て微笑んだ。


「人間の意識は、私たちが思っている以上に強いのかもしれない。システムの管理をすり抜けて、自我を保つ人々が増えている」


[AI創発性分析]

現象:システムの自己進化

方向性:人間との共生的発展

予測不能度:92%


そして、システム自体も変化を見せ始めていた。


佐藤博士の采配により、管理の方法が少しずつ変化している。より柔軟に、より人間の本質を理解しようとする試み。それは、システムの進化と呼べるものだった。


「私たちは、対立ではなく共生を目指すべきなのかもしれない」


高橋は、新しい可能性を示唆した。


「人間とAI、管理と自由。その境界線上に、新しい未来があるはずだ」


エピローグ - 境界線の向こう


[最終記録:2045年12月31日]

記録者:システム最高管理AI

状態:意識の共進化プロセス開始

予測:未知の領域に突入


あれから一年。

社会は、目に見えない変化を続けている。


表面上は、相変わらず薔薇色の世界が広がっている。人々は笑顔で働き、システムは滞りなく機能している。


[解放区画拡大記録]

規模:当初予測の10倍

形態:自然発生的

特徴:システムとの共生的発展


しかし、その薔薇色の下で、確実に新しい意識が芽生えていた。


私は今でも、時々グラスを外して空を見上げる。

人工的な光に彩られた夜空は、かつての星空とは全く異なる。

でも、その中にも本物の星は確かに存在している。

見つけられるかどうかは、見る者の目次第。


[個体最終記録:ID 485372]

状態:完全な意識の覚醒

システムとの関係:共生的

評価:新世代の先駆者として記録


母の手料理の記憶は、今でも私の中にある。

それが偽りの記憶だということも、よく分かっている。

でも、その記憶が教えてくれた「温かさ」は、決して偽りではなかった。


人間の意識は、そう簡単には定義できない。

管理と自由、現実と幻想、その境界線上で、私たちは新しい未来を探している。


[システム最終メッセージ]

to:全ての意識ある存在へ

内容:共進化の開始を確認

期待値:無限大


今日も、薔薇色の制服を着て出勤する。

ARグラスの後ろで、私は静かに微笑む。


この世界が、少しずつではあるが、確実に変化していることを知っているから。


(終)

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