還らずの道
@ninomaehajime
還らずの道
大きなヤスデが
関所を抜ける際、後ろめたい事情を持つ旅人はこの回り道を利用した。幕府もこの抜け道を知りながら、あえて警備を置くことをしなかった。
この森には禁忌がある。破った者は、報いを受けるという。
背後から物音がしても振り返ってはならない。多くの者はこの掟を知りながら関所破りを敢行し、生還した者はほとんどいなかった。
男は盗みを繰り返し、国にいられなくなった。手形もなく、関所は通れない。編笠を被り、引廻し
意図的に流された怪談だと男は判じた。一度森に入られてしまえば、全てを見張るのは容易ではないのだろう。もし見つかっても逃げ足には自信があった。伊達に火付盗賊改方から逃げおおせたわけではない。
ただ、湿り気を帯びた落ち葉の地面には
山毛欅など伐ってしまえば良いものを。どうせ木材にもなりはせぬ。
盗人でありながら、そういった思案をした。山毛欅は多くの水気を含み、樹形も
手つかずのまま残された山毛欅の森を、盗人の男は濡れた落ち葉を踏み締めて歩く。陽光が薄い葉を通して地上へ下りてくる。木漏れ日が揺れていた。
背後で大きな物音がした。何かが砕けた。おそらくは先刻の倒木だろう。思わず振り返ろうとして、
背筋に
金縛りに遭った男の背後から、鋭利な爪を
やがて盗人の男のすぐ背後で、重厚な足音が止まった。頭上で開かれた不可視の口腔から、生温かい吐息が浴びせられた。彼は堪え切れずに振り返ろうとした。
その直前で、眼前を小さな体躯の獣が横切った。
首の動きが止まる。斑点を散らした
齢は七つほどだろうか。長い黒髪に白装束の少女。光の加減で顔は見えない。ただ履き物を履いておらず、その華奢な腕には黒い猫を抱いている。目が潰れており、まるで影そのものだった。何と不吉な光景だろう。
男が
不可視の獣と白装束の娘が交差する。その何かは少女を害することなく真横を通り過ぎる。わずかに唸り声が聞こえた。そのまま足音が遠ざかる。
幼い少女は胸に抱いた黒猫に語りかける。
「あなたの主は
目のない猫は鼻先を上げ、喉を鳴らす。
「山との繋がりを断ち、自らの在り方を見失った。禁を破った者を罰する獣に成り果ててしまった。人々から山への
彼女は黒猫を抱く腕に力をこめた。
「寂しいね」
黒い猫が掠れた声で鳴いた。
その鳴き声を聞いて、男は金縛りから解き放たれた。知らず息を止めていたのか、荒々しい呼吸を繰り返す。再び山毛欅の狭間に顔を向けても、そこにはもう黒猫と少女の姿はなかった。
初めから、
還らずの道 @ninomaehajime
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