禁煙天国
小笠原寿夫
第1話
キャッシュレス決済で煙草を買うたびに思う。時代が進歩しても人間みたいなものはたいして進化していないのではないかと。視線を上げると、うつむき加減の店員が、バーコードをレジに通す。急ぎ足で、家路に向かうと、私は煙草の透明のシールを開け、紙の蓋を開けると、一本取り出し、慣れた手つきでそれを咥える。
「こんなものが世の中に蔓延らなければ良かったのに。」
そんな物思いに耽りながら、吹かす煙草は絶妙に旨い。夏目漱石作「吾輩は猫である」では、猫にして馬鹿にされていた長物ではないか。こんなものが旨い訳がない。もう一口、煙を吸う。いやいや、旨い。何故、こんなにも旨いのかと思ううちに一本吸いきってしまう。身体は怠さを感じ、甘い香りが口の中に残る。
「困ったものだな。」
不貞寝してしまう前に、マスターベーションにも似たその動作に、やけに嫌悪感を感じずにはいられない。
「タバコ辞めてみるか。」
と呟く。煙草を吸い続ける事と煙草を辞める事の利点とデメリットについて考える。考える間もなく、次の煙草が欲しくなる。
「これは辞められない訳だ。」
JTがどれだけの損失を出そうとも、税金で出来たそのアイテムを私の口は、悪魔の実の如く、欲している。情けないな。
遠い将来、煙草を辞める時のことについて、思いを馳せる。
「ちょっと煙草でも吸いながら考えよう。」
いいか?私は煙草を辞めるのだ。こんな紙で葉っぱを巻いたようなものを好んで口に運ぶ馬鹿馬鹿しさを思うんだ。
そこへ部屋に入ってきた親父が言う。
「お前、さっきから何本吸ってんねん。」
ある阿呆は言う。
「これでもないとやってられへん。」
「そうか。」
飯を差し出され、煙草を吸い、目が覚めると、そこは、さっきのコンビニだった。
「あれ?夢を見ているのか?」
やはり店員は、俯きながらレジを打つ。キャッシュレス決済もさっきの煙草の銘柄も同じである。違うな。夢じゃない。私はどこかで死んだんだ。いつだ。いつ死んだ。
「お前いつまで寝てんねん。」
この声は生きている。私は、横たわりながら、その声を聴いている。親族のすすり泣く声がする。
「煙草の好きな子でした。」
棺桶に煙草をいっぱい入れられ、火葬にされた私は、若干、嫌煙家の親族に、疎まれたとか否とか。
閻魔様が、怖い顔をしてこっちを見ている。
「うぬは前世に於いて良き行いをしたか。」
震えあがる声で私は、「いいえ。」と答え、それより煙草が吸いたい旨を伝えた。
閻魔様は、途轍もなく怖い顔をして、〇◇×▽#と言いながら、一発だけ机をハンマーで叩いた。その時漸く、気が付いた。
「地獄行きだ。」
生きて煙草を吸っていた時代が懐かしくも恨めしくも思えた。
「やっと辞めたね。」
と仏様が一瞬、微笑んだ気がした。
禁煙天国 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio
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