「何も話すな。自分の能力については何も話すな…」


 隆鷗が現世うつしよに戻って来る瞬間、寿院のそんな言葉が聞こえたような気がした。しかし、虚ろから、自分の身体に意識を戻した時には寿院の姿が見当たらなかった。

 大きな衝立が視界を遮っていたが、寿院の気配は感じられない。そればかりか人の気配がない。

 隆鷗は、ゆっくりと起き上がり、衝立の影から抜け出した。

 だだっ広い部屋には誰もおらず、庭には夜の帳が降りようとしていた。庇から吊るされた二つの灯籠と、四隅の高灯台で部屋の中がゆらゆらと明るい。


 しゅんのことを、まず寿院に話したかった。他の部屋も見てみたが、人がいない。異様だった。

 庭に降りて、屋敷の端っこまで歩くと、離れに小屋があった。おそらく台所だろうと思った。小屋から延びている廊下の造りが寿院の寺の屋敷とよく似ていた。

 小屋の中に入ると、女の使用人がひとり、しゃがんで器を洗っていたが、隆鷗に気がつくと、立ち上がって、ただ俯いて黙っている。

 「ねぇ、わたしの連れを知らない?」と、隆鷗は尋ねた。

 女は黙っていた。

 「口を利けないの?」と、隆鷗は言う。「誰もいなくて困っているんだよ。答えてよ」

 だが、やはり女は何も答えなかった。

 隆鷗は、諦めて、台所を出ようとした時、女が口を開いた。

 「外に…たくさん…人が…囲まれていると言っていた」

 「えっ?この広い敷地を囲んでいるの?いったい何人いるんだ?それで、わたしの連れも外に出たの?」と、隆鷗は再び尋ねた。

 「それ以上は分からない。ずっとここにいたから…」

 「あなたは逃げないの?」

 「何故?」

 「何故…?いや、なんでもないです」

 そう言うと、隆鷗は、庭に戻って、廊下に腰を下ろした。


 本当に誰もいない。


 ただひとり、要領を得ない女だけを残して…いや、女と、意識のない隆鷗を残して、皆、外に出ていた。

 隆鷗は女の言った言葉を想像することができなかった。

 兵なのか?この大きな敷地を取り囲むような人数といえば兵しかない。そんな兵がいるのか?

 朝廷の兵?まさか?そういえば寺院や神社も武装して一大勢力になっていると、寿院が言っていた。

 寺院、神社、呪術師…?

 敵対する関係が隆鷗には今ひとつ分からない。

 いや、黒根家が呪術や呪詛を独占すれば…?これほどの敷地を要し、一門を抱えていれば、寺院も神社も面白くはないだろうが、寺院同士の勢力争いの一環なのか?黒根家がその一環に入るのか?寺院が武装して朝廷に強訴する話しは聞いたことはあるが、いったい何が起こっているのだろうか?


 隆鷗は、義忠の屋敷を出た。

 屋敷の外に出ると、隆鷗には始めて見る光景が広がる。

 隆鷗には自分がどうやって義忠の屋敷に入ったのか当然分からない。

 屋敷の外へ出て始めて小高い位置にあることが分かった。わりと急勾配の坂を下る。両脇には竹林があり、闇に覆われようとした時刻ともなると鬱蒼としている。だが、坂には、下りる場所から等間隔に置かれた灯籠が仄かにあたりを照らしていた。寿院の姿がないことで不安だった上にその仄かな侘しい灯りに、隆鷗は心が締め付けられる思いだった。


 坂を降り切った所で目の前の大きな建物が、陽が真上に登る前に見た本殿であることが分かった。隆鷗はゆっくりと大きな建物をぐるりと周り、再び女性像が見えるところまで歩いた。


 だが、女性像が見える前に、紫色の衣を纏った、ぼんやりと女性像を見上げている女の姿が先に隆鷗の視界に入ってきた。

 女の身体はぼんやりと青くて鈍い光に覆われているような気がする。


 何だろう…?あれは人か?


 その時だった。背後に人の気配がして、隆鷗は思わず振り返った。

 寿院だった。

 だが、隆鷗は、驚いた。

 「馬鹿、隠れろ…」と、寿院は、隆鷗を引っ張る為に衣を握った。しかし、遅かった。

 隆鷗は、女と眼が合った。


 女は隆鷗を見ると、首を傾げた。女とは声が届く距離ではなかった。女はゆっくりと隆鷗の方へ歩み寄ってきた。


 「誰だ?」と、寿院が言った。

 「分からない。そんなことより、兵隊がこの敷地を囲っていると聞いた。寿院も外に行ったんだろう?」と、隆鷗は、歩み寄ってくる女を見ながら、尋ねた。

 「誰から聞いた。…って言うか?本当に誰なんだ、あの女は?」と、寿院が尋ね返す。

 「だから分からないよ…。使用人から聞いた。でも、何で兵隊が黒根家を囲っているの?やっぱり寺院の勢力争いか何かなの?」と、隆鷗は、少しずつ歩み寄る女を見ながら、寿院に尋ね返す。

 「やっぱりって何だよ。兵隊ではない。おおぅ、近づいてくるよ」と、寿院が言う。

 「兵隊ではないって、だったら何だよ?巻き込まれないうちにここを去った方がいいよね」

 「まぁ、そうなんだが…。あの女から何か言われたら、何て言い返すつもりだ…?」と、寿院が言う。

 「そんなの分からないよ。だから、早く逃げよう。巻き込まれる前に…って言うか、寿院は何を抱いているんだ。なんだ、その獣は?」

 寿院は、何かを抱えて隆鷗の前に立っていたのだ。獣には違いないのだろうが、寿院の腕の中からニャーニャーと可愛いらしい声で鳴いているのが聞こえる。

 寿院は、でれーっとした顔をして、獣に頬擦りをした。

 「わっ、気持ち悪いよ、寿院の顔!…って言うか、逃げよう。もう、すぐそこまで来たよ」と、隆鷗が少し慌てたように言う。

 「これは、多分、猫という生き物だ。源氏物語絵巻で見た。これに会えるなんて、わたしはついている。これは朝廷でしか飼われたことのない珍しい生き物だ。裏門から出て、雑木林に入ったところで、何故かわたしの足に絡みついてきた。わたしは驚いて腰をぬかしたのだが、これと眼が合うと擦り寄ってきたのだ。誰かが飼っていたのだろう。人懐こいんだ」と、寿院は更にでれーとした顔で言う。

 「もう馬鹿なの。逃げ損ねたじゃない」と、隆鷗は諦めた。

 女は、本殿の端っこまで歩いて、隆鷗の目の前で立ち止まった。


 「そなたは何者なのだ?」と、女が言う。

 意外にも優しげな口調に隆鷗から恐れが消えた。

 「わたしは隆鷗と言います」と、隆鷗は正直に言った。

 「馬鹿、な何を正直に答えているんだ?」と、寿院が小声で言う。

 「隆鷗…?隆鷗と申すか?」と、女が再び尋ねた。

 「ここの者か?」と、女が尋ねた。

 「いいえ。違います」と、隆鷗は答えた。

 「では、何故ここにいる?」と、女が尋ねた。

 「友に頼まれて、あるモノを取り戻すために来ました。あの。あなたこそ誰なのですか?」と、今度は隆鷗が聞いた。

 「だったら早くここを出なさい。ここにいてはいけない…」

 「あなたは黒根家の人ですか?」

 女は何も答えなかった。そして、隆鷗から離れ、本殿の中央まで行くと、静かに舞い始めた。

 「えぇぇ、舞い始めたぞ。あの人がここを出ろと言っているから、時をくれたのかな?なんか意味分からないな」と、寿院が言う。

 隆鷗は、何故か女の舞に見惚れている。

 「隆鷗、行くぞ。今ならここをすんなり出れる。早く行くぞ」と、寿院が言う。

 今は敷地の外で、義忠もその配下も、そして、昼間追いかけられたあの柄の悪い連中も、そして多分一門も、突然、敷地を取り囲んだ謎の敵と睨み合いをしている。今なら貧民街を模した住人に跡をつけられることもないだろう。

 寿院は、そう思ったが、何故か隆鷗は女の舞に見惚れている。

 「隆鷗君、何を見惚れているんだ。行くよ」と、寿院は催促した。


 「寿院、あの舞に覚えない?」と、隆鷗が言った。

 「何を言っているんだ?」と、寿院も女の舞を見た。暫く見ていると、何故か、隆鷗が白水家で舞った型と重なっていく。

 「あっ…?白水家で君が踊った舞に似ている」

 「あれって、父上が舞っていたのを何故か幼いわたしは見様見真似で覚えてしまった舞なんだ。身体に染み付いていた。だからあの時舞えた。それをあの人が舞っている」と、隆鷗は外に面した廊下によじ登り、女の所へ歩み寄った。

 「隆鷗君、何しているんだ。戻って来い」と、寿院は隆鷗の後を追おうとしたが、猫を抱いていたために上手く廊下に上がれなかった。しかたなく、五級ごしなの階段のところまで走った。

 「猫ちゃんごめんね。ちょっと揺れるね」などと呟いていた。


 隆鷗が歩み寄ると、女は舞をやめて隆鷗を見た。

 「やっぱりこの舞に見覚えがあるのね」と、女が言う。

 「はい。父上が舞っていた」と、隆鷗が答えた。

 「あなたの父上は、竜鷗りゅうおう様?」と、女が尋ねた。

 「はい。わたしの父上は竜鷗りゅうおうです。何故、父上を知っているのですか?」と、隆鷗は尋ねた。

 「良かった。最後に、あなたに会えて。竜鷗様によく似ている。竜鷗様は、今…いえ、何でもないわ」

 「父上は死にました。謎の兵隊が攻めて来た。大勢だった。父上はすごく強かったのに、あんな大勢で攻めて来たら、父上がいくら強くても…それに父上は、兄上とわたしを庇っていた。だから兵士に囲まれて…」と、隆鷗は涙を溜めた。

 「ごめんなさい。きっとわたしの所為せいだわ。隆鷗様、私は今から奇妙なことを言う。多分、何一つ言っている言葉は理解できないと思うけど、その言葉を心に刻んでいてほしい。そして、苞寿様と言う人を探して、伝えて欲しい…」と、女が言った。

 「苞寿様は知っています。伝えます」と、隆鷗は言った。


 「有難う。隆鷗ちゃん…。私の名は矩子のりこと言います。でも、この身体はたまという者です。この者の身体の中に悪鬼が巣食っております。この者たちは虚ろの虫と言ってます…」

 「矩子のりこ様…?分かります。虚ろの虫のことは知っています」と、隆鷗が言うと、矩子は驚いた顔をした。

 その時、いつのまにか矩子のりこと、隆鷗の周りに虚ろの虫たちが集まっていた。隆鷗は周囲を見回した。

 「えっ?ここは現世うつしよなのに何故、虫がいるんだ?」と、隆鷗は茫然とした。

 「虚ろが開いた。今、隆鷗ちゃんと私の周囲は現世うつしようつろが重なった状態になっている。狭間にいるのでしょう。私もこんなの見たことがない…」と、矩子も驚いている。

 「矩子様は、そのたまという人の中にいるんでしょう?狭間にいる今なら珠っていう人から出てもわたしは、矩子様を見ることができる…いえ、そもそもはなっから…」と、言うと隆鷗は口を噤んだ。

 「そう、隆鷗ちゃん、あなたは見えるのね。虚ろが…?あなたに受け継がれたのね…でも、私はこの珠って人の中の虫を捕らえて、一緒に出ようと思っているの。それでね。隆鷗ちゃん、この虫、もしかしたらこの人の身体から出たら、変貌するかもしれない。本来この虫は醜い怪物なのよ。人に寄生して操る怪物。この人から出たら、駆除しなきゃならない。完全に。でなければどんどん増えていくの。だから、隆鷗ちゃんは逃げて…」と、矩子が言った。

 「何を言っているんですか?矩子様が一人で闘うつもりなんですか?」と、隆鷗が言う。

 「大丈夫。この虫も弱っている。私はこれまでこの虫にずっと抑えられていた。でも、今はこうして自由になった。この虫が弱ってきた証拠よ」と、矩子は言った。

 「わたしも共に闘います。父上の刀を持っていますから…」と、隆鷗は青斬刀の柄を握りしめた。

 「竜鷗様の刀?」

 「これで虫を斬ります…矩子様は父上の知り合いなのですか?」と、隆鷗は尋ねた。

 「そうね。竜鷗様は私の父の末の弟。叔父様。父と竜鷗様は随分歳が離れていたから、私と歳が近かったの。随分良くしてもらった。仲が良かったのよ。だからあなたに会えて嬉しかった。そんなあなたになんかあったら、悲しい。だから逃げて…。そうでないと私はここから出れない…」

 「駄目です。これはわたしの役目です。虫と共に出て下さい」


 そう言うと、隆鷗は、後ろに下がり矩子と距離を取ると、青斬刀を抜いて構えた。


 一方、寿院は南側の五級ごしなの階段に向かう途中、角の所で止まって身を隠していた。

 何故なら、五級ごしなの階段を、左目に黒い絹の布を巻いた少年がゆっくりと登っていたからだ。


 隆鷗と女は、何を話しているのか長々と話している。

 「何を話ちているんでちょうかね?」と、寿院は、猫に話しかけていた。「で、流歌るかだっけ、あの子はいったい何をするつもりなんだ?」

 寿院は、ゆっくりと流歌るかに近づいていく。立ち止まっては、様子を見ていたが、猫をどうしようかとも考えていた。


 流歌は、慎重に進んでいる。二人に見つからないように進んでいる。そして、懐に収めた短刀に手をかけていた。


 矩子は、刀を構えている隆鷗を見て、たまの身体から出る決心をした。

 隆鷗が竜鷗と重なって見えていた。


 そして、矩子は、真っ黒い歪な虫を胸に抱いてたまの身体から抜け出した。その勢いで隆鷗のところまで止まることが出来なかった。反動で虫は矩子の手を離れた。その瞬間、虫は更に歪に膨れ上がり大きくなった。

 隆鷗が大きくなる虫を見上げた。矩子は、予想以上に大きくなった虫に愕然として尻をついた。

 その時、身体から矩子と、虫がいなくなったたまは反動で、床に倒れたが、ぼんやりと意識を取り戻し、目の前の異様な光景に茫然とした。


 五級ごしなの階段を上がり切った流歌るかには、矩子も虫も見えなかったが、何か、空間の異常な歪みが見えていた。慌てて黒い布を外して、何が起こっているのか確認したが、流歌には見えなかった。しかし異常なことが起こっているのは分かった。空間の歪みと共に黒い影が蠢いていた。

 そして、刀を構えている少年が虚ろで出会った少年だとはっきり確認した。

 「なんで見えないんだ?なんで…?あいつには見えているのに?なんで僕には見えないんだ?」

 流歌は懐から短刀を取り出し、鞘を捨てた。


 身体の中から矩子が去ったたまの意識がはっきりした。黒い歪な大きな怪物と、刀を構える少年が見えた。

 怪物が自分の身体の中にいた虫だということは気づいていない。そしてふわふわした、存在感の儚い女が見えた。

 何が起こっているのだろうか?

 「まさか…?矩子?」たまが呟いた。

 たまは、ふらふらと立ち上がり、少しずつ矩子に歩み寄ろうとしていた。


 流歌るかが気づかれないようにゆっくりと隆鷗の方へ進む。


 寿院は、五級ごしなの階段に歩み寄る。隆鷗が青斬刀を構えている。しかし、刃は、女には向いていない。視線はやや上の方向を見ているようだ。頭が反っているから分かった。女との距離がある。女は小さな歩幅で少しずつ歩いている。しかし、その先は隆鷗ではない。

 寿院は、その光景を見て、隆鷗と女の間の空間を空想する。女と隆鷗の空間が広がる。あとふたつ何かがいる。女は何かを呟きながら、何かに歩み寄ろうとしている。女の口が開いては閉じる。言葉を喋っているというより名を呼んでいるのか?ひとつは御霊、人か?女の視線からその御霊はしゃがんでいる。倒れているのか?そして、もうひとつは、勿論やばいやつだ。白蛇のような化け物だ。人の御霊は化け物にやられたのか…?

 「わたしはどうやら役に立たないな。この子抱えて化け物とはやり合えない。だが、流歌るかの短刀が誰を刺そうとしているのか?これはこの子抱えていても蹴りでなんとかいけるだろう」と、ぶつぶつ呟いている。猫は寿院の腕のなかでスヤスヤ気持ち良さそうに眠っていた。


 黒くて、歪な姿をした怪物から無数の触覚らしきモノが伸びて、隆鷗を襲う。

 その姿は、まるであの日月子を襲った赤い衣の少女の身体から姿を現した悪霊とよく似ていた。そして、寺に侵入した男の黒い影とも似ている。何か繋がりがあるのだろうか。

 隆鷗は、これまで闘った時より、更に速く鋭く襲ってくる触覚を次々と斬っていった。だが、触覚は隆鷗の速さと同じ速さで次々と触覚を生み出していく。それより、更に速く隆鷗は斬っていった。

 矩子は、そんな隆鷗を頼もしく見ていて、歩み寄ってくるたまに暫く気づかなかった。

 隆鷗の、触覚を斬る速さが勝り触覚の動きが次第に弱まっていった。


 「矩子なの…?」と、矩子にたまの声が届いた。

 矩子は、たまを見た。そして、ゆっくりと立ち上がった。


 隆鷗は、距離を詰め高く跳躍して、本体を斬った。そして着地して再び飛び上がって斬った。怪物の動きが弱まっていく。周囲の虫たちが怪物を助けるように次々と隆鷗に襲いかかってきた。


 「あの時、あなたは虚ろに連れて行かれた。私の虫たちが暴走したのよ。私はずっと後悔していた。何故、あの時、あなたを助けなかったのか。ずっと…」とたまが言った。

 「後悔…?あなたは気づいていたはず。私があなたの虫たちにずっと抑えられて身動きできなかったことを。あれから随分長い時が過ぎた。本当に長い時だった。私は刻々の刹那に身を委ねるしかなかった。そうしないと苦しみだけだった」と、矩子が言う。


 その時には、隆鷗は、全ての虫たちを斬っていた。虫たちは霧のように消えていった。あとは怪物だけだった。隆鷗の肩が大きく揺れていた。


 隆鷗が闘っている間、流歌るかは立ち止まった。隆鷗の迫力に圧倒されたのだ。

 同じように寿院も圧倒された。もしも、白蛇の時のように動きを抑えられたらどうしようと、不安だったが、払拭された。安心して隆鷗を見ていられる。

 それにしても…?

 「あのひと何をひとりでちゃべっているんでちょうね?頭でもおかちくなったんでちゅかね?」と、寿院は相変わらず猫に喋りかけている。だが、猫はスヤスヤ眠っている。

 しかし、寿院には見え始めていた。御霊は立ち上がった。そして女と話しているのだ。知人か?女の目線から見て御霊は女の可能性がある。少し言い争っているようにも見えた。

 そして、隆鷗は、御霊を助ける為に闘っているのだろうか?


 「孤独な刻々のなかでも私にできることがあった。あなたの因果を遡ってみた」と、矩子が言った。「ずっとずっと過去まで…。あなたはひとを操る能力などなかった。あの像となったあなたの始祖にあたる人は、初めて虚ろを見た人だ。ただ、虚ろで遊んでいただけの子供。そして虫と戯れていたにすぎなかった。始祖から数世代後にも虚ろを見る女の子が生まれた。だが、その子の家の環境は良くなかった。父親の暴力で母親の心が荒んでいた。女の子はいつも虚ろに身を置いて現世うつしよに戻らなくなった。そしていつも虫と遊んでいた。その時だ。虫が寄生したのは。虫は女の子を操るようになった。それからずっと何世代に渡って虫は寄生し続けているのだ。今、あの少年が闘っている怪物は、あなたの身体に寄生していた虫の正体。暴走…?あれは暴走ではない。あれが本来の姿。虫は私が邪魔だった。消したかった。だから私を虚ろに引きずり込んだ。あなたの能力ではない。あなたが人を操っていたのは、虫があなたを操っていたからだ…。本来あなたは人を操るような人ではなかったはず…」


 「馬鹿な、何を戯けたことを…私は虫たちと共に生きてきた。ずっと…。何世代も…」


 矩子がその話しを終えた頃、怪物は消滅した。隆鷗が青斬刀で怪物を滅したのだ。怪物は風に乗り塵となって消えていった。


 「あなたに寄生した怪物はいなくなった…」と、矩子が言った。


 隆鷗の動きが止まった時、流歌るかが動き出した。誰に刃を向けているのか?

 寿院は、助走をつけ走り出した。


 たまが外に視線を向けた。小高い、大きな屋敷の方向だ。黒根家の屋敷だ。

 「当主が従者を連れて、こちらに来る。本殿の見張り番が私のことを知らせたに違いない。あなたの姿は見えなくても、その少年は当主に殺されるぞ」と、たまが言った瞬間、突進して来る少年が目に入った。

 流歌るかたまのすぐ傍まで来ていた。そして刃を突き立てた。だが、寿院が流歌るかの背中を勢い良く蹴った。流歌るかたまの目の前で倒れた。


 寿院が蹴った瞬間、猫が寿院の腕から飛び出して床に着地して、「シャー」と鳴いた。


 「お前が殺した。お前が殺した…!お前が掟を押し付けた!」

 流歌るかが叫んだ。

 「お前は誰だ?私が誰を殺したと申す!」たまが弱々しく言い返した。

 「しゅん様だ。お前と宗主がしゅん様を死に追いやった…」と、流歌るかが叫んだ。

 「私はしゅんを死に追いやってなどいない。誰から聞いた?お前は欺かれたのだ。今なら間に合う。もうすぐ宗主がここに来るぞ。早く去れ!」


 隆鷗は、女を刺そうとした者が流歌るかだということに気がついた。そして、寿院が止めたのも分かった。

 「寿院、逃げよう。ここにいたら面倒臭くなりそうだ」と、隆鷗が寿院の傍に寄った。「矩子様はどうするの?また虚ろに戻るの?」


 寿院は、震えて小さく蹲っていた猫を見つけた。

 「猫ちゃーん、そこにいたんでちゅか」と、寿院が歩み寄ると、異常な気の移動を感じた。


 隆鷗には見えていた。矩子が猫の中に逃げ込むところを…。


 そして、猫は、隆鷗を見てニャーと鳴いた。

 「えぇぇぇ!…はいっちゃったんでちゅか…………猫恐るべし…」と、思わず隆鷗は呟いた。

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怪物の視界線 津木乃詩奇 @tsukinoshiki

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