くるり屋さんのお呪い ~不幸のお帰り、こちらです~

初美陽一@10月18日に書籍発売です

不幸の〝帰る〟場所

「いらっしゃいませ、お客さま。

 ここは《くるり屋》――私は店主のめぐると申します。


 お客さまが、もしも今。

〝なぜ自分だけが不幸なんだ〟

〝どうして自分だけがこんな目に〟


〝一度くらい、自分の不幸を他人に押し付けて、身代わりにしてもいいじゃないか〟

 と――そのように、思われておいででしたら。


 その願い、ことが、出来ますわ。

 いかがなさいましょう――お客さま?」



 まるで占い館のような、ゴシックホラーを思わせる部屋の中。

 流麗な口調で囁くように、透き通る美声で告げた女性。


 洋式の喪服を彷彿させる、漆黒を基調としたワンピースを纏い。

 ベール付きのトーク帽をかぶった、貴婦人の如き女性。


 烏の濡れ羽のような黒髪は前髪も含めて長く、片目が隠れているが。

 網状のベール越しに覗く、透明感のある美貌は、隠しようもない。


 切れ長の目に、瞳は鮮血のようなあか、口元には常に穏やかな微笑を浮かべる、謎めいた女性――めぐると名乗った女性に対し。



 一方的に言葉を投げかけられたサラリーマン風の男性は、当然ながら戸惑っていた。

 何せ、この妙な雰囲気の部屋に、どのようにして辿り着いたのか、男性にはまるで記憶がない。

 ほんの少し前、仕事帰りの会社の飲み会で気疲れし、ふらふらとした足取りで帰途についたのが最後の記憶――〝目が覚めたら、ここにいた〟ような感覚ですらある。


 ここが何処かも分からない不安感は、夢の中のように曖昧で――そうでなくとも、こんな場所で見知らぬ美女から妙な問いかけを受ければ、警戒するのが普通だろう。


 だが……だが、しかし。


 聞いたこともない店の店主と名乗った女性、廻が先ほど述べた言葉。


〝なぜ自分だけが不幸なんだ〟

〝どうして自分だけがこんな目に〟


 男性がそう思ったことは、もはや数え切れないほどにあった。

 子供の頃は、でもなかったはずだが――いつ頃からだろう、父親がギャンブルで大損し、借金をしてしまったくらいの頃、だっただろうか。


 学生時代に恋破れ、受験には失敗し、どうにか就職できた先はなかなか堂に入ったブラック企業というやつで――男性は今日に至るまで、一体どれほどの愚痴や悪態を、心の中で呟いたことか。


 そして、男性の心臓を射抜くような、決定的な言葉。



〝一度くらい、自分の不幸を他人に押し付けて、身代わりにしてもいいじゃないか〟



 漆黒の美女からとっくに離れた言葉は、男性の頭の中で、鈍い鐘のように何度も反響して。

 男性の思考を、度重なる自問が支配する。


〝なぜ自分が不幸じゃなくちゃいけないんだ〟

〝自分じゃなく、他の誰かでも良いじゃないか〟


〝そうだ……〟

〝そうだ〟


〝不幸になってしまうのが〟

〝どうせなら〟


〝自らの身に降りかかる不幸を、



 ―――〝他の誰かに押し付けたって、イイじゃないか〟―――



 男性は、と。


 先ほど言葉を告げたまま、時が止まっているのではと思うほどに微動だにしない彼女――廻へと。


 縋るような声色で、ついに答えた。



「お……お願いします。一度だけ、今回だけでいい……この〝不幸〟を、自分じゃなく、他の誰かに……移してください。お願いします……!」



 俯きがちで言葉を放った、男性は。

 ベールの先で、美女がをしていたのか、はっきりと見て取れはしなかったが。


 店主・廻は微笑みを浮かべたまま、答えた。



「その願い、《くるり屋》が承りました。どうかご安心ください、お客さま。

 その〝不幸〟、お帰りになられる頃には、すっかりと取り除かれて。

 明日よりは、きっとお客さまのも、良くなることでしょう。

 少なからず、今のような〝不幸〟に見舞われることはありませんわ」



「! そ、そうですか……よかった、ああ、よかっ――」


「ところで」


 廻が食い気味に発言すると、安心しきったような男性は戸惑うも、構わず涼やかな美声で再び問いかけた。



「お客さまの身の〝不幸〟……それは一体、ものでしょう?

 努力だけで成し得なかった事柄については、致し方ありませんが。

 時には理不尽なまでに〝不幸〟が降りかかったことは、ございませんか?

 それがものか……思い当たる節は、ございませんか?」



 その質問に、男性の心臓は、ずぐん、と跳ねた。

 それは何だか、とても大切な質問に思えたから。


 確かに廻の言う通り、理不尽なまでの〝不幸〟に見舞われたことはある。

 失恋、受験の失敗、就職難――何か失敗するたびに、他人を妬み羨む時、決まってそれは起こった気がした。


 けれど、それが何だというのかまでは、男性には思考が及ばず。


「い、いえ、〝不幸〟がのかなんて……良く分かりませんけど」


「……そうですか」


 廻は一度だけ、ふう、とため息を吐いてから――にっこりと、微笑んで。



「ではお客さま、この度はご利用、ありがとうございました。

 お帰りは、後ろの扉からでございます。

 お客さまのご多幸をお祈りして、再訪は望むべからざることですが。


 またのご利用を―――お待ちしております―――」



 その言葉に、導かれるように。

 男性は糸が半分切れた操り人形のような、覚束おぼつかない足取りで、出て行った。



 ■        ■       ■



「……ふう、ですわねえ」


〝くるり屋〟の店主・めぐるは洋風の椅子に座り、一人掛けのテーブルに肩肘を突いて、しんみりと呟いた。


 何処に隠れていたのか、とん、とテーブルに黒猫が乗って「にゃん」と鳴く。


「あら、さん、こんばんは。今宵も随分とですわね。

 ……ええ、今回のお客さまもいつも通り、他のお客さまとも、さして変わりなく。

《くるり屋》を、ご利用になられましたわ。ですけど、ねえ」


「にゃん?」


「ええ、ええ。〝人を呪わば穴二つ〟なんて、有名な言葉でしょうに……。

 〝不幸〟がのか、そこをもっと、ようく考えてみますれば。

 簡単に、分かることでしょうに……ねえ、さん?」


「にゃ~ん」


 返事するように鳴き声を上げる黒猫に、廻は長い前髪から覗く片目を細め、嘆息交じりに呟いた。



「《くるり屋》で手放した〝不幸〟が廻るは……


〝一度くらい、自分の不幸を他人に押し付けて、身代わりにしてもいいじゃないか〟


 そんなことを人間に、限られますわ。

〝不幸〟がによるものならば、思い当たりもするでしょうに。


 ここで不幸を手放し、一時的に幸せになったとて。

 自分ではなければいい、なんて他人の不幸を顧みない限り。

 その〝不幸〟はやがて、ご本人へとものですのに、ねえ」



「にゃにゃん」


「ええ、さん、本当に。

 何せ此処に来たことを、お客さまが覚えられることはないのですから。

 意地悪な質問をしている、とは思うのですけれど。それでも、ねえ?


 ……どうせめぐるお仕事なら、〝不幸〟なんかじゃなくて。

 誰かに〝幸福〟を分け与えて、廻り廻らせて、皆が幸せになる。

 そんな願いを持つお客さまがいらしてくだされば、良いのですけれど」


 ふう、ともう一度だけ、ため息を吐いて。

 チリンチリン、とドアベルの鳴る音を聞き、廻は居住まいを正す。


 ベールの向こうに覗く片目を細め、鮮血のような朱い瞳で見つめながら。

 口元には穏やかな笑みを浮かべ、鈴の鳴るような涼やかな美声で迎えた。



「いらっしゃいませ、あら、はじめましてのお客さま。

 ここは《くるり屋》――私は店主のめぐると申します。


 今宵は、どのような御用件お悩みで、いらしたのでしょうか――?」



 ~ Fin ~

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