こたつ
三坂鳴
第1話 死闘
こたつの中は、まるで生まれたばかりの命を祝福する太陽の子宮であった。四方を覆う布団の闇が、ぬくもりという幻想をひたすらに増幅し、ついさっきまで震えていた足指の感覚を蜂蜜のような甘い熱で蕩かしてゆく。人はこの快楽に取り込まれ、意識を麻痺させ、ただ微睡(まどろ)むだけの生ける屍となる。しかし、運命の歯車は冷酷なほど均一に回転し、ついにその時が訪れた。
脱出の決意。
それはまるで、活火山の噴煙が勢いを増し、大地が裂け、豪雨が山を崩壊させるような巨大な決断だった。
例えれば、深い海の底に沈められた船員が、酸素が尽きる刹那に水面をめざしてもがくような苦しみ。温熱に取り込まれた身体を、いまや無慈悲に襲いくる寒気へさらす行為は、戦場へひとり放り込まれるに等しい恐怖を伴うものだった。
掛け布団の端をゆっくり押しやり、まず右脚から抜け出そうとする。だが、その行為はまるで断崖絶壁から身を乗り出すかのように、五臓六腑を揺さぶる危険の兆しをはらんでいた。僅かにこたつ布団の隙間から吹き込む外界の冷気が、血の気を引かせるほど凍てついている。それでも、人は行かなければならない。なぜなら、行動を放棄すれば、こたつという安逸の牢獄に一生囚われる虞(おそれ)があるからだ。足を引き戻そうとする甘美な誘惑に抗い、勇敢にも右脚を前進させる。
カーペットに足が触れた瞬間、地表の熱が一瞬で奪われたように感じられた。まるで雪山で遭難し、氷点下の嵐に一人取り残された探検隊のようだ。続いて左脚をこたつから解放すると、両脚は同時に極寒の衝撃に晒される。痛覚と痺れが同時に押し寄せ、脳裏に危険の赤いランプが点灯する。もう戻れない。ここから先は、ただ雪崩のような冷たさとの死闘のみ。
しかし、立ち止まってはならない。こたつという安息の檻を背後に置き、床を踏みしめ、一歩一歩進む。再び布団のぬくもりを夢見てはいけない。振り返れば最後、誘惑の闇が身体を捕捉し、再度その奥底へと沈み込ませるに違いないからだ。進めば極寒の死地、戻れば甘い安楽。けれど、安楽は死と同義であると自らに言い聞かせ、己の決意を鼓舞する。
痺れる指先で、どうにか近くのスイッチに手を伸ばす。そこには震えを堪えながらも、弱弱しく灯る蛍光灯の光が、進むべき道を照らしていた。たかが数メートル先の世界が、これほどまでに遠く、壮絶なものだとは誰が想像しただろうか。
こうして人は、我が身を切り裂く寒気に耐えながら、こたつの魔力から逃れ、凍える世界へ一歩を踏み出すのだった。それはほんの些細な行動に見えるかもしれない。だが、その瞬間、その足取りは、あたかも嵐を突き進む小舟のごとく、小さきがゆえに尊く、そして決死の覚悟を伴うものであった。
こたつ 三坂鳴 @strapyoung
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