第4話



 踊りましょうか、とアデライードが言った。

 ラファエルが何をしに行ったのかは分からなかったが、ネーリが沈んでいるのが分かったので、しばらく桟敷で談笑していたのだが、不安げな彼を放っておけなかった。

「大丈夫ですわ。ラファエル様はじきにお戻りになります。

 そうしたら、きっとネーリ様と踊りたいと思われますわ。昨日からずっと子供のようにワクワクしていらっしゃいましたもの。ですから、今のうちじゃないとネーリ様と踊れません」

 自分を気にしてくれたんだろうとすぐに分かり、ネーリは「うん」と笑って頷いた。

 階下に降りて、ダンスホールで、踊った。

 女の仮装同士だったが構わずに踊ると、楽しかった。

 ネーリと踊りながら、ラファエルと踊っている時と同じ安心感と、楽しさをアデライードは感じた。元々ラファエルに踊りを指南したのはネーリだという。

 今ではラファエルも相当踊りが上手いし、どんな曲でも踊れるが、ネーリも夜会は久しぶりだと言いながら、踊りが上手かった。安心して、自分も踊れる。

 曲が終わると、夢中になって踊っていたことに気付いた。

 きっかけは周囲の人の拍手で、アルテミスとセレネの仮装の踊りは存外目を引き、人々を楽しませていたらしい。

 拍手を贈られ、アデライードは仮面の下で赤面した。

「踊って拍手なんて送られたの、初めてですわ」

 会場の端に移動し、小声で話す。

「アデルさん、とても踊るの上手かったからだよ」

「ネーリ様のおかげで、上手く見えたんですわ。でも、とても楽しかったです」

「息が弾んでる」

 ネーリがが優しくアデライードの背を撫でて笑っている。

「飲み物を取って来てあげる。待ってて」

「いいえ、私が持ってきますわ。ここでお待ちください」

「でも……」

「実は今、顔が真っ赤ですの。廊下で少し冷たい空気に当たりたいですわ」

 ネーリは微笑む。

「そっか。じゃあお願いしようかな。戻って来たら、少し庭を歩こうか。綺麗だし、きっと涼しいよ」

「はい」

 アルテミスは足取り軽く廊下の方へ歩いて行った。

 可愛いなあ。

 くすくす、とその様子にネーリは笑い、そこにあった柱にもたれかかった。

 フランスでも、あの兄妹がああやって穏やかに一緒に暮らしてるのかな、と思うと心が和む。

 ラファエルがずっと欲しがっていた、優しい家族。


(やっと、見つけたんだね)


 優雅な音楽がまた流れ出し、人々が踊り始める。

 不思議な光景だ。

 いつか見た景色。

 懐かしい気もするけど、遠い気もする。

 ここにいたいとは思わないけど、大勢の人たちが楽しそうに踊る光景は、嫌いじゃない。

 夢のように煌びやかなダンスホール、踊る人々、

 ふと、その時その光景とは正反対と言っていい、碧の森の絵を思い出した。

 碧の森の絵と、それをお行儀よく座りながら見上げている竜の姿まで思い出して、あの薪の倉庫を思い出して……突然帰りたくなった。

 あの絵のもとに戻り、無性に、夢中で、続きを描きたくなった。


 ――と、その時だった。


 ふっ……と突然優雅に踊る人々の動きが遅くなった気がして、周囲から音が消え、こんなに人々がひしめき合って踊っているというのに、嘘のように一直線に、目の前が開けた。

 その先に、自分と同じように、所在なさげに柱に凭れかかっている、黒衣の姿が目に入った。

 どちらも仮装をし、仮面をつけているのに、何故か分かった。


(フレディ?)


 その瞬間、相手が大きく身じろいだのが分かった。

 驚きが、伝わってくる。

 その驚きに、ネーリは背が震え上がった。

 今のは『ネーリ・バルネチア』を見つけた、驚きじゃない。

 すぐに分かった。

 自分を見つけたなら、フェルディナントはああいう驚き方はしない。

 今のは。

 一度だけ、運命の悪戯のように――憎んでもない彼と、対峙し、剣を合わせたことがある。あの、向き合った「時」がはっきりと重なった。



「待て‼」



 はっきりとその声が聞こえた。敵を呼び止める声だ。ネーリを呼ぶ声じゃない。

 ネーリはすぐに身を翻す。

 人混みに紛れて、庭の方に飛び出した。


 ……随分後になって、ネーリはこの時、自分が何故フェルディナントからあんなにも逃げようとしたのか、不思議に思ったことがあった。

 当時、いずれは全てを彼に話したいと思っていたのだし、その頃にはフェルディナントならば、話せば何であれ、分かってくれるだろうという信頼も、持っていた。

 だから話せば、よかったのだと思う。

 必死に逃げたりせず覚悟を決め、彼と向き合えばよかった。

 それなのにこの時はっきりと思ったのは、正体を知られてはいけない、逃げなければという思いばかりで――闇に乗じてヴェネツィアの街で人を殺しているあの行いを、自分は本当は、誇るどころか疎んじていて、恥じていたのだと自覚した。

 浅ましい自分だと、知られたくなく、逃げたのだと、はっきりそれが分かった時、彼は自分自身に苦笑した。


(それくらい、多分、あの人を愛してた。

 一瞬の軽蔑すら、恐れるほどに)







【終】

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