第25話 桜舞う季節

恭吾のSUV車に乗り込み目的の場所に向かう。この地で生まれ育った七海が学生時代から辛いことや悲しいことがあった時、そして志望校を決める、結婚するなど人生の大きな決断をする時にも足を運んでいた大切な場所でもあった。



少しばかり傾斜のある道を昇っていく。七海の軽自動車ではアクセルを踏むとブオンブオンと苦しそうに走るがSUVは静かに軽快に進んでいる。



「綺麗な場所ですね。」


「うん。学生時代からの思い出の場所なの」



地元民しか知らない秘密の場所。人が通ることもほとんどないため一人になりたい時はここによく来ていた。



小高い丘から海を眺める。晴れ渡った太陽の光が海に反射し、キラキラと一面が光っている。3月末になり桜が蕾をひらき花を咲かせている。温かい春の陽気と穏やかな風に包まれひらひらと花びらが舞う。



なんと切り出していいか分からず、ただただ景色を眺めていたが、そんな静寂をやぶったのは恭吾だった。



「僕、この前七海さんが帰った時にシンデレラを思い出しました。あの夜、七海さんが僕を頼ってきてくれた気がして嬉しくて、守りたいって思ったんです。良い雰囲気になったと思ったのに、朝になったら人が変わったように走って去っていって。魔法が解けてどこか行っちゃったんじゃないかって。」


「……恭吾くんってロマンチストだね」


「そうですか?でもその後、嫌だったから逃げるようにして帰ったんじゃないか。嫌われたんじゃないかって。ポロンや魚基地で会えるかも。と思ったけれど全然会えなくて……偶然でもいいからどうにかして逢いたいと思っていました。」


真っ直ぐに伝えてくる恭吾の言葉はこそばゆい。そして同時にズルく感じる。そんなに真っ直ぐ言われたら自分も正面から向き合わなくては、と思わせる。



「……私ね、あの時、これ以上一緒にいたら離れたくなくなってしまいそうで怖かったの。……私は母親で、母親だから……守るべき子どもたちがいるから、溺れてはいけないと思った。怖かったのは嫌な気持ちからじゃなくて母親だということを忘れてしまいそうな自分に対して。それで逃げるように帰ったの。」


「……。」


恭吾は静かに七海の言葉に耳を傾けている。



「今までね、自分のことを後回しにして子ども優先、家族優先で過ごしてきたんだ。そのうち、自分が何が好きで何をしたいのかも分からなくなっていた。そんなこと考えることさえしなくなっていた。だから、恭吾くんに出逢って楽しそうに自分のことを話す恭吾くんがすごく眩しくて輝いて見えた。一緒にいたら楽しそうだな、同じ時間を過ごして自分も恭吾くんのようにキラキラとした笑顔で話している姿が自然と想像出来たの。」




「でも……私は恭吾くんといると弱くなってしまう。恭吾くんが優しく包み込んでくれるのに甘えてしまう。母親として強くあるようにと鎧をまとって生活していたのに、その鎧の重さに気がついて弱くなってしまう。頼ってしまいたくなる。……私は弱くなるわけにはいかない。私は母親で、子どもたちのことが大好きで大切だから、子どもたちのために生きていこうって決めたの。だから、父親のことが大好きな子どもたちのために別れるつもりもない。別れるつもりがないのに恭吾くんの気持ちに応えられないし、迷惑がかかってしまう。だから……これ以上、一緒にいれない」




七海は顔を歪めながら、何回も鼻をすすり涙を拭きながら懸命に伝えた。



途中で、上手く伝えられているか分からなくなっていた。それでも恭吾に惹かれているが、子どもたちのために夫と別れるつもりはないこと、そして今の生活を守るために以前の母親である自分に戻ることを決めたことを必死で伝えた。


恭吾はうつむいて口に手をあてている。



「……いつも、鎧をまとっていなくてもいいんじゃないですか?僕の前では鎧を外して、自分の気持ちも大切にしたら駄目ですか?そのあと、普段の生活に戻るために鎧を着れるように今度は僕が七海さんをサポートするから。」


恭吾も涙を流していた。



「それは恭吾くんに悪い。恭吾くんを困らせるようなことは出来ない……。」


「そう言うなら、僕といると幸せと思ってくれているのに離れようとしている七海さんの行動は矛盾しています。嫌じゃないのに今後会えないのは嫌です。その方が困ります」


「……ごめんなさい。」


「ねえ、七海さん?」



そう言って恭吾は七海の名前を呼び、振り向きざまに力強く抱きしめてきた。




「いや……ですか?」

恭吾がささやくように問いかけてくる



「……ずるい。嫌じゃないって分かってるくせに……。ずるい」



「はい、ずるいです。でも嫌じゃなかったら側にいたいです。僕は七海さんの側にいて支えたいです。」



『母親として子ども優先で』、『母親だから強くあれ』そう夫の春樹に言われ続けてきた。

そして七海自身も「母親として強くなくてはいけない」と言い聞かせてきた。辛いとき、悲しい時も「私は母親だから……」と鼓舞し奮い立たせてきた。出来ないことに対し「母親なのに」となじられ、その度に自分を責めた。



しかし、母親も一人の人間だ。

感情もあるし、自分のやりたいこともある。そして、いつでも強くいれるわけではない。子どもを身籠り女性は母へと変わっていく。でも、母になったからといって強くなれるわけでも何でも出来るわけでもない。



日々の中で、子どものために頑張りたいという気持ちが強くさせているのだ。



そんな自分を支えたいと言ってくれる人がいる。優しく手を差し伸べ、寄り添ってくれる人がいる。


七海は今まで纏っていた鎧が軽くなるのを感じた。涙を見せず心に深い傷をつけないよう鉄の鎧を纏っていた気分だった。

その鎧が紐解かれ身軽になっている。



顔を上げ恭吾の顔を見つめる。

顔を恭吾の胸に預けると鎖骨に唇が触れた。


「恭吾くん……好き」


七海は、小さな声で呟いた。恭吾は出会った頃と変わらないくしゃっとした笑顔で七海の頬を両手で包み込み優しくキスをした。



「……やっと、やっと一緒になれた」



歯を見せて笑う恭吾は出逢ってから一番輝いて見えた。




・子どもたちとの生活を優先する

・平日は逢わない

・電話やメールなどの連絡も平日昼間のみ

・逢うのは月1度の子どもを預ける日

・子どもの体調優先

・恭吾が気になる人が見つかったらすぐに別れる


この6つを約束事として私たちは一緒にいる道を選んだ。


恭吾は気になる人なんて出来ないと言い張るが先の事なんて分からない。そして七海も縛り付けたくなかった。



普段は子ども2人との3人暮らしだが、七海には単身赴任の夫がいる。夫とはもう3年離れ離れで今後暮らす予定もない。それでも七海は既婚者だ。



恭吾との関係を………

この恋を、人は"不倫"と呼ぶ。



不倫…人が踏み行うべき道からはずれること。特に、配偶者でない者との男女関係。




第三者からみれば、私たちは道からはずれた行動なのかもしれない。



でも、あの時も、そして今も、私は恭吾という存在がいるから前を向いていれらる。

道からはずれた恋。でも、私たちは大きく踏み外さないように手を握りながら今日も歩んでいる。





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この恋を人は"不倫"と呼ぶ 中道 舞夜 @maya_nakamichi

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