第24話 別れ
3月、喫茶ポロンが閉店する。
その最後の土曜日に会いたいと恭吾から言われ、七海は激しく葛藤していた。
母親として会わない方がいい。
恭吾のためにも既婚者である自分のことは早く忘れてもらうべきで会わない方がいい。
そう頭では分かっているのに心が言うことを聞かない。
あれから何度も自問自答を繰り返した。恭吾のことを考えない日はなかった。胸の奥にしまい込んだはずの想いがまるで堰を切ったように溢れ出し七海を苦しめた。
(会いたい……)
心の声が何度も何度も叫び暴れだす。七海はそれを必死に振り払う。しかし、振り払えば振り払うほど心の声は強くなる一方だった。
そして、土曜日。七海は別れを告げるために恭吾に会いに行くことを決意した。
ポロンの扉を開けるといつもの温かいコーヒーの香りが鼻をくすぐった。恭吾は先に来て七海を待っていた。
「七海さん……」
恭吾は、七海の姿を見ると嬉しそうに微笑んだ。その笑顔が七海の心を締め付けた。
「来てくれたんですね」
「……うん」
七海は硬い表情で頷いた。
「あの……」
恭吾が何か喋りだす前に言わなくては……七海は覚悟を決めて言葉を紡ぎ始めた。
「今日は、恭吾くんに別れを告げに来たの」
恭吾の表情が徐々に曇り始める。
「別れ……?」
「うん。でも、ここだと話しづらいかな」
本当は用件を伝えてすぐに帰るつもりだったが、閉店を惜しむ常連客で店内は賑わいを見せていた。
「……そうですね、七海さんの事情もあるだろうし飲んだら場所変えましょうか。」
沈んだ声だが、七海のことを考え動く恭吾の横顔をぼんやりと見つめていた。
幸い、この喫茶店に知り合いはいない。恭吾が座るテーブルの向かいに腰をおろしコーヒーを頼む。この店で何度も顔を合わせているが、同じテーブルに座るのは初めてだった。
(こうして一緒に食事をするのは最初で最後なのだろうな……。)
そんなことを思い、感傷に浸りながら最後のコーヒーとトーストを味わった。サイフォンで丁寧に淹れられたコーヒーは今日も高貴な香りで癒してくれる。
お互い無言で静かにコーヒーを飲み干し店を後にした。この店の最後の思い出は、先月窓から眺めたアパートではなく恭吾と一緒に食べたトーストへと変わった。
「場所どこがいいですか?部屋だとマズいですよね……。車出すのでどこか行きます?」
喫茶店では、人目に付くので店を出たが他に良い場所が見つからなかった。部屋に入るのもためらい黙っていると、一か所ある場所が浮かんだ。
「……行きたい場所があるの、そこでもいい?」
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