57Peace 「アゾット剣」

 確信していることがある。

 俺はべつに悪魔を見くびってはいなかった、ただ理解が及んでいなかっただけだ。

 悪魔の、主人に出会って二千年と六十年の信念を、ただ理解していなかっただけだ。

 この悪魔の身で錬金術と謀略に向き合った時間。

 その進展は遥かに想像を超えていた。

 この錬金術師は、すでに賢者の石を完成させていた。

 クレア嬢に教わって知っているのは、過去ほぼ二千年の人類史上で最も錬金術が、盛んな四百年間で黄金の錬成に成功した人類はいなかった。

 例外的に、あるいは医者でもあるパラケルススなら、わからない。

 錬金術師たちが目標にしていたのは、黄金を作り出し、生命すら操るエネルギーだったと聞く。

 なら、この悪魔はクレア嬢よりも錬金術師としているのかもしれない。

 この思考で、俺は自分から思索の闇に来てしまったことを自覚する。

 そして、悪魔の淋しい言葉に同情してしまったことを自覚する。

 ただ畏れは強くなっていた。

 この確固たる上位の存在を倒せるのか、という疑問だ。思索の戦利品。

 この場合、持ち帰ったというべきか。

 自覚していて、まるでべつのルールの上に生きているような……これは事実だ。

 でも、この理解できなさ、倫理のズレ、法則ごとズレている感覚が畏れを増長させていて、消せない。

 ただ確固たる意志として、これ以上戦う者として確認したかった。

「ビビってないよな」

 言いかけたときだった。ディミトリが走った。

 俺は止めた。

 物質化した影で固めて止めた。

 ディミトリが俺を、ものすごい形相で睨む。

 びくっとなった。あのレールガンを見たあとだからかもしれない。

 なぜ睨んだのかは、分かると思った。

 グレイは疲労困憊で、余裕なく街の中で見た落ち窪んだ顔よりひどい顔色だった。

 ただ今は、攻撃の時ではなかった。

 内奥で自分にいう。

「考えろ、お前は宝具を看破しただろ!」

 何かあるはず。

 考えてもすぐには出てこない。

 もしかすると俺も顔に出ていたかもしれない。

「戸惑いか!」

 怒鳴り声だ。神父の仮面をかぶったこの錬金術師の怒鳴り声。

 鬼気迫るような余裕のなさと、脅しや叱咤の中間にあるような底根の声。

 すぐに応じて、俺は冷静を装って怒鳴る。

「俺は! お前よりも優れた錬金術師を知っている! その程度看破することは容易い!」

 ほとんどハッタリ、でも言葉選びは、今ならローラにも負けない自信があった。

「それなら早いでしょう。話は合理を運ぶべき、理解は及ぶはずです!」

 悪魔はもう一度、理解を求めてくる。

 俺は奥歯を強く噛む。

 錬金術師は言う。人差し指を立てた。

 理論的な姿だ。お前はこういう性格だったなと感じる。

「疲れて分からないでしょうか、この場にはもう一匹の吸血鬼がいることを存じない?」

 また紳士的口調を誇張した。

「モルモットを出してください、Ms,Armis

 その名前は聞き覚えがあった。

 シスターの名だ。シスターアルミス、孤児たちの大な母親の名前だ。

 俺たちの後ろで動きがあった、嫌な予感がする。

「見ろ! これも、私めの信念の証だ!」

 振り返る。

 少し土をかぶっていた。まるで地面から出てきたように。

 そこにいたのは白と黒色を基調にした、修道着の若干ふくよかな女性。

 その手に掴まれた小柄な姿。

 まだ十二歳くらいの、黒い肌で少し筋肉のついた男の子。

「オレクくん!」

 グレイが先に飛び出した。

 帯電するまえに、これも掴まえた。

「放して!」

 放さない。

「グレイの速さでも二人ともは助けられない!」

 現実を言った。続けた。

「シスターはもう、吸血鬼だ」

 あのやつれ方は、肉体が吸血行為に適応した姿だ。

 それに名前を呼ばれて行動したということは、地面から出てきたように見えるのは、もう――。

 俺だけはでも、冷静でいなくてはいけない。

「そんなの、まだ分からないじゃない」

 その言葉には力がなくて。だから放した。

「ディミトリは、明らかに死にに行っているぞ」

 言うことは言うぞ。

 今は、この錬金術師に対して優位に立つことだけを考えろ。

 ディミトリが言った。

「前から目障りなんや! どゆー感情あって冷静なんやねん!」

 その怒りは分かった。だから言うことは無かった。

「分かった」とだけ言った。

 俺は他に確認することがあった。

 もう、あの照り返しに頼るしかないと思っていた。

「分かった言うたって……」

 声を遮るのは錬金術師だった。

「仲間割れはしてくれ!」

「私めは必要悪を許容する」

 その言葉はあまりに情けがないと思った。

「それは詭弁だ! 他の方法があるはずだ」

 俺が言う。

「生命よりエネルギーのある元素はないからです。私めは変わらない」

 答える。

「俺の言えることじゃなくても言うぞ。生きた命より代えがたい存在はない!」

 ローラたちが、街のみんなが教えてくれたことだ。

「たわごとを。願望の成就には犠牲が必要です!」

 それこそ戯言だと思った。

「一部は認めるよ、俺も程度によっては必要悪をする」

 これも本心だ。なぜなら俺はこの対立を暴力で解決しようと思っている。

 今、丸裸になった聖堂をスコープが睨んでいる。

 合図が必要だ。

「現実は違うな、まるで子供の理想主義だ」「その道に在るギリシャ哲学の賢人プラトーンのイデア論には形相ヒュレーの説に手段の客観性が欠けているんです」

「イデア論は分からないが、そのプラトーンが殺戮を許す人間じゃなかったことは確かだぞ」「あと何人殺すつもりだ」

 俺はべつに聞いていない。明確に批判しているんだ。

 錬金術師は今になって初めて動いた。

 短剣を拾った。もう一度やる気だ。

 十分の距離で離れている。

 今は月の逆光から逃れたスコープが、はっきり俺の合図を待っている。

 話した、軍属を超えた、リュドミラ・パヴリチェンコを超えた名射手が待っている。

 俺は合図の準備をした。しかし錬金術師は雑談を喋った。

「今、この手の中にはアゾット剣がある」「黄金を生み出す悪魔の剣だ」「私めはこの使用を許容する」「如何なる攻撃も黄金に変わる」

 最後は平坦に怒鳴った。

 後ろでシスターが叫んだ。

「やめてください! 私がその生贄になります! 子供には未来があります、宝です!」

 怯えた声。

 ほんとは発話する気力もないような顔をしているのに。

 錬金術師が叫んだ。

「だからこそエネルギーとして、利用価値があるんです」

 聞いていてこれは、心を縛るようなセリフになった。

「この言葉を存じていますか。「薔薇を愛する者は、その刺までも」愛し得ないと成されないと!」

 ……。

「答えろ」

 俺が割り込んだ。すべてが悲しくて。

「お前はあと何人殺す気だ!」

 ほとんど罵声のつもりで言った。

「些末な数字だ」

 錬金術師は、功績を自慢するようにまるで既に叶ったことのように、笑って言う。

「一万人の子供だ」

 これは絶望的に笑っていた。救いがなかった。

 

 もう、合図の手を掲げた。

 腰でやるはずのサインだ。

 軽く握った拳を少し上に向けて、終わりを意味するようにシャープをして。重たい腕を頭上に――。

「そうか!」

 また知らない声が出た。どこだ。

 俺の合図は途中だ。

「この愛国主義者が、夜明け側にズレてんだよ」

 わからない、けれど多分。

 アゾットの剣の塚頭から聞こえる。ずいぶんさっぱりした悪口だ。

 喋るのはいったいどういう理由だ。

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死ぬには遠い春 fores.芽吹ィ星兎 (めふぃすと) @0ayame

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