53Peace 「悪魔殺し」

「………………」

 空間がゆっくり流れる。


 この街には、哲学をする人が多い。

 ――唯物論。そこに思いが至る人が殆どだ。

「人はなぜ生きるのか」

 この問が人々の随所に見られて、思想傾向がこれに加速を与えている。

 唯物論という、揺るぎなく諸物質に健在する、存在しているという安心感が、人々の心に安心感を与えない。

 それは見ていて、所有している感じが薄いんだと分かった。人々の認識の中では手元にあるものは、あって失う物でもあり、連鎖して満足に至れなくなる所有欲を示す不確かなモチーフそのもの。

 それが、生命の危機に瀕してしまったり失ったりしたせいで、生存欲の不足感という、不安感と同機してしまっている。

 生存保護欲という根幹が、心理では安定できない状態なんだ。

 思うに。心が怯えて、穿っているんだ。危機の中で毛を逆立たせる猫や、ネズミのように。

 過去、そういう感情が俺に、街に来るまでの孤独感を与えていた。また今は唯ならぬ反醜の象と亡き存在へのリスペクトを強くさせている。

 この時に確かに感じたのは、人がなぜ生きるのかと自分に問うように、俺もまた俺の生存に理由を求めているということだ。

 かつて俺が食事の為ではなく、ウサを晴らす為に人を殺したように。盲動的な生ではなく。

 また人との関わりに敬意を持つことになった今は、自責より他にやるべきことがあると感じている。

「この村の為に戦え」

 ローラから贈られた言葉が、この考えに大きく貢献していることを考慮すると。おそらく――。

 俺も含めた全ての知性ある人々にとっては。

「盲動的な生より失った者たちを愛して」

「理想的な健康な生活よりも地獄を愛して」

「感動や実感よりも絶望と喪に服した自分を愛して」

 PTSDが夜毎に、その華氏の世界へ根底からからだも精神も、誘拐されて逃げれない不安に潰される。

 

 一人になってしまった引きこもりの、俺と同じだから。涙も悲鳴も困窮も見てきたから、真っ直ぐに分かる。

 生きることが生きたくて出来なかった人たちの為に、絶望したい気持ちが分かる。

 違うのは、それが俺が加害者ということだ。でもきっと人々も気持ちは加害者なんだ、そういうトラウマなんだ。

 優しさが毒なんだ。同情が毒だ。

 俺も涙したくて思う。

「生きる意味なんて、生きて欲しい人の為にしかあるはずない」

 自責なんだ、懺悔も役不足な絶望が目に宿ってしまうんだ。

 しかも人々は必ずしも強さがない。しかし俺にはその力がある。

 まさにそういう状態にある人々を、ローラは、クレア嬢の「生きて自ら立ち上がる時間を与える」という思想に憑依して、言葉通り「人々を守れ」そういう。

 このシンプルに真っ直ぐな深淵の、回答のひとつに至ることになる。それは、人々の実在感を脅かす者へ向かう凶器になる。

 即ち、敵を殺せ。

 これが俺の唯物論だった。

 悪魔を滅ぼすことが、この街の存続の要だ。恐ろしくとも。

 既に明白な――現実だ。

 街の人同様に俺も――この、心臓を掴んで地獄に引き摺り落とすような、懺悔を必然にする罪悪感を、戦いで贖わなければいけないんだ。


 それは正真正銘の、超自然。

 まさに悪魔のような爆発だった。ただし、火薬のような拡散反応じゃなく圧縮反応だ。瓦礫が悪魔に向かって吸い寄せられていた時。

「諾歩陰」

 俺は慌てて2人の首ねっこを掴んで遠くまで引き戻す。間に合ってよかった。

 その爆発は俺は、空気そのものでおきる竜巻のようだと思った。

 爆発は、火や瓦礫や床板や、遠くの砂利なんかも引き寄せていく。そして、一立法センチメートル大に圧縮されて、原形を保っていないもとが木の板なのか岩だったのか、その見分けすらつかない物体になって細かく弾け跳ぶ。

 まるで圧縮空気の開放のような調子だった。

「ダカダカダカダカ――」

 そういう音が、崩壊した聖堂や夜空にすら嘶く。つんざく甲高な、でもめちゃくちゃにに弾いたアルトサックスに似た重低音の超連続に聞こえる。必然、俺の足も震える。

 ――――。

「大丈夫か?」

 いいながら、俺の脚力が役立ったと多少でもない優越感が過ぎった。

「悪くないな」

 ディミトリが不満気に言った。

「ナイスファインプレー」

 グレイが怯えとハニカミを混じえて言った。

「これが例の地下の」

 俺がグレイを見て聞く。視線は2人、悪魔の方に降り注ぐ。

「そうね、でもあの時はもっと弱かったはずだわ」

 グレイの右目がピクりと動く。

 俺は勿論壁を作ってガードしていたが、自分で意外だったのはこの場所だった。

 聖堂の敷地ならどこにでもいけた俺の脚力が、パイプオルガンの前で盾になることを、無意識に選んでいた。そこに答えを求めて感傷的になるのは、後だと思った。

 敵を見る。悪魔は自分を中心にして、圧縮した。それが今は散らばった肉片が勝手に動いて、元の一気に集まっていく。

「パタパタ」そして「チャプチャプ」

「ズブー」のっぺり這っていく形成途中の腸もある。

 そういう物を破壊しても、意味がないことを俺は知っている。

 どれも赤赤して健康的な、喫煙者の不健康そう黒い色をしていなかった。まるで健康な内蔵だ。

 やがて完全に集まっていく。

 生々しい合体だ。

 むき出し姿の骨の再形成、新鮮さを保つ肉と血管のニュっと生える光景。

 まるで計算された幾何学模様か。恐ろしくリアルな人体模型を、一気に破壊した時の逆再生か。

 とても規律良く順序正しく、下から上へ復元されていく。組み上がった傍から動いていく。

 その音もまたガチャガチャと、粗悪な咀嚼音を聞いているようですらあった。

 俺たちはそろってコレを見届けなくてはいけなかった。

「考えてみろ、こうなっても生き返る蘇生能力を、破壊して意味があるのか」

 俺はそう言いたかった。

 鏡を見ているようでもあり――俺にも言いたかった。

「説明する、この悪魔の錬金術の対価と制約を」


 俺はこのように説明した。

 まず悪魔は最初に「使わなさすぎる」と言った。もし、錬金術の対価に生命が必要と仮定したらなら、「使わなさすぎる……生命を」という語の数奇な組み合わせに納得がいく。

 そして、発動条件についてだ。

 見ていて一度に二つ以上の異常現象は起きなかった。最初に無音、次に素早くなる、そしてガード、最後に爆発。どれも切り替えるように順番を守っていた。

 もう一つの条件が、触媒或いは端末だ。

 杖、仕込み刀、仕込み銃とそれぞれが超自然的な役割りを持っていたとしたら。それぞれ捨てたことも、使い終わったのだと見れば合点が行く。トーチ立てが消えたのも同様だ。

 カラクリが分かれば単純だが、その道具がこの聖堂の中にどれだけ隠されているのか。それが分からないことも問題だ。

 この自己再生を考慮に入れたら、長期戦が有効だとは言いきれない。

 懸念は他にもある。弾薬を口から吐き出した所にある。もしもっと多くの道具を隠し持っていたらどうだ。

 バラバラになった肉片にその道具がないとしてもそれは持っていないという事にはならない。懸念は消えない。

 錬金術の物質が必ずしも固体のままで存在するとは限らないからだ。

 説明をこれで終えた。

「作戦は変えへんってことな」

「消去法で時短で殺せばいいのよね」

 2人はこれに薄い反応を見せた。

 これは明らかに意図的だった。

 目の前の、当たり前にある死が通用しない敵の力、その為に犠牲になったものを、意図的に考えない薄さだ。

 もう俺たちは、戦闘中に失った生命については考えないのだろう。戦う為に捨てるものがある、月並みに言われる戦士の面構えだ。

 白々しい顔だとも思う。

 コレを許容する敵を、まずは葬らなければ、不死者を殺さなければ。

 この言葉を何度も逡巡して眺めている。

 終わらないかもしれない戦いを控えて暗示をかける。

「殺せるまで殺そう」

 いつの間にか言葉に出ていた。

 2人は黙っているかに見えた。

「当たり前」

 幾許かのあとで2人は同時に言った。

 全員で少し足が退けている。

 鼓動が一つになる。

 そうだと思った。たった今は、なぜ薄い反応をしているかと言えば、3人で同じことを考えていたからだと気づいた。


 そして、悪魔は治癒を完了する。

 もう、火の消えた完全な暗闇に悪魔が立っている。

 ただ、悪魔は神父様の姿で全裸だった。

 悪魔は地面を蹴散らした。紳士とはかけ離れた、不貞腐れた子供のようだ。

「その観察。……フハッ」

 本当に楽しそうに笑う。伴って玩具を自慢する子供のように蹴って笑う。

「当たりだよ、御明答だ! ティネス君」

 言われた途端、俺はナイフを投げる、ほとんど衝動だったけれど、計画的な投擲だ。

「遅いんですよ」

 簡単に掴まれる。

 投げたのは、柄の丸いバネ仕掛けのスペツナズナイフ。

 言われた途端に起動させる。紐付けたのは、ほとんど不可視な細く作ったワイヤー、引っ張ってトリガーが動く。

 パン。とストッパーが解放されて刃が射出した。

「フフフ、ハッ……」

 軽快な笑い声が、意図した挑発なのか、純粋な快楽なのか分からない。

 しかし顔面に刃が、刺さったまま笑っている。

 何が面白いのか到底理解できないが、凄く歪に神父様の顔で、笑っている。

 俺はそういう姿を見たくなかった。神父様が良い演奏者だからこそ……反吐が出る。

「殺さないと!」

 叫んだ、我慢の限界だった。ほとんど直感だで動く。

 走る。

 諾歩影も、魔手も使った。生命を吸い取る魔手だ、これなら殺せると思った。

 肌で分かるのは、超自然には異常物をぶつければ勝てるということだ。

 淡ゆくは、神ニャルラトホテプの外世界に隔離出来たなら勝てると思った。

 到達前、魔手は暗闇の全てから顕現して、幾つもの手で悪魔を掴む。

 勝ったと思った、後は突き刺すだけだ。

 今ローブ越しに教えられた武器があった。俺はその囁きを、汚染されず確実な意思で逆手に取った。確実な方法だ――。

 俺は手の中に「」を作り出した。

 悪魔の目の前に踏み込んで、あとは刺すだけだ。

「まだや!」

 反射的に隣りを見る。

 驚いて真っ青になった。

 なぜ。ディミトリが隣りにいる?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月6日 06:00 3日ごと 11:00

死ぬには遠い春 fores.芽吹ィ星兎 (めふぃすと) @0ayame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ