婚約破棄にはざまぁを添えて

彩戸ゆめ

第1話

 私の名前はリリア・セレスティア。


 フェルディア王国の公爵家に生まれ、王太子アルフレッド殿下の弟、第二王子ヒューバート殿下の婚約者……だった。


 過去形で言ったのは、さきほど開かれた卒業式で突然、婚約を破棄されてしまったからだ。しかも人前で大々的に。


「リリア。君の行いをこれ以上許容できない。今後、僕の婚約者を名乗ることは一切認めない。婚約は破棄だ!」


 学園の大広間で皆の注目を集める中、ヒューバート殿下は満面の笑みを浮かべて言い放った。


 その横には、私のことを「あの人は酷い人間ですわ!」と面白おかしく言いふらしていた男爵家の娘――クラリッサ・ユールが寄り添っている。


 彼女は殿下に抱きつきながら、「リリア様のいじめには、もう耐えられません……!」と涙ながらに訴えていた。


 どちらかというと、私がクラリッサの嘘によって攻撃されていた側なのだけれど……なぜかクラリッサが言うと、ヒューバート殿下は一も二もなく信じてしまう。


 そのおかしな構図は、ここ数か月で固まってしまっていた。

 何度説明しても、「クラリッサがそんなことをするはずがない」と耳を貸してくれなかった。


 それでも事実ではないのだから、いずれ誤解が解けるだろうと思っていた。

 なのに、まさかこんな形で公開処刑されるなんて。




 ヒューバート殿下との婚約は、彼が幼い頃に王家と我が家の間で結ばれた政略結婚の側面が強かった。


 だが、私は彼の優しさに惹かれ、本気で殿下をお慕いしていた。

 殿下だって私を憎からず思ってくださっていたはずだ。


 なのに、クラリッサが現れてからすっかり様子が変わってしまった。


 最初は、平民に近い立場の者と分け隔てなく交流する自分に陶酔していただけのようだったけれど、いつの間にか二人の距離は短くなっていった。


 クラリッサは不自然なほどに殿下の優越感をくすぐり、わざと泣き落としをする。

 殿下の前では「怖いですぅ」と怯えている姿を見せるが、私たち貴族令嬢に対しては、あからさまに嘲笑してくる。


 私に対しても、何か言葉を発するたびに、彼女は目を潤ませて殿下の袖を引き、「リリア様はどうしてそんなひどいことを言うのですか」と言うのだ。


 それでも私は公爵令嬢としての礼儀を守りながら、いつか誤解が解けると信じて過ごしてきた。


 だが今夜の夜会で、そんな私の祈りは打ち砕かれた。

 婚約破棄だけならまだしも、クラリッサの讒言によって、私に悪女のレッテルが貼られてしまったのだ。


 夜会の場で婚約を破棄されるなど、前代未聞の大事件である。


 それでも私は、内心の衝撃をおくびにも出さず、毅然とした態度を貫いて頭を下げた。


「……畏まりました。殿下がお望みなのであれば、私も異論はございません」


 しかし、その直後にクラリッサが私を嘲るように、嫌味な声を上げる。


「まあ、リリア様たら潔いのね。そんなに簡単に退いてしまわれるなんて。悪事が露見したから仕方ないからかしら」


 その言葉に、私の頭の中で、何かがプツリと切れた音がした。


 いつかは真実が明らかになると思って我慢を重ね、いつかは殿下がきっと私の言葉に耳を傾けてくださると信じていた。


 しかし結果として私の名誉は傷つけられ、もう取り返しのつかない地点まで来てしまった。


 周囲から聞こえるざわめきや失笑、同情や好奇の視線。


 ――ああ、もうどうでもいい。

 私は心の底からそう思った。


 まさかこんなことになるとは思わなかったけれど、もしかして、という予感があった。


 事前にお兄様から、他国での婚約破棄騒動の話を聞いていたのが幸いした。

 後で陛下も含めて話をさせてもらおうと思ったけれど、これから反撃を開始させて頂きます。


「私がクラリッサ嬢をいじめた事実も、彼女の立場を嘲笑した事実も、一切ございません。私の周囲の知人や関係者から証言を取りましたが、彼女の主張に具体的な裏付けはなく、逆に私が無関係なところで彼女から嫌がらせを受けていたという確たる証言がございます」


 堂々と言うと、ヒューバート殿下は少し気押されたように見えた。


「証拠だと?」

「ええ。こちらに」


 私は控えていた侍女に合図をして、書類の複製を持ってこさせ、殿下に渡す。


 クラリッサが現れてからというもの、私が誰かが苛めただとか、贈り物を横取りしたという、悪質な噂が流れた。

 誰が噂を流したのか突き止めようとしたけれど、残念ながら決定的な証拠を掴むには至らなかった。


 そこで私は、この一年間にあった不可解な出来事を整理した。

 感情的に騒いでも事態は好転しない。私は本質的に、理詰めで問題を解決するタイプなのだ。


 貴族社会は面子と証拠が物を言う世界だ。


 私が被害者であることを証明するには、クラリッサの悪行の動かぬ証拠を集める必要があるし、さらにヒューバート殿下の愚かしさ――いや、彼の不誠実さを公に示さねばならない。


 さっそく私は、各地の領地に駐在する公爵家の協力者や情報屋に連絡を取って、クラリッサの素性と過去の言動を徹底的に調べてもらう手配をした。


 少々強引かもしれないけれど、公爵家の次期当主で、王太子殿下の側近である兄が動けば、王宮周辺の話も調べられる。


 情報屋や兄のつてをたどり、色々と調べを進めるうちに、驚くべき事実が続々と浮かび上がってくる。


 なんと、クラリッサ・ユールは、身分を偽っているらしいのだ。


 表向きは「平民に近い地位の男爵家」とされているが、実は別の国の没落貴族が移り住んだものだった。


 それだけならまだしも、その一族は過去に反逆罪で処刑された家系に繋がっていた。

 それを隠すために王家に取り入ろうとしていたらしい。


 さらに、違法な魔法道具の密輸に関与している、という疑惑も浮かんできた。


 そもそも、別の国で没落したのも、その違法な魔法道具を開発販売していたからだったのだ。


 もちろんこの情報はまだ裏を取れていない部分も多く、単純に「魔法道具を売買しただけ」という話ならば、決定的な罪に問えるかどうかは分からない。


 しかし、もし本当ならば、彼女が王家に近づくのはなんとしても阻止しなくてはならない。


 私は確たる証拠が欲しくて、危ないと承知の上で、さらに深く調べさせることにした。


 すると、兄が私を心配して「自分も動く」と言ってくれた。

 兄は公爵家の後継者として優秀で、王太子の側近かつ同級生で親友だから、王宮内でも顔が広く、心強い。


 そんな兄が「ヒューバート殿下の周辺情報もちょっと怪しい」と眉をひそめた。


「怪しいって、具体的に何が……?」


 兄が言うには、どうやらヒューバート殿下は『英雄願望』が非常に強いらしい。

 何か大きな手柄を立てて、兄である王太子アルフレッド殿下以上に注目されたいのだとか。


 そのために、クラリッサの哀れな境遇を救うという形で美談を作ろうと躍起になっているのではないかというのだ。


「それに殿下は『自分の見初めた娘を王妃にしたい』という思いが強いみたいだ。クラリッサの真っ赤な嘘を丸呑みしているんじゃなくて、嘘だと分かっていても利用している可能性もある」


 そう言われると、何も知らないというわけではなく、殿下自身にも悪意があるのだろうか。それなら、ますます許せない。


 すべての証拠が揃ったのが今日だったのは幸いだった。

 私は、一つひとつ証拠書類を読み上げていった。


 クラリッサが私の署名を偽造して領内の有力者に手紙を送っていたこと。

 私の学友に、私の悪い噂を吹き込んでいたこと。

 また、平民の同級生に金銭を渡して、私の制服をわざと汚したこと。


 これらはすべて、私が独自に調べて掴んだものではなく、公爵家の正規のルートを通じて証拠を固めたものだ。

 証人の文書は公証人立会いのもとに書かれており、信用性も高い。


 読み上げるうちに周囲の空気が変わっていくのを感じた。

 クラリッサの言っていた私の悪行が、実はクラリッサ本人のやっていたことだと分かってきたのだ。


 すでに参列している王宮関係者の何人かは、落ち着かない様子で互いに目を合わせている。

 親族として列席している私の家族だけが、冷静に成り行きを見ていた。


 次に私は、クラリッサ自身の出自の疑惑について切り込んだ。


「彼女の家は単なる男爵家ではなく、外国で反逆罪を起こしたとされる一族に連なっているという疑義もあるようです。もちろんそれだけであれば罪には問えません。けれど、その一族は違法な魔道具を作って国家転覆を企んだのです。そしてクラリッサの家はその魔法具の密輸に関与している可能性があります」


 そう言って、私は兄や情報屋から入手した資料を示した。


 そこにはいくつかの具体的なやり取りの記録や、供述した商人の証言などが含まれている。


「これが事実であれば、王家にとって大問題です。ヒューバート殿下が私と婚約破棄してクラリッサと婚約することにでもなれば、国家にとって由々しき事態になるでしょう」


 私の言葉に、ヒューバート殿下の顔が真っ青になる。


「なんで私の邪魔をするのよっ!」


 クラリッサ・ユールは今までのしおらしい態度が嘘のように、目を吊り上げて叫んだ。


 学園の卒業式に続く夜会――その場での公開処刑のつもりが、いつの間にか逆の展開となっていることに焦りを感じたのだろう。

 彼女は激昂し、ついに素の口調を晒してしまった。


 卒業式も兼ねたこの夜会では、ヒューバート殿下とクラリッサが私を糾弾する側、私が断罪される側――という構図で幕を開いたはず。


 けれども、私が集めてきた証拠の数々が周囲に知れ渡った今、空気は一変している。


「邪魔を……する?」


 私があえて冷静な口調で尋ねると、クラリッサは慌てて口をつぐんだ。


「そ、そうよ。リリア様が私に嫉妬しているからって、でっち上げの罪を着せようとしているのは明らかだわ!」


 激しい口調だが、震える声の端々に明らかな動揺が見え隠れしている。


 王太子アルフレッド殿下の弟として生まれながら、独自の政治力を発揮したいヒューバート殿下は、まるで美談を作り上げるための道具のようにクラリッサを利用していた。


 そしてクラリッサにも自分なりの野心があり、互いに利益を求めあって、私を陥れようと画策していた――というのが兄の調査で判明した事実だ。


「私はただ事実を示しただけです。皆様もご存じのとおり、この証拠は公爵家の正式なルートで集めたもの。私が個人で捏造できるものではありません」


 私は遠巻きに見ている王宮関係者へと一礼する。


 緋色のドレスを纏ったクラリッサは、蛇のように目を細めると、その場でヒューバート殿下の腕を掴んだ。


「ヒューバート様……! こんなの全部嘘に決まっていますわ! だって、この人は昔から私をいじめて――」

「クラリッサ、もうやめろ」


 ヒューバート殿下が低い声で制する。

 先ほどまでの威勢はもはやない。殿下の顔色が悪いのは、王族としての面目丸つぶれの状況を理解しているからだろう。


「やめろって……だって、あんなの、ただの――」

「黙れと言っている」


 ヒューバート殿下はクラリッサの手を乱暴に振り払った。

 それは、つい先ほどまで彼女をかばい続けていた人間の態度とは思えないほど冷たいものだった。


 周囲の貴族や学園関係者は、騒然としながらも黙って二人のやりとりを見つめている。


 これだけの証拠が提示され、さらにクラリッサ自身の素性や違法魔法道具の密輸への関与が疑われている以上、もはや擁護しきれない。


 ヒューバート殿下は、悔しそうに顔を歪めながら私を見やる。


「リリア……。お前がここまで手を回していたとは」

「手を回すとは心外ですね。あくまでも自分の身を守るためにしたことです。私が動かなければ、公爵家や領地、そして王家にまで被害が及んだかもしれないのですから」


 私は一歩踏み出すと、殿下をまっすぐ見据えた。これまでの私なら、こんな態度は決して取れなかっただろう。

 けれど、私は公爵家の誇りを胸に、絶対に泣き寝入りはしないと決めたのだ。


 と、大きな音を立てて会場の扉が開いた。

 その瞬間、騒然としていた場の空気が、すうっと凍る。


「これは……王太子殿下……!」


 人々がざわめきの中でひれ伏す。そこに現れたのは、王太子アルフレッド殿下だった。


 穏やかな表情を湛えながらも、王族らしい鋭いまなざしで会場を見渡す。

 ヒューバート殿下が、いたずらが見つかって叱られる子供のように身をすくめるのも無理はない。


「今日は弟の卒業を祝おうとやってきたのだが……この騒ぎはなんだ」


 アルフレッド殿下は周囲の者に促され、ゆっくりと壇上へ進む。そこには、さきほどまで私が読み上げていた証拠書類の束が置かれていた。


 そして殿下は、ちらりと書類に目を通すと、数枚を手に取り、短く声を発する。


「なるほど。ヒューバート――これはどういうことだ? 卒業式で大々的に婚約者を断罪したと報告は受けていたが、聞いていた話とはだいぶ違うようだね」


 ヒューバート殿下は明らかに焦りながら答える。


「兄上……。これは、その、リリアの……いいえ、リリアが……」

「ああ、リリア嬢が悪女だとでも? だが今見たところ、証拠が示すのはクラリッサ嬢の方が悪事を働いていたという話だ。異国の没落貴族で反逆罪を犯した一族……さらに違法な魔法道具の密輸疑惑、か」


 アルフレッド殿下に疑惑を知られて、クラリッサの顔面は見る見るうちに青ざめる。

 先ほどまでの上品な令嬢の仮面を保っている余裕など、とうになくなっていた。


 私から見ても王太子アルフレッド殿下は公正なお方だ。

 だが、幼少の頃から多少の面識はあるものの、今回の件で私のことをどれだけ信じてくださるかは未知数だった。


 しかし、実際に殿下は裏を取っておられたのだろう。私の提示した証拠を目にしても、全く動じていない。


 むしろヒューバート殿下の醜態を前に、厳かな静けさで場を支配している。


「クラリッサ嬢」


 アルフレッド殿下が淡々と名前を呼ぶ。

 その声には、王家の責任者としての重みが宿っていた。


「あなたの家の出自、及び違法な魔法道具の件については、私のもとにも既にいくつかの告発が届いている。もし事実ならば、あなたは国家に仇なす危険人物だ」


 王太子殿下が断罪の言葉を口にするや否や、クラリッサはギョッとした表情で後ずさった。


「そ、そんな……私は、ただ……」

「……ただ、何だ?」


「私は、私はただ……素敵な殿下に救われる平民出身の令嬢として、貴族社会に受け入れられたかっただけですわ! そして、そして……」


 自棄を起こしたのか、クラリッサは懇願するようにヒューバート殿下に腕を伸ばすが、もう彼が手を取ることはない。


 彼はむしろ顔を背け、握りこぶしを作っている。

 そんな様子を見て、アルフレッド殿下は軽く嘆息し、続けた。


「そして――何だ? どうやらヒューバートの英雄願望とやらを利用して、あなた自身の立場を得ようとしたらしいが、その過程でリリア嬢や公爵家を陥れる行為に出たとなれば、最早言い逃れはできん」


 会場内の空気がざわざわと揺れる。

 ――ここで私が決定打を打たねばならない。


 私はクラリッサに向き直り、はっきりとした声音で言う。


「クラリッサ嬢、あなたは悪評を押し付けたり、私の署名を偽造したり、裏で工作を続けていましたね。その理由は私を貶めて殿下の寵愛を奪うためでしょう。でも、それだけならまだ『醜い嫉妬』の域を出なかったかもしれない。けれど――」


 私は資料を一枚掲げる。それは、クラリッサが国外の商人と違法魔法具のやり取りをしていた証言がまとめられたもの。


「国家を転覆させる恐れのある危険な道具を、あなたは持ち込もうとしていた。これで何をしようとしていたのか、まだすべては解明されていませんが……いずれにせよ、これは重大な犯罪行為となり得ます」


「違う! 私は、ただ……その魔法道具を……ヒューバート殿下がもっと注目されるように、少しだけ協力しただけで――」


 クラリッサの言葉に、会場が凍りつく。

 もし彼女が言うことが事実ならば、ヒューバート殿下自身もそれを承知で利用していた可能性がある。人々の視線が殿下へ集中する。


 殿下は激しく首を振って否定した。


「馬鹿を言うな! そんな事実はない! 俺はそんな……法に触れるような真似まではしていない!」


 殿下の動揺した声は、むしろ無自覚ゆえに巧妙に利用されていたことを示しているともとれる。だが、その声はもう届かない。周囲の空気は冷え切っている。


 アルフレッド殿下は苦々しい表情を浮かべ、弟を見る。


「ヒューバート、いくらなんでも軽率すぎるな。お前が王族として大きな手柄を立てたいと考えるのは勝手だが、慎重さを欠いた。しかも、正式な婚約者であるリリア嬢に対して、まるで悪女の烙印を押すような真似までして……もはや弁解の余地はないだろう」


「兄上、それは――」


「私が、今回の件を深く調べていなかったとでも思うか? 公爵家に連絡を取り、リリア嬢の話を聞くまでは、私もただの痴話げんかかと思っていた。だが、彼女から提示された証拠はあまりにも明確すぎる」


 その問いにヒューバート殿下は何も言えなくなる。

 ――これで、ヒューバート殿下は完全に詰んだ。


 殿下が黙り込んだまま身動きできなくなったところで、アルフレッド殿下は人払いを指示した。


「一度、ここにいる方々には退席いただこう。これは王族と公爵家をはじめとする限られた当事者の間で処理すべき問題だ」


 会場を埋めていた生徒や貴族たちが、一気にどよめきながら退場していく。

 私の兄や公爵家の関係者、学園の学長や王宮の高官ら、そしてヒューバート殿下、クラリッサだけがその場に残された。


 まったく……とんだ卒業式になってしまった。


 場を仕切った王太子アルフレッド殿下は静かに口を開く。


「さて、本来であれば晴れがましい旅立ちの日である卒業式の場で婚約破棄を宣言するなど、前代未聞の醜態だ。リリア嬢には、公爵家を代表して、あらためて謝罪させていただく」


 殿下が頭を下げたため、私は慌てて「とんでもありません」と応じる。


「ヒューバートは、第二王子としての立場をわきまえた上で、リリア嬢との問題を当人同士の話で解決すべきだった。なのにヒューバートは、公衆の面前で事実無根の悪評を押し付け、挙げ句の果てに婚約を破棄した。その結果、国王陛下からは『ヒューバートを厳しく処分せよ』との勅命が下っている」


 ヒューバート殿下は暗い顔をしながらうつむく。


「……処分、ですか」


「そうだ。いくら弟とはいえ、王家の名誉に泥を塗った責任は重い。具体的には、まず王位継承権を凍結し、さらに辺境の領地で奉仕活動に従事させることになるだろう。お前にとっては屈辱かもしれないが、自業自得だ」


 ヒューバート殿下は唇を噛みしめる。

 あの高慢な彼が、こんなにも萎縮している姿を見る日が来るとは思わなかった。


「クラリッサ嬢については……王家として厳重な取り調べを行う。事実であれば、罪は非常に重い。王国への反逆を企てた一族につながる身として、しかも違法な魔法道具の流入に関わったとなれば、これは下手をすれば死罪に相当しかねない問題だ」


「そ、そんな……私、そんなつもりは……!」


 クラリッサは震える声で言葉を継ぎ、ヒューバート殿下に縋ろうとするが、殿下はもはや彼女を見ようともしない。

 結局は利用し合っていただけの関係だったのだから、その結末は冷たいものだ。


 それからしばらくして、卒業生である私の家族として列席していた私の兄が進み出て、王太子殿下に頭を下げる。


「王家として厳粛なご判断を下していただき、深く感謝いたします。リリアが受けた屈辱は、公爵家としても無視できるものではありませんでした。しかし、こうして真実を示すことで、わが家の名誉も回復されるでしょう」


 殿下は頷き、私の兄と視線を交わした。


「公爵家には色々と尽力してもらった。もし、ヒューバートがさらに無茶な真似をしていれば、王家も取り返しのつかない事態に陥っていたかもしれない。……リリア嬢にも辛い思いをさせたな」


 アルフレッド殿下から直に労わりの言葉をかけられ、私は胸が熱くなる。

 けれど、ここで感傷に浸っていても仕方がない。


 私はしっかりと腰を落としてお辞儀をした。


「私がしたことは、自分自身と公爵家を守るためです。ですが、結果として王家に損害が及ばず済んだのであれば幸いに思います」







 後日、国王陛下の裁定が下りた。


 ヒューバート殿下は王位継承権の停止。これは事実上の剥奪に近い。

 そして辺境での奉仕活動と領民支援への強制従事だ。


 王都で甘やかされた生活を送っていた殿下には、辺境での暮らしは厳しいものになるだろう。


 クラリッサ・ユールは、取り調べ後に罪が確定すれば、死罪もしくは終身刑となることが決まった。


 そしてもちろん、私とヒューバート殿下の婚約は正式に破棄された。

 私たち公爵家は、正式に今回の婚約破棄についての発表を行った。


 そこでは、クラリッサの不正の証拠や出自の問題を提示し、合わせて私とヒューバート殿下の婚約が双方合意のもと解消されたことを強調した。


 王太子アルフレッド殿下もこれを承認し、王家と公爵家の間に波風が立たぬよう配慮してくださった。


 むしろ、私が提示した証拠のおかげで、王家の不祥事を未然に防いだという形に落ち着いたのだ。


 結果として私の名誉は回復され、むしろ「公爵令嬢リリア=セレスティアは冷静な判断力と行動力を持つ才女だ」という評価が広まることとなった。


 学園を卒業したので、これからは実家である公爵家に戻って、領地の統治や新たな学問の研究に取り組む予定だ。


 王宮からは「ぜひ人材として力を貸してほしい」と打診があったが、あれだけの修羅場をくぐったばかりだ。まずは自分の時間を取り戻したい。


 朝の光を浴びながら、私は自室の窓を開けて、青空を見上げる。

 ヒューバート殿下との結婚生活を夢見ていた頃の私はもういない。


 大きな挫折と痛みを味わったが、それでも今は清々しい気持ちだ。

 これからは、私自身が思う道を進めばいい。 


 誰かに一方的に従うのではなく、公爵家の一員として、そして一人の人間として、領地の発展や国の安定のために知恵を絞りたい。


 ふと、机の上に置かれた一通の手紙に目が留まる。差出人は王太子アルフレッド殿下だ。

 なんでも正式に「宮廷内の研究機関へ協力してほしい」という要請らしい。


 クラリッサの事件にも関わる違法魔法道具の捜査や、今後の管理体制を整えるために、私のように冷静に状況を判断できる人間を求めているのだろう。


 手紙には丁寧な言葉で、「貴女の知性と公正さを必要としている」と書かれていた。


 昔なら、王家からの依頼など即座に舞い上がってしまいそうだが、今の私はどこか落ち着いている。


「……さて、どうしましょうか」


 声に出して独り言を言う。答えはすぐには決めず、まずは公爵家のことを最優先しよう。


 王太子殿下が誠実な人物であるのは、この一件で十分わかった。

 お兄様の親友でもあるし、いずれは手を貸す機会もあるかもしれない。


 だが、それは私が望むからであって、誰かに強制されるからではない。


 私は手紙をそっと引き出しに仕舞う。


 眩しい朝日の中で深呼吸をすると、心が満たされていくのを感じた。


 あの屈辱的な公開処刑というかたちで婚約破棄を突きつけられた夜から、まだ日も浅い。けれど、私にとってはもう過去の出来事だ。


 男爵家の偽りの令嬢と、自分の嘘に酔いしれた第二王子は、これから厳しい未来を迎えることになる。


 自業自得とはいえ、かつては愛した人が落ちていく姿を見るのは、胸が痛む。


 だけど、それも一瞬だけ。


 ざまぁみろと言う気持ちが、まったくないとは言わない。

 でも、私にとって最も大切なのは、これからの人生だ。


 もう私は泣かない。


 淡い恋心は無残に踏みにじられてしまったけど、すべてを失ったわけじゃないし、むしろ余計なしがらみから解放された今こそが、私の物語の始まりなのだから。


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