回答編

 桜舞う木の下で、先輩は自らの答えを語り始めた。


「まず犯人についてだが、これは語るまでもない。部室には僕たち二人しか入れないのだから、犯人はいずれかになる。そして、僕が犯人でない以上、きみが犯人となるわけだが……」


「ええ、先輩。その理屈ですと『先輩が犯人だ』とわたしも主張できますね」


 わたしは『犯人』を全うする。

 先輩の推理を心地よく教えてもらいながら。


「そう。だから僕が犯人ではあり得ないことも証明する必要がある。確か、僕の詰襟はきみと二人でUSBメモリがないことを先ほど部室で確認したはずだ。そのときに詰襟を裏返しているから、二人ともが見落としたということもあり得ないだろう」


「そうですね」


「そしてそれ以降、僕は単独で詰襟に触れていない。きみの目がある中で、詰襟の裏ボタン代わりにUSBメモリを仕込むことは不可能だ」


「先輩。可能、不可能の話で言うなら、わたしはどうやってUSBメモリを入手したんですか? 色々と探し回りましたが、そもそも先輩の記憶では、朝の時点で小物入れに鍵をかけてしまっていたんですよね?」


「ああ。そちらについても問題はない。武田くん。まず、鍵は合鍵を作っておけば良いのさ。小物入れはきみが部室に持ってきたのだから、あらかじめ合鍵を作ることは造作もない」


 あっさりと言い当てられる。

 実際は購入時点で鍵は二つあり、そのうちの一つを持ってきていたのだけれど。

 予備の鍵は正解と言ってよいだろう。それに結局、アリバイは崩されているのだから。


「鍵を開けられるとして、いつ開けたんです? わたし、卒業式には出席していますよ」


「そうだろうね。卒業証書授与のとき、きみの姿を探して見つけたから」


「んなぁっ」


 不意打ちだ。推理モードでしょう、今は。


 顔が熱いまま先輩の方を見るけれど、先輩は特に変わらない様子で推理を続けた。


「だが、卒業式のあとはどうだろうか。卒業生が退出してから僕が部室に入るまで約40分。その間、きみは何をしていたのかね」


「体育館の片付けをしてました。片付けが終わったのは先輩が部室に来るよりも後の時間でしたよね? 先ほど部室で整理した時刻表によれば」


「ああ、そうだね。だが卒業式は1時間半ほどの長丁場だ。終わったあと、片付けの際に手洗いなどでその場を離れても咎められることはないだろう」


 先輩が言葉を止める。

 そしてわたしの目を見て、さらに言葉を続けた。


「さらに言えば、仲の良い友人が確か同じクラスにいたね? そう、『最初の事件』の……関係者である彼女だ。卒業式の片付けは猥雑な状況下。他人の協力があれば、多少長く抜けることも可能かと考えるが」


 関係者、か。『犯人』と呼ばないのはわたしへの気遣いなのだろう。

 

 わたしの筆箱を隠した犯人。

 これは明かされることはなかったのだから。

 

 隠された筆箱を先輩が見つけてくれたお陰で彼女は犯人と確定せず、わたしと彼女は決定的な関係の破綻を迎えることはなかった。

 むしろ無理矢理に巻き込まれた捜査の中で、わたしと彼女は互いの内心や事情を知ることができたと思う。


 筆箱が無くならなければ、わたしは自己中根暗な自意識過剰人間のままで、筆箱を見つけてもらえなければ、ずっと知らない誰かに敵意を撒き散らすような人間になっていたんじゃないだろうか。


 それが今や、彼女とは親友と言っても差し支えない仲である。


 そういうことをずっと、先輩はこの学校でやってきたのだ。

 関係の断絶がある人における誰かの死であるならば、先輩は殺人事件が起きる前に防いでしまう、誰よりも優れた探偵だった。

 

「いずれにせよ、武田くんは卒業式のあと部室を訪れることができた……どうかね、この点で反論はあるかね?」


「いいえ」


 満点です。先輩。

 ありがとうございます。先輩がきっかけをくれた、わたしの友達に気付いてくれて。


 あとは一つ。

 わたしの想いを明らかにしてもらうだけ。


「けれど先輩。わたしがUSBメモリを手に入れたとして、どうやって詰襟の裏に固定することができたんですか? 詰襟は二人で中を検めたあとにわたしが預かりましたけど、ボタンの裏側にUSBメモリをぐるぐる結びつける余裕なんてありませんでしたよ」


「確かにそうだろうね。誰にも『僕たち二人で確認した詰襟』にUSBメモリを仕込むことは不可能だった」


 真っ直ぐこちらを見て断言される。

 きっともう、先輩の中で解は確定しているのだろう。


「それじゃあ、どうしたっていうんですか?」


 もはや声に期待が混じることを止められていない。


「簡単なことさ。『詰襟は二つあった』のだよ。『僕たちが確認した詰襟』と『僕が今着ている詰襟』は別物だった」


「そんなことが本当に可能ですか? 具体的に教えてください。それぞれのタイミングで詰襟はどちらだったのか。いつ、入れ替えられたのか」


「もちろん答えるとも。まず初めに僕が着ていた詰襟、これを詰襟(真)としよう。武田くん、僕は後から部室に来たきみにこれを渡したね。最近の日常通りに」


「はい、受けとりました」


 三学期の始まりから行っていたこの習慣は全てこの日のためだった。

 詰襟を受け取ってハンガーに掛ける……この行為でなんとなく新婚気分を味わえたのは副次的な効果だった。だってば。


「そこだ。つまり、朝一番に入れ替えが行われたのさ。詰襟(真)を渡した僕はパソコンに向き直ったし、間仕切りはいつものように閉められた。応接スペースできみは比較的自由だったはずだ。ここで詰襟(真)を詰襟(偽)と取り替え……」


「先輩。その詰襟(偽)はどこから出てきたんです。詰襟はどれも畳み皺がありませんでした。鞄の中に入れていたりするのは不可能です」


 先輩の詰襟はいつもパリッとしていた。

 それは購入した詰襟を入れ替える点においては有利だったけれど、偽物に皺をつけてはいけない、というのはやはり対策が必要だったのである。


「そう、詰襟(偽)は鞄の中にはなかった。登校時に着ていたきみのダッフルコート。あの内側にあったのだよ。詰襟(偽)の上からコートを羽織り、前をしっかりと閉じてしまえば詰襟はまったく見えなくなる。何なら、僕が今着ている詰襟で試してみるかね?」


 甘い誘惑だった。

 けれど、そんなもの着てしまえば冷静な振る舞いができるわけないからダメである。


「いえ、結構です。続けてください。わたしはどうやって詰襟を入れ替えたんですか」


「では続けよう。きみは僕から受け取った詰襟(真)をハンガーラックに掛けたあと、その上にコートを掛けた。その上で、さらに着ていた詰襟(偽)をハンガーラックに掛けたのだ。これでハンガーラックに掛かっている詰襟は詰襟(偽)だけに見える」


「では」


「ああ。『僕は詰襟(偽)を着て卒業式に出席した』のさ。そして、再び詰襟が入れ替えられるまで、部室の中にはフリーな状態で詰襟(真)が存在していた。そう、卒業式の後の片付け時間。USBメモリと詰襟(真)をきみは自由にすることができた。10分もあれば、詰襟の裏ボタン代わりにUSBメモリを仕込むこともさほど困難ではない」


「……もう一回の詰襟は入れ替えは、どうやったんだと思います?」


「これはより簡単な話だ。詰襟(偽)を二人で確認したのちに、詰襟(偽)は片付けられた。部室の片付けに使っている段ボール箱あたりに詰襟(偽)が入っているのではないかね。そして詰襟(真)はコートを隣のハンガーに掛けてしまえば、あたかも今掛けられたように現れる、という寸法だ。もし異論があるなら、詰襟(偽)を探しても良いが、どうかな」


「いいえ。大丈夫です。……流石ですね、先輩」


 ミステリならこれで詰み。

 物証を発見される算段がついた時点で犯人は動機を自白して〆なのだろう。


 けれどこれはホワイダニットを先輩に伝える事件であるために。


「先輩。最後にひとつだけ。わたしがどうしてこのような犯行を犯したのか。それを明らかにしてください」


 わたしは最後の謎をかけるのだ。


「部室を出る頃にはもう、おおよその見当は付いていた。そして……二人きりでない間だけ隠された詰襟の意味に。第二ボタンの裏側に仕込まれたUSBメモリの意味に、気付かない僕では、ない」


 先輩の指によってUSBメモリに力が込められる。

 裏ボタンの機能を果たしていたそれは、詰襟に開けられたボタン用の穴に押し込められ、そしてするりとその身を通した。


 握られる。

 先輩の手にUSBメモリと、先輩の第二ボタンが。


 そして。


「好きだ。きみに受け取ってほしい」


 それらはわたしの胸の前に差し出された。


 きっと、時間は止まったと思う。


 舞い落ちる桜も、体育館の喧騒も、太陽を回る地球だって止まって、世界はわたしと先輩だけに違いなかった。


 男らしいしっかりとした手。

 心臓を意味する第二ボタン。

 わたしたちの想い出が詰まった活動記録。


 それらを見つめるわたしの瞳はきっと熱を帯びている。


 だって。

 ありふれた、けれど、わたしだけの犯行動機恋する気持ちはもう、身体中から溢れてしまって堪らないからだ。


「わたしもずっと先輩が好きでした!」


 今まで出したことの無いような大きな声を出しても、まだ足りない。

 衝動に突き動かされるまま、飛び込むように身体が前に動いた。


 抱きついた全身が熱い。

 あんなに欲しかった第二ボタンが今は目に入らない。


 力強く、けれど早鐘を打つ先輩の心臓を。

 わたしの身体を受け止める先輩の体躯を。

 遠慮気味に回された先輩の腕を。


 ずっとずっと全身で感じていたいと、そう思った。


 紅く染まる桜の葉の下で始まったわたしの恋は、満開の桜の花の下でいま。

 瑞々しいままに実ったのである。

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高校生探偵『仁科盛勝』の卒業 さいか @saika-WR

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