高校生探偵『仁科盛勝』の卒業
さいか
出題編
これはミステリと言うにはあまりに甘い出来事だ。フーダニットは明白で、ハウダニットも稚拙に過ぎる。
USBメモリの紛失事件。
これはホワイダニットをかの名探偵に伝える、そのためだけの、わたしから彼に送る挑戦状なのである。
◇
3月4日11時42分。
二年四組、
教室に戻ったわたしは『第二ボタンもらいに行こ♪』などと浮き足立つ級友を視界の端に捉えながら彼を待っていた。
彼。そう。
「武田くんっ!」
今しがた教室のドアをガラリと開けて入ってきた探偵部の部長、仁科盛勝である。
相も変わらず、無駄に整った顔をしている。
角ばって引き締まった輪郭に、裸眼2.0の大きな瞳、斜めに上がる太めの眉毛、眉間から真っ直ぐ高く伸びた鼻。
全体的に『直線』な、男の人らしい顔つきと言えるだろう。
教室中の視線を一手に集めながら、わたしは努めていつもの調子で彼の元へ歩く。
そのまま彼の姿を観察すれば、詰襟の胸ポケットに卒業を祝うリボンが飾られているのが見てとれた。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「祝いの言葉をありがとう、武田くん。だが、それどころではないのだよ。今から時間はあるかね?」
よほど急いで走ってきたのだろう。
額にはじわりと汗が浮かんでおり、常に紳士たらんとする先輩の息が上がっている姿はとても珍しいものだった。
「はい、少しお待ちください」
答えて、後ろを振り向く。
そこには先程まで話していた友人が様子を見に近づいていた。
「……良いかな?」
「良いんじゃない。卒業式の片付けも終わったし、みんな自由解散でしょ。私も今日はもう帰るから、ヨリコも好きにしな」
ひらひらと後ろ手に手を振る友人に対し、改めての感謝で頭を下げた。
本当に助かる。
彼女の言葉はあまりに自然で、このやり取りに先輩が違和感を覚える可能性は皆無と言えるだろう。
「お待たせしました。どうしたんですか、そんなに息を切らせて」
「うむ。ここで話すような内容ではなくてね、部室まで一緒に来てくれたまえ」
教室内にはまだ生徒が残っている。他人には聞かせたくないということだろう。
……或いは『現場で』話した方が話が早いと考えたのかもしれない。
「承知しました。行きます」
「うむ。では行こう」
そう言って歩き出す背中に対し、気持ち早足でついて行く。
大柄な先輩と、小さなわたし。コンパスの違いは出会った当初から存在して、真っ直ぐに進む彼と同じスピードで歩くには、いつだってわたしの努力が必要だった。
少しだけ寂しさを感じるその事実にしかし、今だけは感謝する。
だって今から行う犯行の仕上げに心臓は暴れ回っていて、その動悸を紛らわせてくれる早足は僥倖以外の何者でもないのだから。
◇
探偵部、と言っても学校から正式に認められた部活ではない。
所属部員は先輩とわたしの二人だけであり、部室も体育館脇にある部室長屋の一室を不法に占拠しているという体たらくだ。
ただ、黙認はされていた。生徒から、そしておそらく学校側からも。
『学校という場所はよく物が失くなるところ』であり、先輩は間違いなくそれらを探し出す探偵だったから。
1年半前、わたしの筆箱を見つけ出してくれたときから、今までずっと。
彼はこの学校におけるシャーロックだった。
◇
長屋の廊下を抜け、部室の前に立つ。
扉の取手にはナンバープッシュ式の鍵ボックスが掛けられており、先輩が手元を隠しながら操作する。
『1・3・5・9』
この番号はわたしたち二人しか知らない。つまり、部室内でなんらかの事件が生じた場合、わたしたち二人に容疑者は絞られることとなる。
誰かが部室扉の合鍵をあらかじめ作っておいたならば、その限りではないけれど。
金属製の一般的な鍵を取り出し、先輩が扉を開く。
「まあ座りたまえ」
促され、机を挟んでソファに腰掛ける。間仕切りで区切られている部室入口側のこの空間は通常、応接用のエリアとして機能していた。
そこに座るということは、先輩は発生した事象を既に事件として捉えているということである。
「さて、武田くん。ご存じの通り、この部室にはこの扉の鍵を使わねば入れない」
「そうですね」
「にも関わらず、朝にあった活動記録のUSBメモリが無くなっている」
「大ごとじゃないですか!」
USBメモリには、これまでの一年半、先輩と解決してきた事件の記録が残っている。それには他人に見せるべきでない内容も含まれていた。
「そう、大ごとなのだよ」
「えぇ……。USBをしまってた小物入れも無くなってるんですか?」
「いや、それは確認できた。奥に来たまえ」
間仕切りはいつもより閉じられていて、奥の事務エリアにあるパソコン机が見えるようになっていた。先輩が元に戻さないまま教室に来たのだろう。
事務エリアには、壁に向かう方向に机が置かれており、足元にはデスクトップパソコンが置かれている。
机の上には、蓋の開いた小物入れがあった。ひと月ほど前にわたしが買ってきたものである。
「鍵は開いているが、僕が先に入ったときには閉じていた。つまり、こちらも誰かに破られたあと施錠されたということになる。武田くんがこの小物入れを部室に持ってきてから、鍵は常に僕が保管しているにも関わらず、だ」
小物入れは手のひらを思いきり広げた程度の大きさをしていて、蓋と本体は掛け金で閉じられるようになっている。
掛け金に通す付属の南京錠は小物入れそばに置かれていた。
そして肝心の中身は当然ながら空だった。詰襟のボタンほどの大きさをしたUSBメモリはどこにも見当たらない。
「……本当に無い。確かに小物入れに入れたんですか? ポケットに入れちゃったとか」
「ふむ。そうか。それならば、小物入れの中に入っていなくても不思議はないな」
「そうです。なんでも事件にする前に確かめましょう。ほら、制服渡してください。調べますから」
大胆に。
不自然さを隠しきれない提案をいけしゃあしゃあと口にする。
「確かに。僕は今、探偵でありながら容疑者でもあるわけだからね。身の潔白を晴らさせてもらおうか」
先輩が詰襟を脱ぐ。いつも見ているその仕草だけど、いつも通り少しだけ頬が熱くなる。
詰襟は高校指定のものであり、デパートに行ってサイズを指定すれば誰でも同じものを用意できる。……それでも先輩の詰襟はわたしにとって特別なものだけれど。
手渡された詰襟を、事務エリア中央に配置されたテーブルの上にそっと乗せる。
一つ一つ丁寧にポケットを漁っていくけれど特に何も出てこない。
続いて裏返し、裏ポケットもまさぐった。さらには裏ボタン(詰襟の表側にあるボタンを裏から止めているもの。表ボタンの裏側に出っ張っているフックを詰襟の穴に差し、裏からパチンと止めるボタン)も一つずつ確認して『詰襟に何も付属していないこと』を二人で検める。
「ありませんね。わたしのポケットも探してみますけれど……ないです。やっぱり」
スカートのポケットをまさぐり、USBメモリがないことを先輩と共有する。
「机の下とか落ちてませんか? パソコンから引き抜いたあと落としてしまった可能性もありますし」
「部室内の机や床は一度調べたのだが確かに洩れがある可能性はあるな。調べてみる」
「お願いします。先輩の詰襟、ハンガーに掛けておきますね。皺になってはいけないので」
「ああ、頼む」
先輩が机の下に潜り込むのを見届けながら、詰襟を手に取った。
それを片手で小脇に抱え、間仕切りのそばを抜け、もはや自動的なほどに慣れた流れで間仕切りを広げる。
部室の入口脇にハンガーラックはあって、ハンガーの一つには、わたしの通学用のコートが掛かっている。
コートは詰襟を包めてしまうくらいに大きい膝上ほどの長さのダッフルコートだ。
コートをハンガーから外し『先輩の詰襟』が一番扉から遠くなるように配置する。そして改めて、その隣のハンガーにわたしのコートを掛け直した。
それから少しして。
「武田くん! 机の下にもないようだ!」
「はい! 戻ります! ……っとと」
ハンガーラックそばに置いた段ボール箱に足をとられ、思わず声を声を上げる。
たったそれだけで。
「大丈夫かね!」
がたたん、と。
大きな音を立てながら間仕切りを開けて、先輩がこちらに飛び出してきた。
……ほんと不意打ちでときめかせにくるな、この人は。
「はい、平気です。それよりUSBはどうしたんでしょう。朝は確かに有ったんですよね」
「ああ。文書エディタ上で今朝の履歴が残っている。今朝の時点でUSBメモリが存在したことを証明するものだ」
「確かに。……先輩はどこにあると思いますか、USB」
外に。
わたしの最後の一手を完成させるために、何としても二人でUSBメモリを外に探しに行く必要がある。
けれど、そろそろ探偵に手番を回すべきであることも間違いなかった。
「そうだな。では、まずは状況を整理しよう」
そう言って先輩は部室最奥のホワイトボードの前に立った。
わたしの動きについても聞きながら、マジックで時系列を書き込んでいく。
『6時半前
仁科、部室に到着。
活動記録の編集を開始。
7時前
武田、部室に到着。
仁科、武田に詰襟を渡す。
武田、詰襟とコートを掛ける。部室の片付けを開始。
8時30分頃
仁科、ファイルを更新した後、USBメモリを小物入れに。→ただし武田の確認なし。
武田、詰襟を仁科に渡す。
仁科、詰襟を着る。
武田、コートは着ず。
仁科・武田、部室を出る。
8時30分
仁科・武田、それぞれの教室でホームルーム。
8時45分
武田含む在校生一同、体育館に移動開始。
9時15分
仁科含む卒業生一同、体育館に移動開始。
9時30分
卒業式開始。
10時45分
仁科含む卒業生一同、体育館から退場。
11時00分
卒業式、片付け開始。
11時25分
仁科、部室に到着。
11時28分
仁科、USBメモリが無いことに気付く。
11時30分
武田、片付け終了してクラスメイトと共に教室へ帰還。
11時45分
仁科、武田の教室に到着』
「ここまでが合流するまでの流れだな」
「はい、そうですね」
「付け加えるならば、校舎と部室は歩きで5分ほど。体育館と部室は歩きで数分もかからない、というところか。ふむ……」
先輩が口元に手を当てて黙り込む。
時折こちらをチラリと見てはすぐに視線を前に戻す。かと言えば、指先を虚空にくるくると回してみたりと、かなり落ち着かない様子で思考を巡らせているようだった。
「僕がUSBメモリを落としていた可能性を考えれば、やはり今日僕が移動した場所を探すのが良いと思うのだが、どうだろうね」
「はい、まずはそちらの可能性を潰していきましょう」
渡りに船の提案に、内心のガッツポーズを抑えて言葉を返す。
「よし、では行こうか」
「はい」
わたし・先輩の順に並んで部室の出入り口まで歩く。扉のそばには先輩の詰襟とわたしのコートが掛かっている。
「どうぞ」
先輩に詰襟を手渡す。
詰襟を受け取った先輩はそのまま袖を通した。ひとつ、ふたつ、みっつ。正面のボタンを順番に穴へ通していく。
「どうかしたのかね」
「はい。コートを着ようかどうか迷ってまして」
ボタンを止める様子を眺めていたのがバレないよう、いつも以上にフラットな抑揚で言葉を返す。
『先輩のボタンをわたしの手で止めること』を実行できなかった以上、ことさら自然に振る舞う必要があった。
「ふむ。少し冷えるが歩くからな。君の好きにすると良い」
「ええ。着ていきます。コート、気に入っているので」
コートを手に取る。ハンガーラックはいつものように空になった。
「では行こうか」
「はい」
そうしてわたしは先輩の後を着いていく。
先輩がホワイダニットをわたしに突き付ける、そのときを待ち焦がれるままに。
犯行は、すでに成し遂げられていた。
◇
先輩と歩く学校の中は、別れを惜しむ卒業生や在校生でいっぱいだった。
そのほとんどが見知った顔であり、関わってきた人の多さを改めて実感する。
そして何より感じることは。
「今日も探し物? がんばってね」
わたしたちにかけられる好意的な言葉たちだ。
探偵の助手として、わたしは色々な人に顔を覚えられているのだろう。
入学当時の根暗なわたしからは考えられないことである。
「最後に行きたいところがあるのだが、問題ないかね」
先輩がそんな言葉を口にしたのは空になった先輩の机の中を確認したときのことだった。
特に否定する理由も見つからず、首肯して後を着いてゆく。
「行き先が嫌だと思うようなら言ってくれたまえ。いつでも足を止めるから」
「はあ……」
いまさら校内で嫌なところなんて。
そんな思いを口から漏らしたわたしだったけれど、校舎を抜けた少しあとのあたりで先輩が向かっている場所に検討がついた。
そこは、校庭を挟んで校舎と反対側にある校門近くの一角である。
桜。
多くの学校に倣うように、この高校にも桜が植えられており、薄紅色の花を咲かせている。
綺麗だと思う。
わたしの筆箱が隠されていたときの、紅く染まった葉っぱしかない姿より遥かに。
「大丈夫かね?」
「特に問題は。桜、綺麗ですよね」
先輩は、きっとここがわたしにとって辛い記憶の残る場所と心配していたのだろう。
自分がいなくなってしまう前に、わたしがそれを克服できているか確かめたかったに違いない。
けれど、その心配は杞憂に過ぎなかった。
だってここは先輩がわたしの筆箱を見つけてくれた場所だから、辛い記憶であるはずがないのだ。
桜の真下へ二人して歩く。
すっぽりと真下へ入ってしまえば、陽光が桜の花に遮られて少しだけ暗い。
先輩が上を見た。
花びらの合間から光が漏れていて、それがきらめいて少し眩しい。
二人の間に言葉はなく、ただ花や葉が擦れる音だけが聞こえる。
そんな時間が少しだけ流れて。
ざあ、と風が桜の花びらを散らせた。
そして。
「USBメモリを僕の詰襟に仕込んだ人物は君だね。武田くん」
先輩が詰襟のボタンを外し、裏返して開く。
上から二つ目のボタンの裏側。ボタンの通し穴とUSBメモリのストラップ用の穴とが紺色の糸で何重にも結ばれて、けして外れないようにされている。
そのさまを、先輩は明らかにした。
ああ。
先輩はいつから、そこにあると気付いていたのだろう。
気付いていながら学校を回ってくれていたのだろうか。
気付いていながら桜の下まで一緒に歩いてくれたのだろうか。
それを含めた先輩の全て。
彼の語る答えがもう、待ち遠しくて仕方がなかった。
---
解くべき謎は下記の二つです。
・武田頼子はいつ・どのようにして、USBメモリを小物入れから取り出したのか。
・武田頼子はどのようにして、詰襟の第二ボタンの裏側にUSBメモリが結びつけられた状態にしたのか。
思考を巡らせていただけるならば幸いです。
---
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