【01-2】田村薫の回想―ジギタリス(2)
マイのお父さんはずっと心臓を患っておられたのは、さっき話したと思うんですけど、薬学部に入った今思うと、多分強心配糖体を服用されてたんじゃないかなと思うんですよ。
純子さんは分かると思うけど、ジギタリス系の薬剤です。
ジギタリスに含まれる強心配糖体って、昔から毒殺に使われたりするくらい毒性が強いんですけど、その反面18世紀から強心剤として使われるくらい、効果の高い成分なんですよね。
その代わり安全域が凄く狭くて、治療域を超えると重篤な副作用が発現するんですよ。
特に利尿剤と併用して低カリウム血症になると、心不全を起こし易くなるんです。
ちょっと前置きが長くなっちゃったんですけど、マイのお父さんの死因というのが低カリウム血症による心不全だったらしいんです。
でもそれまでの毎月の検査では、低カリウム血症の兆候はなかったそうなんですよ。
そのことはマイがお父さんから聞いていたらしくて、間違いないと思うんです。
じゃあ何故突然、低カリウム血症を起こしたのか。
それが料理の味に関係あるんじゃないかって、今になって思うんですよね。
何故かというと、マイに何か気になることないって聞いた時に、お父さんが結婚以来マサヨさんの作る料理が美味しくないって言ってたそうなんです。
ただそれをマサヨさん本人に言うと傷つくからと、マイはお父さんから口止めされてたらしいんですけどね。
でもマイが不審に思ったのは、マイが食べてたマサヨさんの料理はかなり薄味だけど、不味いとまでは思わなかったらしいんですよね。
だからお父さんが美味しくないって言うのが、よく分からなかったそうなんです。
そんなある日マサヨさんがいない時に帰宅したマイが、何気なくキッチンに入って、偶々見つけたのが<塩化カリウム>のボトルだったんですよ。
その時はまだ中学生だったし、<塩化カリウム>がなんだったのか分からなかったらしいんですけど、どうしてそんなものがキッチンにあるんだろうと、不思議に思ったようなんですね。
マサヨさんに訊いてみようかと思ったらしいんですけど、やっぱり気が引けたらしくて、訊かず仕舞いになったんだそうです。
ただ、マイとしては、お父さんがマサヨさんの料理が美味しくないと言うのが気になって仕方がなくて、食事の時にお父さんとマサヨさんがテレビに集中して眼を離した隙に、お父さんの皿の煮つけを食べてみたそうなんです。
そうしたら、お父さんの皿の煮つけの味が、自分の皿のものと全然違ってたらしいんです。
自分の皿の料理の味にはない、独特のえぐみがあって、確かに美味しくなかったそうなんです。
マイは驚いてしまって、思わず声を上げそうになったらしいんですけど、その時テレビの画面がCMに切り替わって、お父さんとマサヨさんが食卓に目を戻したので、ぐっとこらえたみたいです。
でもそれ以来、色んな事が気になりだしたみたいなんです。
一番気になったのが、マサヨさんはマイに一切料理や後片付けの手伝いをさせなかったそうなんです。
マイが手伝うって言っても、頑なに断られたみたいで。
最初は自分に遠慮してのことだろうと考えたそうなんですけど。
段々とマサヨさんが自分を、料理に関わらせないようにしてるんじゃないかと思うようになったんですね。
そしてもう一つ料理に関してマイが不思議に思ったのは、マサヨさんが必ずお父さんとマイの分を別々に分けて、器に盛っていたことなんです。
それって結構面倒じゃないですか。
例えばおでんだったら、食卓に鍋ごと置いて、それぞれが好きなものを取って食べたりしませんか?
でもマサヨさんは必ずキッチンでお父さんとマイの分を取り分けて、器に盛って出してたんだそうです。
お代わりの時もお父さんの分は必ず自分がキッチンに行って、盛ってきたそうなんです。
鍋料理の時もポン酢を食卓に置かずに、薄くなったらキッチンに行って入れ替えてきたそうなんです。
普通、そんなことしないですよね。
マイはマサヨさんがどうしてそんな面倒なことをするのか、不思議がってました。
でも、だからと言ってマサヨさんに何か不審なところがあったかというと、日常生活の中でそんなことは感じられなかったらしくて。
料理の味のことは、看護師のマサヨさんがお父さんの体調を考えて、何か工夫をしてるんじゃないかと考えたそうなんです。
お父さんの分にだけ、何か特別なものを加えてるんじゃないかと。
マイのその考えは、今になると正しかったんじゃないかと思えるんですけどね。
そして話はお父さんが亡くなった時に戻るんですけど。
お父さんが亡くなる少し前から、マサヨさんの料理の味が急に美味しくなったと言い始めたそうなんです。
勿論それはマサヨさんに対してじゃなくて、こっそりマイに仄めかしただけだったんですけど。
そしてお父さんが嬉しそうにそう言い始めてから間もなく、急性の心不全を起こして亡くなられたんです。
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