帰るまでの小冒険

先崎 咲

夜は静かに肌寒い

 寒空の下。はぁ、と息を吐いた。息は白く現れてすぐに消えた。駅のホームに人影は無い。

 寝過ごして終着駅まで来てしまった。しかも、乗っていたのは終電だった。自身の最寄りは快速なら終点まであと一駅の地点だが、各駅停車なら五駅ほどの距離がある。徒歩ならおよそ二時間。歩けなくはないが、あまり気が乗らない。

 ホームで立ち尽くしていても、寒いだけなので自動改札を抜けた。


 知らない街の駅前広場コンコース。時間はすでに、十二時を回っている。街灯の寒々とした明かりが道を照らすばかりで、人影は無い。タクシー乗り場もがらんとしていて、今の時間からタクシーが来るとも思えなかった。正直なところ、今の財布でタクシーに乗れるかも怪しかったが。


「歩くか……」


 経路検索アプリを立ち上げて現在位置からの徒歩で帰宅を選択した。表示されている推定所要時間は一時間五十分。これだけの時間がかかるのであれば、帰って寝れるかすら分からない。

 しかし、千里の道も一歩からという言葉もあるし、と、どうにか思い直して、アプリが示した道に従うことにした。


 静かな、それでいて知らない町を歩く。スマホにたびたび表示される店の名前は、知らない街の名前や知らない店の名前。すれ違う景色たちも知らない街の知らない姿をしていた。

 比較的大きめの通りを進んでいるためか、街灯の明かりは等間隔。スマホと道をにらめっこしながら歩くことにも慣れた頃。


「お、コンビニだ」


 見慣れた色のコンビニを見つけた。お腹も空いていたので入ることにした。


「らっしゃいませー」


 深夜の店員は眠いのか覇気のない声だった。いそいそと弁当コーナーに向かう。時間柄、並ぶ弁当の数は少ない。

 ふと、歩きながら弁当を食べるのは面倒であることに気づいた。弁当コーナーを離れて、おにぎりコーナーへ向かう。残っていたのはツナマヨと塩むすび、それから納豆巻きだけだった。考えた末に、ツナマヨと納豆巻きを手に取った。それから、温かいペットボトルのお茶も。


「ありがとう、ござっしたー」


 会計を済ませて、店の外に出た。忘れていた冷気が頬を刺した。


「さむっ」


 買ったばかりのお茶を頬にあてる。想像よりも熱かったので、すぐに頬から離して手に持つだけにとどめた。

 スマホを片手に再び歩き始める。ガサガサと一袋三円のビニール袋が音を立てる。その音が少しだけ、勇気をくれる。ひとりぼっちと錯覚しそうな世界で、一人ではないという気持ちになれる。


 しばらく歩いて、ちょうど赤に変わった信号機の前でツナマヨのおにぎりを開けた。無言で頬張っていると、信号が青に変わった。足を踏み出した瞬間、思いっきりむせた。


「んぐ」


 誰もいない横断歩道で盛大にむせた。こんな体験、人生でなかなか無いぞ。

 どうにかいい感じに飲み込んだ時には、横断歩道の青いランプは盛大に点滅していた。なんとなく急かされている気になって、走って渡り切った。

 赤になる前に渡りきることができた。しかし、道には自分以外の影は無い。急ぐ必要も無かったのではないか、という気持ちにさせられた。スマホに視線を移した。


 もう、道のりの半分を過ぎていた。早いものだ。


 お茶を飲みながら、道を進む。少しだけ身体が温まる。納豆巻きを口にする。食べきったころには、少しだけ見覚えのある景色に差し掛かっていた。

 スマホをしまった。ここからなら、もう道案内は必要ないと思ったからだ。そして、暗闇の中でずっとスマホを見つめていた目の渇きに気づいた。何度か目を瞑って開けてを繰り返す。そうすれば、目の疲れは一時的に収まってくれた。


 見知った道を歩く。赤い郵便ポストに見慣れたコンビニ、住宅街の見知った色の色とりどりの屋根。

 道に沿って並んだ家の中の一つ。カバンから鍵を取り出して、玄関を開けた。玄関の明かりはついていた。家の中は静かだった。

 リビングダイニングに入って明かりをつけた。いつも食卓に使っているテーブルにはラップに包まれた夕飯と手紙が一枚。


 今日もお疲れさま、ご飯はしっかりね。


 その字をなぞりながら思う。ああ、愛されている。愛しの我が家。


 もう、寒くは無かった。

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帰るまでの小冒険 先崎 咲 @saki_03

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