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生成AIについて、今考えていること

こんにちは、先崎です。

最近、SNSでは生成AIを使った小説について話題ですね。
そこで、今のところの私のスタンスを書いておこうと考えて筆を執っています。

私の小説は基本、生成AIを使って作っていません。理由はいくつかあります。

一つ目の理由として、著作権がどこにあるのか分からないからです。一応、書籍化をしたいと考えている人間としては、そのあたりが不透明なAIを使いたくないと思います。個人的に、生成AIのことは超高性能な予測変換文章と思っている部分もあるので。

二つ目の理由は、整合性チェックが大変そうだからです。自分の作品だと、何度も頭をひねって書いては消し、今まで書いていた話を見直しては悩みを繰り返すので、露骨な不整合性はないとは思うのですが、下調べもせずに知らない分野のことをAIに書かせてハルシネーションが起きても、読者としては公開している作者の手落ちと考えると思います。そうすると、チェックの方が手間がかかってしまい、結局手間が増えるだけだと思います。

三つ目の理由は、やっぱり小説を書くことが楽しいからです。書いているうちに、知らない自分に気づくこともあります。また、好きな設定や好きなストーリーを書いているとワクワクします。続きが書けないと嘆いていても、その中には自分の作品への期待がある。

一方で、生成AIを使った小説に対する対抗心は、産業革命の際に機械を厭う気持ちを持った人間に似ていると個人的には思っています。結局、機械の生産性には勝てないのです。ですが、小説の根本は娯楽です。言い方は悪いですが、無くても生きていける人もいるわけです。だからこそ、小説を受け取る側(主に読者)がどのようにしていきたいかということが、今後のAI小説の趨勢に関わってくると思います。

事実、私は小説執筆に関してはAIを使っていませんが、公開して人気が出なかった作品などの分析をしてもらうことがあります。利用して思うのですが、AIはとても便利なものです。誰かに頼む必要も無いし、即座に回答が出る。けれど、便利さは軽視にもつながります。これからの変化していく世の中で、どこまで守り、どこまで挑戦していくかを自分の中に持っていなければいけないな、と思っています。

長くなりましたが、今回はこの辺で。
よろしければ、皆さんのAIに関する意見もコメントしていただけると嬉しいです。

2025/11/1現在の先崎の一考

3件のコメント

  • 私はAIは教えてもらう程度で、何かを作ってもらった経験がないので、憶測でしか言えませんが、AIの作る小説、たぶん人の心を描くことはできるはず。でも、さまざまな心を描けても、その作者(AI)自身には心はない。私たちが小説を書く時に、その動機ともなる「伝えたい思い」というものがないのではないでしょうか。私たちは書いている時に感情が高まって涙をこぼしたりする。そんなことは絶対AIにはない。その違いは分かるはず。正直ここで色々読んでると、「ん?」「んん…?」と思うこともあります。私は見抜く感性を持っていると自分では思うのですが……甘いかなあ。
  • ふみその礼さん

    コメントありがとうございます。
    「伝えたい思い」とても大切なことだと思います。書いているときの感情のうねりは、確かにAIにはないものですね。
    大切にしたい感性があることは素晴らしいことだと思います。
  • すみません。
    何度も来てしまって。

    カクヨムユーザーの方が、
    AI利用されてると書かれていて、
    先崎 咲 さんなんか仰ってたな、
    と思って来てみたら、先崎 咲 さんは、今のところはあまり利用されてないと。

    俺は利用ゼロですね。
    今、筆止まってますが、
    古典文学を目指したいから、
    新しい技術そのものに抵抗があります。

    技術だけでなく新しい価値観、
    考え、思想も全く入れたくない程なので。

    しかし論点は沢山あるんですね。
    ①著作権がAIに行く
    ②整合性がAI側の知能任せ
    ③書く楽しさをAIと共有する難しさ

    しかし、ごめんね。
    その後のワンパラグラフが、
    先崎さんそういう考えなの?
    とちょっとピキーンと来ちゃって。

     「……小説の根本は娯楽です。言い方は悪いですが、無くても生きていける人もいるわけです。」

    これは、ないなぁと思う。
    小説が世に与える影響は根本を娯楽とは言い切るべきではないと俺は強く思う。
    小説に描かれる事というのは、生きた人間の苦しみであるとか、葛藤であるとか、自分だけでなく身近な人、過去の凄惨な出来事までも含めた命懸けのものを、また作家が命懸けで表象するものだと思いますよ。
    小説で人を助けるとか、救うとかいう気持ちもない人が小説を書くというのは、それこそ俺は根本的にないと思ってる。
    言いましょう。俺は嫌いですが官能小説ってありますね。あれは娯楽ですか?
    風俗やキャバクラは娯楽かな?あれもお仕事で、その仕事の人達は命懸けで、人の心を満たしているわけです。くどいけど、俺は嫌いだけどね。
    ライトノベルを書く方の中には、娯楽小説だって言い切る人も居ますね。でも根本においてどうかなあ?それって、謙遜でしかないよ。
    書く人にとって、心が動かされたから小説を書くと思い立った経験がなくて小説を書くと決めた人はいない。
    何にも増して、小説の価値が重要であると信じたから小説家を志す、それは感動によってその人物の根底が揺り動かされたからだ。
    その物語が本や、映画、伝承、場合によっては神話を通じてまで人の心を動かしている。はじめには何があったかな。ことばじゃないかな。

     娯楽 新明解国語辞書8
     生活や労働や学業などの余暇に、遊びとして何かをしたり 見たり 聞いたり などして気分転換をはかり、楽しむこと。

     分からなくはない。
     しかし、「遊び」を試しに引いてみようか。

     遊び 新明解国語辞書8
     ①遊ぶこと
     ②酒色や ばくちにふけること。

     「余暇」も引くよ。

     余暇 新明解国語辞典8

     その人の生活時間のうち、生活維持に不可欠な事柄以外に充当される 自由時間。レジャー。

     問題は、生活維持に不可欠な事柄「以外」に余暇が含まれ、娯楽とは遊びとしてすることであり、遊びとは酒色やばくちにふけることも指すというところかなぁ。

     謙遜として娯楽というのは、いい。
     無くても生きていける人がいるというのも、いいたいことは分かるよ。
     でも俺先崎さんの作品好きだからそんなこと言わないでほしいな。

     国語の教科書
     「なくても生きていける」って言っちゃっていいのかな。俺、先崎さんのことそういう作家さんだと本気で思ってるからねぇ。

     これだけ精緻な文を書ける人が肝心なところで、文学の価値を貶めてしまうのは、どうなの。と批判を書かせてもらった。

     俺はねぇ。先崎さんのこと本当に、色んな意味で大切に考えてるから言うんだからね。

     強い言い方したけど、ご自分で書かれてるものを娯楽で書いてると受け取る表現をしないでほしいな。お願いします。
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