導きの靴

氷室凛

第1話

「──さんね。始めはアルバイトだけど、正社員希望ってことで。まあ全然形式的なものなんだけど、一応志望動機から聞こうか」


 バックヤードの事務室。壁際に積み上がるのはシューズの入った箱、箱、箱。

 優しそうな顔の店長さんにそう言われて、私はちらりと足元を見た。


 ──大丈夫だよ。頑張って!


 そう声が聞こえた気がして、笑顔で顔を上げて胸を張る。


「はい! 私が御社を志したのは、とある靴との出会いがきっかけでした──」





♦︎♢♦︎




 だいたいその日は朝からついていなかった。


 ほぼ同時に通知を知らせるふたつのケータイ。社用ケータイには昨日頼まれたばかりの仕事を今日中に終わらせろという上司からのメール。わたし今日有給なんですけど。私用ケータイにはもう何通目かわからないお祈りメール。

 はあ。新卒の時の就活だって大変だったけどさ。転職活動だってうまくいかないもんだ。


 社会人生活3年目。新卒で入社した会社のブラック具合に嫌気が差したわたしは忙しい合間を縫って転職活動を進めていた。

 で、今日はとある企業の最終面接。


「──さんだっけ? なんかさ、あなたからは熱意が感じられないっていうか。もっとさ、本気でぶつかってきてほしいわけよ。僕の話を遮ってでもそのパッションを伝えてほしいっていうか。ねぇわかる?」


 代表取締役からの冷めた視線。結果は追ってメールします、という定型文を背に会議室を出る。


 知らね〜〜〜〜。

 こっちはブラック企業から逃げたいだけだし。別にやりたいこととかないし。熱意とかあるわけないし。てか今どき仕事に熱意ある人とかいるわけ?? みんなお金ほしいだけでしょ??


「そもそも片道2時間3000円近くかけて交通費でないような企業こっちから願い下げだし! あ〜〜まじでお金と時間の無駄だった!」


 こんな呪詛を吐いたのがいけなかったのだろうか。


「ひゃあ! イッタ〜」


 突如膝から崩れ落ちたわたしは慌てて足元を見た。


 就活用の黒いパンプス。そのヒール部分が、排水溝の隙間に刺さって根本から折れていた。


「……え。嘘でしょ」


 そりゃ確かに、新卒の就活の時から使ってたからもう相当に履き潰してるけどさ。でもまさか、こんなタイミングで壊れなくったって。


「どうしよう。靴。新しいの、買わなくちゃ」


 積み重なる仕事。口うるさい癖に責任は取らない上司。溜まるお祈りメール。うまくいかない面接。乗り換えで降りた知らない町。


 ……泣いちゃだめだ。全部自分で選んだことだ。もう成人したいい大人が、このくらいで泣くな。


 息を止めて顔を上げる。


 滲む視界。

 知らない町の、知らないお店。

 そのショーウィンドウのマネキンが履いている靴と、目が合った。




♦︎♢♦︎




「いらっしゃいませ。当店は魔法使いたちが作った選りすぐりの魔法雑貨を販売しております」


 てっきりブティックかと思ってガラス扉を潜ったら、中は所狭しと細々したアイテムが並んでいた。いま言ってくれたみたいに、雑貨店なんだろう。──ていうか、魔法って。


「と、いうコンセプトのセレクトショップでございます」


 わたしの心を読んだみたいに店員さんが笑う。


 不思議な雰囲気の女性だった。まず真っ先に目を引くのが、燃えるような赤い髪。次に、これまた色素の薄い、人懐っこく笑う瞳。……初対面の人に、こんなことを言うのは失礼だけど。その瞳は、ガラス玉みたいにあんまりに綺麗で──、優しく笑う中に、すべてを見透かされているような一抹の恐ろしさがあった。


「当店は必要な方にしか見つけられません。しかし見つけられた方には必要なものがなんでも揃っています。まだうら若きお客様、いったいなにをお探しでしょう?」

「なんでも、って──」

「なんでも、でございます」


 歌うようにセールストークを並べ、店員さんは逆さの三日月型に目を細めてにっこり笑う。そして取って付け足したように、


「と、いうコンセプトで商いをしております」

「…………」


 こういうとこで働く人って、みんなちょっと変わっているのかも。っていうか、うら若き、って。この人だって大して変わらない年に見えるけど。


 ……まあいっか。このお店がなんでも、この店員さんがなんでも、とりあえずは新しい靴を買えればいい。


「あの、表に飾ってあったローファー。あれが気になって……」

「『導きの靴』でございますね。こちらは当店懇意の靴職人が手作りした、世界にひとつだけの魔法の靴となっております」


 世界にひとつ。

 店員さんの言葉を心の中で反芻する。それは他のものであれば、嬉しいときめく言葉であるはずだけど。


「え、じゃあ、サイズとかは……」

「大丈夫。こちらは魔法の靴でございますから、お客様にぴったりですよ。ささ、試しにどうぞ」


 ほんとかよ、と内心疑わしく思いながらも勧められるままに腰をかける。ヒールの折れたパンプスを揃えて脱いで、新しいローファーに足を通す。


「いかがでございましょう?」

「あ、すごい。ぴったりで、歩きやすい……!」


 試しに2,3歩歩いて、知らず知らずのうちにそんな言葉が漏れていた。

 サイズがないなんて思えない。革靴って、始めは変なところに当たって違和感を覚えるものだけど、これにはそれが全然なかった。かかとの高さはわたしのくるぶしに合わせたみたいにきれいなラインで、靴底もクッションが効いていて次の一歩が軽々出せる。

 それに、つま先。わたしはつま先の幅が広くてスニーカーでも窮屈になりがちなのだけど、これは足の形にぴったりとフィットして、どこにも違和感を感じなかった。何年も履き慣れた靴みたいに歩きやすい。まるでわたしのためにあつらえられたような靴だった。


「ふふ、歩きやすいでしょう? 人がアイテムを選ぶように、この魔法雑貨店のアイテムたちは自分にふさわしい主人を選んで招きます。ですから、そのお靴がお客様にぴったりなのも、当然のことなのでございます」


 すごい、すごいと呟きながら店内をぐるぐると何周もしていた私は、その言葉で我に返った。目が合った店員さんはにこりと微笑む。


「そしてそちらは、『導きの靴』。お客様、『素敵な靴は素敵な場所へ連れて行ってくれる』という言葉をご存知ですか?」


 聞いたことがある。確か、どっかの国の諺だっけ?

 頷いたわたしに店員さんはまた歌うように、


「元々靴にはそういう力が宿っておりますが、そちらはその力をさらに高めるため、つま先に魔法がかけられています。初めの一歩を踏み出すのも、その後歩き続けるのも、全てお客様のお力です。しかしせめて、踏み出すならばより素敵な場所へ辿り着くように。歩き続けるならば、素敵な人々と並んで歩けるように。初めの一歩の方向を間違えないように。そういった願いが、祈りが、魔法が込められた靴なのでございます」


 ああ、だから「導きの靴」なんだ。わたしは深く頷いてそのまま足元を見た。


 丸いつま先のぴかぴかのローファー。

 ……これも魔法の力なのかな。


 その靴は、なんだか胸を張って得意げな顔をしているように見えた。

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