7人目『闇医者』魂の倫理 エリオス・ヴァンストリーム

*約5000文字 先の展開は読者が考えるかたちで終わります


第一章:魂の代償


夜空に黒雲が広がり、月明かりを遮る中、冷たい雨が石畳を叩いていた。遠くで雷鳴が低く響く。その音を切り裂くように、一人の男が診療所「ナイトフォール」の扉を叩いた。


扉はぎしりと軋みを上げ、開いた瞬間、男――カイン・ドレイヴ――は力尽きたように診療所の床へと崩れ落ちた。彼の肩からは血が滴り、薄汚れた帝国騎士のコートは裂け、内側の鎧は赤黒い血で覆われていた。彼の呼吸は荒く、今にも途絶えそうだった。


「……助けて……くれ……」


冷たい灰色の瞳が、その哀願をじっと見据えた。診療所の主、エリオス・ヴァンストリームは扉の影から姿を現した。彼は痩身ながらも背が高く、闇の中でも一際目を引く異様な存在感を持っていた。長い黒髪は無造作に後ろへ束ねられ、その切れ長の目は何かを見通すような冷徹さを宿している。肩にかけた漆黒のコートの内側には、多数のポケットが縫い込まれ、薬品や器具が収められているようだった。


「代償は支払えるか?」

エリオスは低く静かな声で言った。その声は、死神が魂を刈り取るときのように冷たい響きを帯びていた。


カインは弱々しくうめきながら、震える手で血まみれの金貨袋を取り出した。

「金なら……いくらでも……」


エリオスはその袋に目もくれず、わずかに首を振った。

「金ではない。代償は魂だ。魂の欠片を支払うことでのみ、命を救う。」


その言葉に、カインの目がかすかに見開かれた。

「……魂? ふざけるな……!」


しかし、エリオスの表情には冗談の色など微塵もない。その冷たい灰色の瞳が、カインの叫びを氷のように冷たく受け流す。


「お前の傷は深い。あと数分もすれば命は尽きるだろう。魂の欠片を差し出せば傷は癒える。その代わり、魂の一部を失う。すぐに死ぬわけではないが、空虚感と喪失感に苛まれるだろう。それでも選ぶか?」


カインは荒い息をつきながら、歯を食いしばり、雨に濡れた床に拳を叩きつけた。

「くそっ……わかった。やれ……!」


エリオスは無言で棚から黒い瓶を取り出した。それは滑らかな曲線を描く奇妙な形状をしており、中には青白い光が揺らめいている。それをカインの胸元にかざすと、瓶の口が光り輝き始めた。


「痛みはない。ただ、少し冷たい感覚がするだろう。」


エリオスが告げたその瞬間、瓶から放たれた光がカインの体に触れ、彼の胸元から小さな青白い光の欠片が吸い上げられていった。同時に、彼の傷がみるみる塞がり、裂けた筋肉が再生し、骨が軋む音が響いた。


カインは目を見開いた。数分前まで死にかけていた自分の体が、奇跡のように蘇っていく。だが、それと同時に、彼の心の奥底にぽっかりと空いた穴があることに気づいた。説明のつかない虚無感。まるで、自分が自分でなくなってしまったような――。


エリオスは冷ややかにその様子を見つめていた。治療を終えると、静かに黒い瓶を棚に戻した。

「奇跡ではない。ただの医術だ。だが、代償を忘れるな。お前の魂の一部は失われた。それがどんな影響を及ぼすかは、俺にもわからない。」


カインは再生した自分の手を見つめながら、震える声で問いかけた。

「これで……俺はどうなるんだ?」


エリオスは淡々とした声で答えた。

「お前の魂は欠けた。その欠片がなければ、ある日、心が壊れるかもしれない。それでも命が惜しかったんだろう?」


返答する言葉を持たず、カインは診療所を後にした。その背中はどこか重く、足元は今にも崩れそうな危うさを漂わせていた。


エリオスはそんな彼を見送りながら、静かに呟いた。

「選択の代償は、いつだって自分で背負うしかない。」


その瞳の奥には、かつて自らも払った代償の影がちらついていた。



■第二章:ネクロプラズマの悲劇


診療所の灯が揺れながら消えると、エリオスは長椅子に腰を下ろし、古ぼけた革の手帳を取り出した。その表紙には、擦り切れた銀色の紋章がわずかに残っている。埃を払いながらその手帳を開くと、視線が過去へと引き寄せられるようにページを指でなぞった。


彼がまだ帝国王立医学院の研究者だった頃――理想に燃える青年エリオスは、死に瀕した者を救うための夢を追い求めていた。その夢の結晶が「ネクロプラズマ」だった。再生医療薬としての可能性を秘めたその薬は、肉体の治癒を促す奇跡の力を持つ一方、未完成な状態では想像を絶する副作用をもたらすものだった。


だが、理想は権力の前で無残に捻じ曲げられる。帝国貴族たちは、完成には程遠い薬を「奇跡の薬」として喧伝し、その利益を貪り尽くした。犠牲となったのは貧困層の村人たち――病に苦しむ彼らは希望に縋りつき、薬を受け取った。しかし、それは希望ではなく破滅を招くものだった。薬の副作用で身体は崩壊し、苦痛に満ちた死が待っているだけだった。


「どうして気づかなかった……。あの時、もっと強く反対していれば……。」

エリオスの低い呟きが静寂を裂いた。手帳の記録を眺める彼の瞳には、冷たい灰色の光の中に微かに揺らぐ悔恨の影が映っていた。


彼の抗議は帝国の権力者たちに無視されるどころか、反逆として糾弾された。「失敗作を作った責任」を押し付けられ、エリオスは研究所を追放された。家を追われた彼の苦しみはそれで終わらなかった。

その数ヶ月後、故郷から届いた知らせは彼を奈落の底へ突き落とした。妻と幼い娘が毒殺されていたのだ。彼のいない間に、帝国はエリオスを脅威とみなしてその家族を抹消した――彼の知識が復讐に使われることを恐れて。


エリオスの指が手帳のページを止める。その箇所には、妻の名前「リセリア」と娘の名前「エリナ」が綴られていた。何度も何度も上から書き直されたその文字が、彼の心の傷の深さを物語っている。


「俺は何も守れなかった……。」

静かに絞り出された声は、怒りでも悲しみでもない、冷たく硬直した苦悩そのものだった。目を閉じた彼の顔には、感情が剥ぎ取られた彫像のような静寂があった。


しかしその胸の奥底では、怒りの炎が静かに燃え続けている。家族を奪った帝国に復讐するために、彼は「魂の欠片」を収集する禁術に手を染めたのだ。命を救うための医術は、今や破壊の道具と化し、彼の手を汚している。


「魂の欠片……。あの力で彼女たちを蘇らせることができれば……。」

彼は診療所の棚に目をやる。そこには黒い瓶が並び、かすかに青白い光を放っている。それらは治療の代償として集めた「魂の欠片」だ。


エリオスは手帳を閉じると、深い溜息をついた。灯りの消えた診療所の中で、彼は長椅子に座り、孤独と後悔、そして復讐心に押し潰されそうな自分をただ見つめていた。



■第三章:血塗られた契約


翌日、診療所「ナイトフォール」の静寂を破るように、重厚な扉が叩かれた。その音は訪問者の異質さを物語っているかのようだった。


「まさか、こんな薄暗い診療所に潜んでいるとは思わなかったよ。」


扉を開けたエリオスの目の前には、黒革のコートを身にまとった男が立っていた。銀髪に金の瞳、切り刻まれたような精悍な顔立ち。腰には鈍い輝きを放つ大剣を携えている。その男はヴァイゼル・ダグラス。帝国でも名を馳せる傭兵であり、その名は恐怖と威圧の象徴でもあった。


エリオスの視線は鋭く冷たい。

「帝国の犬が、ここに何の用だ?」


ヴァイゼルは扉を閉め、手にした何かを無造作にテーブルの上へ放り投げた。それは封蝋の施された帝国の公式文書だった。


「命令だ。帝国はお前に『シュヴァルツ疫』の治療法を見つけることを要請している。」

その声は低く、無機質ながらもどこか含みを持っていた。


「帝国がこの俺に頭を下げるとは、よほど追い詰められているらしいな。」

エリオスは皮肉な笑みを浮かべながら文書を開き、その内容を読み始めた。そこには、彼の過去と向き合わざるを得ない言葉が綴られていた。


—— 帝国は、医師エリオス・ヴァンストリームの追放を無効とし、シュヴァルツ疫治療のための研究を委任する。対価として、彼の家族に降りかかった処罰について見直しを行うことを約束する ——


エリオスの手がわずかに震える。喉の奥から、押し殺したような低い声が漏れた。

「……家族の処罰の見直し、だと?」


ヴァイゼルの金色の瞳がわずかに細められる。

「お前の妻と娘……リセリアとエリナだ。彼女たちは毒殺されたわけじゃない。帝国に捕らえられ、生きている」


その言葉は、冷たい刃のようにエリオスの胸に突き刺さった。


「何だと……?」

彼の声はかすれ、表情は怒りと戸惑いの入り混じったものに変わった。


「帝国はお前を完全に切り捨てるつもりはなかった。ただ、家族を人質にして、お前を飼いならす道具にしたって訳だ」

ヴァイゼルは冷酷とも思える淡々とした口調で続ける。

「協力するなら家族に会える可能性がある。だが拒めば、診療所は焼き払われ、お前が集めた“魂の欠片”も全て没収されるだろう」


エリオスは深く息を吐き、感情を押し殺したように静かに言った。

「結局、どちらにせよ俺を帝国の手駒にしようとしているだけか。」


ヴァイゼルは微笑んだ。それは敵意を隠しているのか、同情を込めているのか分からない曖昧なものだった。

「取引というのは、そういうものだ」


短い沈黙の中で、エリオスの脳裏には妻と娘の姿が浮かんでいた。家族のために屈するべきか、それとも復讐を貫くべきか。彼の心の中で葛藤が渦を巻いている。


最後に、エリオスは冷たく微笑み、ヴァイゼルに言った。

「どうせ俺が選ぶ道なんて、とうに決まっている。」


ヴァイゼルの瞳が再び光を帯びる。その瞬間、彼が敵なのか味方なのか――エリオスには分からなかった。



■第四章



シュヴァルツ疫の影


依頼を受けたエリオスは、シュヴァルツ疫が蔓延する村へ向かった。その村は、疫病によって壊滅的な状況に陥っており、街角には死者の山が積み上げられていた。腐敗した肉の臭いが鼻をつき、村人たちは半狂乱になりながら、命乞いの叫びを上げていた。


エリオスはその場に立ち尽くし、静かに思った。「……これは自然の病ではない。誰かが意図的に仕組んだものだ。」


調査を進める中で、エリオスの目に「ネクロプラズマ」という言葉が再び浮かぶ。それは、かつて自らが開発に着手した薬と非常に似通った痕跡を持っていた。しかし、致命的な副作用を引き起こしていたその薬は、エリオスの研究を超え、恐ろしい「進化」を遂げていたようだ。


「誰がこれを……?」エリオスは唇を噛み、深く思考を巡らせる。


やがて、彼はこの薬が帝国の高官たちによって秘密裏に生産され、シュヴァルツ疫を意図的に広め、無力な民を支配しようとする計画の一環であることを知る。


■魂の欠片の真実


村の中で、エリオスは一人の少女と出会う。

彼女の名はリィナ。


—— リィナ・ヴァルヴェリス ——


シュヴァルツ疫の生存者であり、奇妙な能力を持っていた。

彼女は死者の魂と会話ができると言う。


リィナは薄い青色のドレスを着ており、その衣服はすっかり土埃にまみれ、袖口は擦り切れている。黒髪はボサボサに乱れ、目元は疲れたように見えるが、彼女の瞳は澄んでいて、どこか神秘的な光を放っていた。


「あなたの集めている魂の欠片、それは生きる者の“未練”よ」

リィナは静かな声で告げた。


「未練だと?」


「ええ。魂が完全に解放されるには、その未練を癒す必要がある。でも、それを瓶に閉じ込めるのは、魂を無理やり拘束することと同じ……。」


エリオスは言葉を失った。

「……だが、それがなければ、俺は俺のせいで命を落とした者達の恨みを、どうしても解消できない。」


リィナの瞳が揺れる。

「あなたの言う『その者達』も、こんな形で戻ってくることを望んでいると思う?」


エリオスは答えることができなかった。


■決意の夜


村を後にしたエリオスは、診療所に戻る途中でヴァイゼルと再会する。


「シュヴァルツ疫の原因を突き止めたか?」


「帝国自身が疫病を利用している。」


エリオスは静かに答えた。ヴァイゼルは驚いた様子もなく、ただ短く頷いた。「やはりな。」


「お前も知っていたのか。」


「俺の役目は帝国の汚れた仕事を片付けることだ。だが、今回ばかりは帝国も一線を越えた。お前が何を選ぶにせよ、俺もそれに乗る。」


「お前は何のために戦う?」


「俺はただ、面白い方につく。」ヴァイゼルは不敵に笑った。


エリオスは灰色の瞳を暗闇に向けた。

「……俺は、魂を繕うために戦う。だが、帝国がこれ以上罪を重ねるなら、その魂も全て焼き払う」


エリオスの復讐の道は、ますます深い闇へと進み始めていた。




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