9.ひとまずは、走り出す

「具合でも悪いのか? ちと遊びすぎたな。明日もあるし、もう休んだ方が良いんじゃねぇか?」

 ありがとう。でも大丈夫だよと返す。園山氏が使っているかもしれない薬物、ビーストテイマーについて伝えるかどうか、ほんの少しだけ考えて、やめておくことにした。

 裏付けが取れている訳ではないのだ。憶測だけでものを言うべきではない。


 無論、医療機関で氏の体を調査すれば、わたしが懸念する薬物を使っているかいなかを明らかに出来るだろう。だが、多種族共存たしゅぞくきょうぞんを理想に掲げるこの街で、人間至上主義ヒューマニズム団体と何らかのつながりを持つことを明かした場合、わたしが社会的な立場を失ってしまう可能性は大いにある。

 それは嫌だ。今の暮らしが続かないとなれば尚のこと。


 ふと、気がついた。そういえばこの男が異種族恐怖症ゼノフォビアの人々に対する偏見を口にするところを、今まで聞いたことがない。この街で生まれ育ち、多種族共生こそが正しいあり方だと教え込まれている筈なのに、珍しいことだ。もしかしたらわたしの言葉を――いや、やめておこう


「なぁおい、無理すんなよ」

だけど、フリーペーパーの記事をもう少し形にしないと。今週中には出すつもりなんでしょう? 心配事はとりあえず脇に置いて、話題を変えることを試みた。すると


「もう充分だよ。で、那由多が作ってくれた下書きを元に、レイアウトとか考えてみたんだ。こんな感じでさ」

 わたしが書いた下書きの何枚かを机の上に広げる。青や赤のペンで書き込まれているのが見えた。読みやすく、きれいな柴本の筆跡ひっせき


「文章は悪くねぇ。けど、ちとなげぇかもな。

 おれやブッチーみてぇに字を読むのが苦手なヤツでも、手にとって貰えるようにって思ったんだけど。……わりぃな、勝手に色々変えちまってよ」

 三角耳をしんなりさせて、済まなそうに言う。別に気にしないよと伝えて、図形が書き込まれた紙を覗き込む。

 えーっと、写真はこっちに配置して、文章がこの――


「そうそう。見出しは1行。

 なんかこう、バーン‼ って感じで一文にまとめちまえば、分かりやすくなると思うぜ?

 で、どうしても説明が必要なヤツなんかは、ここらへんに小さく3行くらいにして納めちまうとか。

 けど、ゴチャゴチャするから最小限な。長く書くより短くまとめる方が大変だろうけど、どうだろう?」


 いいね、それ! わたしの言葉に、柴本は顔いっぱいに笑みを浮かべた。こうやって見ると、彼は父親に本当にそっくりだ。という話をすると、この男はとても嫌がる。今はやめておこう。

 商店街のボス猿もとい園山氏がなくなった父親をいまだに毛嫌いしているように、柴本もまた、父親に対して負い目があるらしい。

 こちらは存命で、先日お会いしたときには息子との中も特に険悪には見えなかった。それでも色々あるのだろう。

 誰でも毎日を送るうちに、他人には打ち明けづらい事情を抱え込んでしまうのだろう。生きていれば、ずっと。


「今日はこれくらいにしておくとして、だ」

 下書きを書き散らした紙を手早くまとめながら、柴本は椅子から立ち上がった。

「早く寝ろよ。夜更かしは体に毒だからよ」


 バスタオル、そのままにしておかないでね? ケツの下に敷いていたヤツを指さしながら言うと

「へーい」引っぺがして肩に掛け、そのままリビングから出て行く寸前でくるりと振り返り

「記事の作成、ありがとうな。適当なところで切り上げて休んでくれよ。じゃ、おやすみ」

 尻尾を揺らす後ろ姿を見送るうち、あくびが出た。


 見切り発車で始まったフリーペーパー制作は、その後は順調だった。火曜の朝には原稿を市内の印刷所に渡し、刷り上がったものをそのまま各所に配り終えたのは金曜の昼過ぎ。その夜、柴本が持って帰って来た見本品は、自画自賛になってしまうが思った以上に良かった。

 上手く行くといいね。ページをめくりながら言うと

「おう。それと、明日は第2号の取材だからな。頼むぜ」

 満足げな笑顔を浮かべ、自信ありげに言った。

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便利屋シバモト 柊 蘇芳 @aden0ph0ra

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