8.困ったときは

「で、進捗しんちょくどう?」

 進捗ダメです。

 古今東西、編集者とライターの間で数限りなく交わされてきたであろうやりとり。そしてこれは未来永劫、途絶えることはないだろう。知らんけど。


「しっかし沢山書いたなぁ。ちょっとみーせてっ♪」

 わたしの返答を待たず、ボールペンで書き殴ったルーズリーフの死骸たちを手に取り、目を走らせる。待ってまだ見せられる域に達してない。


「報告・連絡・相談は早いほうがいいんだぜ?」

 言っていることは正しい。だが、おウチ裸族がデキる大人みたいな顔をしたところで、いまひとつ締まらない。

 身に付けているものといえば、以前、誕生日にプレゼントしたリストウォッチ型の端末くらい。なんか着なよ。せめてパンツは。


「太さと膨張率が自慢なんだ。気になる?」

 今の発言、ブッチーとウタさんにも共有しておくね。端末に手を伸ばす。

「ごめんて」

 捨てられた仔犬みたいな顔。こっち見るな。


 口ではバカなことを言いながらも、下書きを見る目は真剣だ。この男なりにリラックスさせようとしてくれているのだろう。やり方が雑だし下品だけど。怒る人は怒るはず。わたしは別にいいけど。

「とりあえず風呂入って来いよ。煮詰まったってなら丁度いい。気分転換してきな。ほら、行った行った」


 リビングから追い払われるように風呂場へと向かう。手早く体を洗って浴槽に浸かったところで、2日分の疲れがどっと出てきた。

 獣人用全身シャンプーのかすかな残り香。香料か毛を柔らかくする成分のどっちに由来するのか分からないけれど、わたしが使う人間用のボディソープやシャンプー、コンディショナーのどれとも違う、独特な匂いだ。

 不快ではないが、慣れないと抵抗がある。気付けば今や、すっかり生活の一部になってしまった。


 数年前、柴本とふたりでルームシェアを始めた頃には、戸惑うことが色々あった。 種族が違うのだから当然だ。時にぶつかり、着地点とか妥協点を見つけてきた。会社を作り、社員たちで共同生活するなんて話を聞いたときには驚いた。けれどまぁ、慣れるものだ。むしろ今の生活は結構楽しい。退屈とは無縁の毎日だ。どうか他の人たちも、そうであって欲しい。


 とりとめもなく考えているうちに、時間が経過してしまった気がする。また長風呂を指摘されそうだ。いい加減上がらねば。かつて防衛隊員ぼうえいたいいんだった柴本とウタさんはどちらも、普段の入浴時間はおどろくほど短い。ブッチーはふたりに比べれば少し長めの数十分、わたしなどは長いときには小一時間も風呂場で過ごしてしまうことがある。柴本は時折、追い焚きに費やすガス代を気にしているようなそぶりを見せることがある。そこは確かに、気にした方がいいかもしれない。とにかく、上がらなきゃ。


 髪と体をタオルで拭いてから部屋着を着る。

 ほかの3人と違い、わたしの体は毛皮で覆われてはいない。自慢したくなるような立派な体格ではない。

 そもそも肌を見られること自体が好きではないのだ。脱衣場を出てリビングに戻ると


「はい。――ええ、そうですか。わかりました。……ああ、それなら仕方ないっすね」

 柴本が、椅子に座って誰かと通話していた。いつもよりキリッとした表情。口調からすると仕事のようだ。が、まだ何も着ていないので締まりがない。尻と椅子の間にタオルを敷いている辺り、丁寧なのか雑なのか分からない。


「大丈夫ですよ。そこらへんは予想していたんで。当初の予定通りに進めさせてもらいます。またある程度、形が整ったらお伝えしますんで。――はい。是非とも。そいじゃ、おやすみなさい」

 端末を切る。いつもならリラックスした顔に戻る筈なのだが、仕事の顔のままわたしを向いた。


「黒池さんからだ。たった今、向かいの園山さんがたずねて来たってさ」

 へぇ。とわたしは相槌を打つ。幼馴染みだから気安いのか、それとも何か特別な用があったのか。

 などと考えを巡らせていると柴本は続けて


「で、フリーペーパー作りの予算は、自治会費から出せねぇって言い始めたんだと。やっぱり認めねぇってさ」

 えっ? やるって寄り合いで決めたんじゃないの⁉

「それがな、皆で決めたことでも園山さんが首を横に振ってダメになることって割とよくあるらしいんだ。今回もその流れだってさ」


 一体、何のための話し合いだろうね。書きかけの下書きに目をやる。テーブルの上に散らかしたままだった沢山の紙は、きれいにまとめて置き直されていた。ところどころにピンクや緑のふせんが挟まっている。もう作業に着手していた。それなのに。


「やっぱり、余所者よそもんには任せたくねぇってさ。あーあ、本っ当にイヤになっちまうぜ」

 言葉とは裏腹に口調は晴れやかだ。何か考えがあるのかと問うわたしに、社長は少しも動じる様子など見せず


「フリーペーパーは商店街じゃなくて、有志で立ち上げたグループで作ることにすればいいだけだ。規模は小さくなっちまうけどな。けど、商店街の伝統とやらに囚われなくて済む。あのまっずい料理をどう紹介するか、もう悩まなくなっていいんだぜ?」

 キシシシシと楽しそうに笑うのを見て、察しがついた。この状況を狙って、わざと怒らせたね? 園山氏が取り下げたって状況を作るために。そう口にすると


「なぁ那由多なゆた、現状、あの商店街がうまくいってない原因ってどこにあると思うよ?」

 明らかだった。廃墟はいきょの一歩手前な猩々軒しょうじょうけん。衛生観念のなっていない店内に、ちょっと思い出したくない味の料理。何より、どう考えても客商売に向いていなさそうな、あの店主。そんな人物が商店街の中心であり続けるとすれば、どうしたって――


「やっぱりそう思うだろ?」

 わたしの表情筋ひょうじょうきんの微細な動きを読み取ってか、それとも感情の匂いを嗅ぎ取ったか。まだ何も言わないうちに続けた。他人からはよく『人形のよう』だの『無表情で不気味』などと評されることが多いわたしを、しかしこの男は『すっげぇ分かりやすい』などと言う。さておき


「商店街の皆が今のままで良いって思ってるなら、おれの出る幕はどこにもねぇ。けど、そうじゃねぇんだ。あの場所で商売を続けたいって思ってる人ばっかりだ。一緒に見て回って、よく分かったろ?」

 うなずく。彼らは皆、自分の仕事や店に愛着を持っているのはよく分かった。中心である筈の園山氏を除いて。

「で、ひとまずは園山さんと関係ねぇところで色々出来るようにするのが良いと思うんだ。

 当然だけど、仲間はずれにするつもりはねぇよ。

 変わる意思があるなら、また一緒にやっていければ、それが一番いい。……出来るなら、な」


 何か問題が起きていたとしても、問題意識を持つことが出来ない者を外からの力でどうにかすることは不可能だ。柴本はそう考えている。わたしもおおむね同じだ。

 他人は変えられない。それが普通であり、あるべき形だ。けれど、例外があるようだ。あの場所には。


 猩々軒で見た、園山氏の目が頭から離れない。濁ったオレンジ色に染まった目。ある種の薬物の常習者にみられる特徴だ。

 ビーストテイマー。他者の思考を鈍らせ、コントロールしやすくするための薬、その開発名称。服用することで一定の時間、獣人の嗅覚に作用する成分を体から放出するようになる。


 もう実用段階の手前にまで至っている。が、長期間にわたり服用した場合には、いくつかの臓器に無視できない影響をもたらす。それはいまだ克服出来ていない筈だ。

原形となった〝獣よけの香水〟とは違い、まだ表には出回っていない。そもそも獣人が入手できるルート自体ない。誰が何故と考えたとき、おぞましい想像に至った。

効果や安全性を確かめるための動物実験。それも、人間に近しい性質や同等の社会性を持った――


「那由多、どうした? おーい」

 柴本の声で、わたしは現実に引き戻された。

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