7.文字との戦い

 ――はぁ。

 思わずため息が漏れる日曜の夜。

 明日が月曜だからというのは関係ない。今の仕事はカレンダー通りの休みではないのだ。


 タブレット端末を操作し、情報を書き込んだデータファイルを上書き保存する。メモを見ながら、機能と今日で行った商店街の取材を思い出す。最初に訪問した猩々軒こそ散々だったが、その後は驚くほど順調だった。


 牛島菓子舗の若い店主からは、そば処 くろ山とコラボレートしたそばスイーツの開発秘話や、今後の展望についてたっぷり聞けた.それと、いまの季節にピッタリの和菓子や味わい方なども詳しく教えていただいた。


 今日、最後に訪れたのは、熊野氏が切り盛りする、くまの模型舎もけいしゃだった。

 店主の熊野氏は、2メートルを超える堂々たる風体に反して――などと言えば種族差別レイシズムととられかねないから気をつけねば――非常に気さくな方だった。色々と話しているうちに、近く模型コンテストを開こうという話になった。


 柴本は調子に乗って、アニメに登場するロボットのプラモデルを買ったようだけど、ちゃんと組み立てるかどうかは怪しいところだ。

 彼のクローゼットには、まだ箱から出してすらいないプラモデルがそこそこ積み上がっている。


 取材と言えば堅苦しいが、実態はこの通り。楽しく遊んで過ごしたようなものだ。〝童心に返る〟という言葉を実感するひとときだった。

 問題は、それを文章それもお店の紹介記事にすることだ。考えると途端に手と頭が重たくなる。

 いつも書いているブログ記事とは訳が違う。好きなように書いて良いものではない。大勢の目に触れて問題がないか、見やすいかどうかを強く意識する。

 宣伝用のフリーペーパーなど初めてだ。勝手がまったく分からない。


 家に帰ってからというもの、事務室とわたしの部屋を行ったり来たりして作業を進めていた。

 が、気付けば自分の部屋で本棚をはみ出して床に積み上がったブックタワーを崩し始めてしまうなど、脱線続きだった。仕方がないので夕食を終えてから、リビングのテーブルの上に場所を移した。


 食後の後片付けは今日も社長がやってくれた。

 ウタさんはお子さんとの面会で明日の午前中までいないし、ブッチーも明日は休みだからと、どこかに出かけていった。事務所と社宅を兼ねた家には、今、柴本とわたしのふたりしかいない。知り合って間もない頃はそんな生活を送っていたのが嘘のようだ。


 ひとまず端末を脇に寄せ、無地のルーズリーフを目の前に置く。デジタルツールを使うより先に、紙とペンで下書きすると効果的だと教えてくれたのは、ウタさんだ。

わく、いきなり端末の前に向かうと頭の中から言葉やイメージが蒸発してしまうことがある。アナログの手法は〝目減り〟を少なくしうると、彼は言っていた。


『頭の古いおれのやり方は参考にならんかもだが』

 そんなふうに前置きしていたのは、ブログの記事をどう書くかで迷っていたときだった。実際、この方法は効果があった。普段は使っていない頭の領域が刺激されているようで、慣れてくれば心地よさすら感じる。

 文字も図もフリーハンドで書く。何もないところから何かを生み出すときには、ときに罫線やマス目すらわずらわしい。だから、下書きの紙は真っ白なものが良い。

ボールペンを手に、書く。とにかく書く。書き殴る。書き散らす。書き捨てる。


 書きながら思う。出生地から遠く離れてしまった。

〝あの場所〟で暮らしていた頃は、こんな日々を送るなど想像すらしていなかった。

 この街の遥か北に位置する、異種族恐怖症ゼノフォビアあるいは人間至上主義ヒューマニズムを掲げる人々が隠れるように暮らす特別区。わたしはそこで製造もとい生まれた。

 実験動物のように扱われ、今になって思い返せば、まったくロクでもない幼少期だった。それでも、あの街で得たものが、今のわたしを生かしていることは認めなければならない。ああ、嫌なことを思い出しちゃった。


 書き疲れてボールペンを置く。

 4秒かけて息を吸う。それを4秒止めて8秒で吐ききる。柴本から教わった呼吸法だ。呼吸に合わせて、ゆっくり目をつぶってから開く。なんとなく頭の中がクリアになった気がした。


 またボールペンを手に、紙に向かう。

『正面にからくり時計のある猩々軒の大きな建物から道を挟んで向かい、小さいが手入れの行き届いた――』

 没。長々と書いた猩々軒のくだりにザッと横線を走らせる。本筋とは関係ない。

椅子から立って軽くストレッチ。濁ったオレンジに染まった園山氏の目を頭から追い出し、また続ける。


流行トレンド伝統トラッドの融和。それが、歴史あるそば処 くろ池の店主、黒池一総の挑戦だ』

 うーん、格好付けすぎ。高級マンションの宣伝コピーみたい。気に入らない。でもとりあえず保留。


『蕎麦と言えば麺。けれども、そば処 くろ池は、そんな固定観念を崩す試みを続けている』

 こっちの方がいいかも。さっきの気障キザったらしい文言をボールペンでぐりぐりと塗りつぶす。

 なんか今、誰かの声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせい。次だ次。


『そばスイーツ。蕎麦粉を使った洋菓子を、同じ商店街に店を構える牛島菓子舗と共同で』

 お、いいぞ。また後で推敲するとして、この調s


「ふ・ろ・あ・い・た・ぞー‼ さっさと入れー‼」

 !?!?!?!?!?!?!?!?!?

 しっとりと生温かい、濡れた毛皮が首もとに当たる。

 同時に、耳元で聞こえた声と、ぬくもりを帯びた吐息。

 びっくりして、ちょっと大きな叫び声が出ちゃった。

「耳いってー……なんだよ、そんなに驚くことかぁ?」

 三角耳を押さえた柴本が、すぐ横に立っていた。

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