第7話 ささやかな反抗
ユイレンが登場したことを確認すると、リーディスはわざとらしくため息を吐いた。
「公爵は来ないんだな」
彼は両手を上げて、やれやれと首を左右に振った。
――公爵は王国に一人だけ。
緑色の長髪に、誰よりも高い背。そして全ての頂点であるかのように振る舞う不遜な態度。それが、<王国の馬車>ウェンセム・アレシオンだ。
「アレシオン公爵は予定があるようでね」
ユイレンが残念そうな顔をして寂しそうに笑った。
「でも今日は、ライカネルと会えて嬉しく思うよ」
「あっ、えっ……」
名前を呼ばれ、ライカは許取った声を返してしまった。
――綺麗すぎる。
とても正視できそうにないが、ここは王子の御前だ。粗相がないようにとセイランからも言い含められていた。
ライカは背筋を伸ばすと、真面目な表情を作り、ゆっくりと声を出した。
「本日はお招きいただきありがとうございます、第一王子殿下」
少し辿々しい口調ではあったが噛まずに言えた。心の中でガッツポーズをきめる。
「来てくれてありがとう、ライカネル。体調はどうだい?」
包み込むような優しい眼差しで見つめられ、ライカは再び声を詰まらせる。
「やっぱり記憶喪失なのは間違いないみたいですよ」
助けたつもりではないようだが、リーディスが会話を繋ぐ。肩に回された腕をそっと外しながらも、ライカは心の中で感謝した。
「ゼナイに聞いてはいたけど……、大変だったんだね」
一瞬だけ、本心が浮き出たような悲しそうな表情をユイレンは見せた。しかし、それもすぐに取り繕うと、優しい笑顔に変わる。
「あ、もうだいぶ調子が良いです」
わざとらしく両手を広げ、ライカは少しおどけるような仕草で返した。
「顔色はまだ悪いみたいですけどね」
ユイレンの背後から冷ややかな声が放たれる。第一王子秘書、ジェルマンだ。きりっとした眼鏡が特徴的で、年齢はユイレンより少し上だろうか。特に見せ場はないが、元の世界で考えた小説にも名前が登場している人物だ。
「役目には影響がないのですか? クラシェイド伯爵」
見下ろされるように注がれた視線には、ユイレンのような穏やかさはない。どうも好意的ではないことが窺える。
「それは、その……」
五大貴族と王子の集まりであれば、必然的にその話題になることは両親も予想していた。そのため、予め用意していた言葉をライカは唱えた。
「記憶がままならいので皆様にはご迷惑おかけいたしますが、しばらくは養生させていただきたく……」
「――そういうわけにもいかないでしょう」
叩き切るような声を被せられる。ユイレンが嗜めるようにジェルマンに目を遣った。
「選王会議すら開かれていない状況で、<王国の天秤>殿はこの様。国への不満と不安が高まるばかりです」
選王会議は国王の許可によって開かれる、次期後継者を選出する会議だ。五大貴族の話し合いで後継者が選ばれ、さらに<王国の天秤>が承認すれば次期国王が決定するのだ。
ナザリウスが即位して以来、その選王会議は一度も開かれていない。これはクラシェイド側から幾度となく要請したとセイランは言っていたが、それでも国王が許可したことはなかったらしい。
「養生している場合ではないでしょう? 任を下りるなり後継を決めるなり方針を決めては如何でしょうか?」
クラシェイド伯爵相手にかなり無礼な言葉だったが、誰も咎める者はいなかった。王国の未来を思えば急を要する問題なのだ。
――会議が開かれないのは国王のせいなんだけど。
その理由は誰にも知らされていない。そもそも、現国王は五大貴族を遠ざけようとしている人だった。ライカネルの祖父も酷く冷遇されたという。
それでも、世間は怒りの矛先を国王には向けない。ナザリウスが誰よりも過激な王であることを知っているからだ。そして、代わりにその責を一身に受けているのが<王国の天秤>であるライカネルなのだ。
――だから、ずっと苦しんでいた。
小説の中でライカネルに余裕がなかったのは、どうにもならない現状があったからだ。何度も選王会議開催の嘆願書を送っても、返事すら届かなかったという。
「優秀な従兄弟殿がいらっしゃるではありませんか?」
ライカは机の下でぎゅっと手を握る。従兄弟であるラッカス・フレンダルの存在ならセイランから聞いていた。彼は幼い頃からクラシェイド家に養子として望まれていた青年だった。しかし、彼の強い意志でそれは断られている。
そんな事情は、ジェルマンも知っているばすだ。それでもあえてライカに尋ねる理由は。
「お父上も納得されるのでは?」
「ジェルマン……!」
ユイレンの強い制止が遠くで聞こえる。お腹の底がすうっと冷えるようだった。
ロウザの顔が頭に浮かんだ。どこか頼りない人の良さそうな笑顔をしている。セイランと婚姻を結んでもなお、クラシェイド伯爵を受け継ぐことができなかった彼は、無能なのだと影で冷笑されていた。
ライカネルとして生活を始めて以来、過保護なほど父として優しくしてもらっていたため、ライカは彼のことを慕っていた。
――その人を。
暗に侮辱しているのだ。他の貴族達の前で。
ライカは怒りで肩が震えていた。何か言い返さなければと言葉を探す。しかし、相応しい文言は思いつかない。彼女はこの世界のことをまだよく知らないからだ。
「すまない、ライカネル。ジェルマンが言ったことは忘れて欲しい」
ユイレンの宥める声に、ジェルマンはようやく口を止めた。
――ライカネルもこうやって耐えていたのかな。
馬鹿にされまいと必死に虚勢を張る少年。それが周囲に抱かれていたであろうライカネルの印象だった。
――もっと肩の力を抜けばいいのにと執筆しながら思っていた。
でも、とてもそうはできなかったのだろう。弱味を見せればすぐにでも立場を追いやられる。そしてその影響は、おそらく両親にまで及ぶのだ。
――それでも、私はライカネルではないから。
ユイレンの顔に泥を塗るまいと大人しくすることも、五大貴族達の前で涼しい顔をすることもできはしない。
「ふ、不愉快なので帰ります……!」
きっぱり言ったつもりではあったが、どこか声は震えており、なんとなく情けない感じになってしまった。
「ライカネル!」
おいおいとリーディスが引き止める。その制止も無視してライカは逃げるようにその場から飛び出した。
「ク、クラシェイド伯爵!?」
「一人で帰れます!」
生垣の外で待機していた従者が後を追ってきたが、ライカはそれを走って振り切った。
王国の天秤は誰が為に傾く 桜井葉子 @youko-sakurai
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