第6話 第一王子の茶会

「体調は良くなったか?」


 鮮烈な赤い髪は、地味なレイアウトで固められた部屋に花を挿したような彩りを加えた。


「はい。だいぶ良くなりましたよ、ゼナイ」


 事故で負った喉や胃の痛みはまだ残っていたが、少なくとも湖に飛び込んだ後に発症した風邪に関してはとっくに完治していた。しかし、外に出れば二の舞と、ライカは屋敷から足を踏み出すことは許されていなかった。


「どうぞ、お掛けになってください」


 応接間の机には、すでに茶菓子が並べられており、ゼナイが腰を下ろすと同時に、侍女がティーカップを運んだ。


「顔色が良いな」


 にこにこと来客に喜ぶライカの顔は、常人よりはやつれて見えたが、前に見舞いに来た時よりは明るい色をしていた。


「おかげさまですっかり良くなりました。もう外に出ても大丈夫なんですけどね」

「突拍子もないことをしでかすと思われてるんだろう」

「もうしませんって」


 ライカは恥ずかしさを誤魔化すように、癖っ毛を指でいじる。それはゼナイが初めて目にする仕草だったが、特に指摘することはしなかった。


「今日来たのは、第一王子殿下の伝言を伝えるためだ」

「第一王子――ユイレン殿下ですか?」


 ライカがこちらの世界に来て以来、ユイレンとはまだ面識がない。屋敷にいる者達以外でライカが会ったことのある人物はゼナイとネイゼン、そしてかかりつけの医者ぐらいなのである。

 だからこそ、ゼナイの来訪にライカがにこやかなのも仕方ないことではあった。


――なんでこの人は王子達の伝言係りをしているんだろう……?


 今は戦争がないから暇なのだろうか。王都に隣接するクラシェイド伯爵領と違い、シルヴィス侯爵領は国境に位置するため、随分と離れた場所にある。

 どうやらゼナイは国王にも逐一呼び出されているらしく、今は王都近くの所領地にある別邸で暮らしているという。


「恒例の茶会をそろそろ開催したいらしい」

「ああ、伺っています」


 ユイレンは有力な貴族、つまりは五大貴族と親交を深めるため、茶会を年に数回ほど開いているのだ。本来ならすでに集会されていたが、ライカが事故に巻き込まれ、体調を崩していたせいで先延ばしにされていたようだ。


「文を送れば断りづらいだろうから、俺を介したという訳だ」


 なんて優しい人なのだろう。ライカはまだ見ぬ王子に感動した。ネイゼンと違い、ユイレンはその優しい人柄を評価されている人物だ。小説の設定通り、やはり気配りのできる心優しい王子らしい。


「どうだろうか?」


 ゼナイが慎重に様子を伺っているのは、おそらくセイランのことを考えてだろう。


「うーん……」


 体調は無理をしなければ問題ない。だが、セイランが快く許可してくれるだろうか。やはりライカもそれが気掛かりだった。


「まぁ、大丈夫でしょう!」


 他でもない、第一王子との謁見なのだ。断るわけにはいかないはずだ、とライカは決めつけた。


 原作の内容でライカが思い出せるのは、湖の事故のところまでだった。だから、この先はどういう展開になるのかまるで予想がつかない。しかし、ここでライカが茶会に参加しなければ、いつまで経っても話が進まないような気がしたのだった。




 茶会の日は朝からとてもよく晴れていた。


 〝白曜の王子〟ユイレンのやることには、何一つ水を差さないと言わんばかりの蒼天が頭上に広がっている。青白い顔をこれでもかと晒されているような気がして、ライカは少し俯き気味にゼナイの後を追った。


 ネイゼンの時と同じく、ゼナイは馬車を用意して迎えに来てくれた。重鎮が集まる会に一人で赴くことを考えれば、遥かに楽な気持ちになれる。


「こちらでございます」


 案内の侍者に通されたのは、王宮にある庭園の一角で、周囲は高い生垣に覆われていた。本宮から少し離れた場所にあり、まるで秘密基地のようだとライカは子どもっぽいことを考えた。


 扉の代わりに備えられたアーチ状の生垣を越えると、既に先客が席に着いていた。


「よう」


 二人に向かって最初に声を掛けたのは、冴え渡るような青い髪の青年だった。


「いつも一番乗りのライカネルが遅いと思ったら、ゼナイと一緒だったんだな」


 髪色から判断するに、彼の名はリーディス・ヴェイン。<王国の甲冑>であるヴェイン伯爵だと推察できた。近衛師団団長で、国王の身辺警護が主な仕事である。茶会が王宮で開かれる理由の一つは、彼が参加しやすいからであった。


「ほら、座れよ」


 庭園には細長い机が配置されており、リーディスの向かいにはもう一人、男が座っている。ライカは促されるまま、リーディスの隣の椅子に腰を下ろした。

 はっと、息を飲む声が男達から上がる。


――座る場所間違えた?


 こういった場では、上座などの作法があるのかもしれない。ライカは焦ってきょろきょろと左右を見回した。


「記憶喪失というのは本当のようですね」


 リーディスの対面に座ったグレーの髪色をした男、ロゼスタ・フォルス伯爵が呟くように言った。<王国の薬杯>である彼はいくつも年上だったが、青年と言っても信じてしまうほど若く見えた。糸目のせいで表情がいまいち読み取れない。


「もう大丈夫なのか、ライカネル」


 立ち上がりかけたライカの背中を、リーディスがどんと叩いた。本人なりに加減したであろうその手は、細いライカにはいささか攻撃的だった。


「い、痛い……」 


 咳き込みながら、ライカは目の端に涙を浮かべる。悪意のないスキンシップは時に無情なのだと静かに悟る。


「記憶があったらそいつの隣には座らんだろうからな」


 ゼナイは知らん顔してロゼスタの横に座った。


「俺のことも忘れちまったのか。寂しいなぁ」


 次にリーディスの手はライカの頭に伸びた。そのままわしわしと撫で回し、リンゼの手入れを無駄にしていく。


――嬉しいけど、嬉しくない……。


 自分を心配してくれるという点で、きっとこの青年は良い人なのだろう。しかし、この無遠慮さが少女には少し鬱陶しく感じさせられた。


――神経質なライカネルならなおさらだろうなぁ。


 顔を合わすなり、青年との関係を理解させられた。ライカは諦めた目で配膳されたティーカップを見下ろす。


「皆、揃ったようだね」


 そう言って庭園の奥から現れたのは、柔らかな白金の髪に、穏やかな微笑を讃えた天使のような青年だった。その後ろに眼鏡をかけた青年が静かに控える。


 第一王子・ユイレンは、今まで会ったどの男性よりも美形で、ライカは思わず言葉を失った。

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