第5話
ユクシ村に来て四日目。今日からリリファは商品を作り始める。様子を見るに体調は問題ないようだ。一日休んで疲れも取れたのだろう。
俺はリリファの手伝いをしながら庭の手入れをする。予定だったが、リリファに引き留めれて調合に付き合っている。
「んぐ、ンぐぐ」
「魔力を込め過ぎだ」
「わ、わかってます。でも、調節が難しくて」
リリファは錬金釜と格闘している。工房に備え付けてあった釜を使うことにしたが、初めての調合に戸惑っているようだ。
「……あっ」
「どうした?」
「いえ、なかなか癖が強くて」
回復薬の調合に失敗したリリファは悔しそうに唇を噛んでいる。確かに癖はあるが、失敗するほどではないはずだ。いや、わざと失敗したのか?
「あの、やってみてくれませんか?」
「ああ、構わないが」
俺はリリファと交代して釜の前に立つ。それから釜の中身を廃棄して水を注ぐ。魔力で水を最適な温度にまで温め、数種類の薬草を入れて魔力を注ぎ撹拌する。
一度沸騰させ、そこからゆっくり温度を下げ68.23℃の温度を保つ。魔力を注ぐ量が多くても少なくてもすぐに温度が変わってしまうから慎重に調節していく。
「よし、できた」
二十分ほどで回復薬が完成した。あとは不純物を取り除いて瓶に詰めればいい。
「……ルビーレッド」
「ああ、宝石の赤だ。それがどうした?」
「特別な物は入れてないはずなのに」
リリファが釜の中を見て真剣な顔をしている。普通の回復薬なんざ特に珍しくもないはずだが。
「これでも濁りが多い。ジジイの回復薬に比べたらまだまだだ」
「これで、ですか……」
質の良い回復薬は鮮やかな赤色をしている。ルビーレッド、宝石の赤と呼ばれる色だ。
「そういえば嬢ちゃんの回復薬は見たことがなかったな」
「……見ますか?」
リリファは工房に置かれた荷物の中から瓶に入った回復薬を取り出して俺に見せてくれた。
「これが、私のです」
見せられた回復薬はブラッドレッド、血の赤をしていた。動脈血のように鮮やかな赤だが、宝石のような鮮やかさはない。
「これが精一杯じゃないだろ?」
「これが、精一杯です」
リリファは唇を噛んで目を伏せている。悔しそうに、苦しそうに顔をしかめている。
なぜだろう。なぜリリファも全力を出さないのか。この程度じゃないはずだ。
そう、なぜだか知らないが俺の知る錬金術師は本気を見せてくれない。俺の回復薬を見せると苦い顔をされることもある。俺程度が作れる回復薬なら誰でも作れるはずなのだが、なぜか皆、俺の物より色の悪い回復薬しか見せてくれない。
俺なんざ、ジジイや姐さんたちに比べたら雑魚も雑魚だ。錬金術師なら俺程度のできることならできるはずだ。なのに皆、嘘をつく。無理だとかできないとか下手な理由を付けて俺に本当の力を見せてくれない。
まあ、ほいほい実力を見せるわけにもいかない理由があるのだろう。自分の本当の実力を知られるのはリスクがあるからな。
しかし、そうも言ってられない。商品として客に提供するならこれではダメだ。血の赤では。
「手を抜くな」
「手なんて抜いてません。これが精一杯なんです」
「なぜ嘘をつく?」
「嘘?」
「そうだ。錬金術師なら、俺程度の赤なら問題なく出せるはずだ」
「……本気で、言ってるんですか?」
信じられない物を見るような顔でリリファは俺を見ている、なぜそんな顔をしているのか、俺にはさっぱりわからない。
「本気も何もの錬金術師なら誰でも」
「誰でもできるわけないじゃないですか!!」
リリファが大声を張り上げ俺を睨んだ。なぜだか涙目で睨んでいる。
「普通じゃないんですよこの色は! ミスリルを素手で変形させるのも! ゴンドロア製の釜を持ってるのも!」
何をそんなに怒ってるんだ? 俺は変なことは言って……。
いや、俺が変なのか? いやいや、そんなわけが……。
「いや、できるだろう?」
「できません! なんでできると思ってるんですか!?」
「いや、姐さんやオルガス兄さんは、普通に」
「じゃあその人たちも普通じゃありません!」
普通じゃ、ない?
「……普通じゃないのか?」
「普通じゃありません!」
「普通じゃ、ないのか……」
ジジイが普通じゃないのはわかる。人間かも怪しい。だが、姐さんたちは普通のはずだ。普通の錬金術師のはず。
……もしかして、俺の認識が間違ってたのか? 姐さんたちは普通じゃない? そもそも普通とはなんだ? わからん。
十歳からジジイのところで修行して、十年前に独り立ちして、今年で四十歳になる。一応、一般常識は身に着けているつもりだし……。
身に着けられているのか? なんだか不安になってきたぞ。
わからん。何もわからん。そもそも俺はそれほど頭が良いほうじゃない。だから学んだし、学ばされた。そのおかげで頭の悪い俺でも何とか錬金術師をやれている。まあ、ジジイの修行は過酷で、何度も殺してやろうと思うほど憎んだこともあったが、それでも学んだことは無駄にはなっていない。馬鹿な俺でも生きていけるのは、ジジイのおかげ、ではある。言いたくはないが。
しかし、普通の一般常識を学べたか、というと不安だ。一応、教えられてはいるが、それが本当に世間一般の『普通』なのだろうか自信がない。
となれば、学ぶしかない。わからないことは学ぶのだ
「……師匠」
「……はい?」
俺は普通じゃないらしい。しかし、普通がどんなものなのかわからない。俺の考えている普通とリリファが考えている普通の違いがどれほどあるのか見当もつかない。
ならば教えてもらおう。それがいい。
「今日から師匠と呼ばせてくれ」
「いや、え? は?」
優れた者に学ぶ。それに年齢などは関係ない。相手が優れているのならば、師と仰ぐ相手が年下であろうが何も問題などはない。
「俺に普通を教えてくれ。正直、さっぱりわからないんだ」
「……意味がわからないんですけど」
リリファが俺を見て頭を抱えている。まあ、無理もないだろう。こんなおっさんに師匠などと言われていい気分なわけがない。
もし断られても仕方がない。リリファの気持ちを尊重するのは年長者として当たり前だ。
「でも、ジェイドさんが普通じゃないのはわかりました」
リリファが大きなため息をついて、それから呆れ気味に笑った。
「そもそも先に無理を言ったのは私の方ですし」
「無理? なんのことだ?」
「工房を手伝ってほしい、って言ったじゃないですか」
「それは無理なことなのか?」
無理、ではない。俺は別に何も気にしていない。そもそも俺はただ彷徨い歩いていただけだ。
錬金術師としてジジイの元から旅立って、けれど俺にはやりたいことがなかった。とりあえず飢えないように腹を満たして、困っている人間がいたら手を差し伸べて、ジジイの名を汚さないように、それだけを考えていた。
ジジイは本当にクソジジイだ。正直言って人間として最低の部類だと思っている。
だが、錬金術師としては超一流だ。俺はジジイ以上の錬金術師を見たことがない。その弟子たちも、姐さんや兄さんたちも立派な錬金術師だ。
俺はジジイや姉兄弟子たちの名を落とさないように、それだけを考えて今までやってきた。ジジイや姉兄弟子たちと比べたら出来の悪い俺が、皆に迷惑をかけないようにと、それだけを考えてきた。
だから、誰かの役に立てるというのは俺にとって嬉しいことだ。目的のない俺の旅に、俺の人生に意味を与えてくれるのだから。
親に捨てられ、野垂れ死ぬしかなかった俺の、意味のない人生に意味を与えてくれる。だから、リリファの頼みは無理ではない。
「怒鳴ったりして、申し訳ありませんでした」
「別にいい」
「それで、本当に厚かましいのですが。改めてお願いできますでしょうか」
リリファが姿勢を改めて深く頭を下げる。
「ジェイドさん。あなたは普通じゃありません。その普通じゃない錬金術を私に教えてください」
そう言うとリリファは顔を上げた。その表情は真剣そのもので、彼女の本気が俺にもわかるくらいだった。
「いいぞ。その代わり俺に普通を教えてくれ。師匠」
「はい。よろしくお願いします、師匠」
俺とリリファは顔を見合わせる。それからなぜかリリファはおかしそうに吹き出した。
「どうした?」
「すいません、ちょっとおかしくって」
何がおかしいのか俺にはわからないが。まあ、リリファが楽しそうだからいいか。
「あの、お互い名前で呼び合いませんか? 師匠って呼ばれるの、居心地が悪くて。それにお互いを師匠呼びするのは」
「まあ、変と言えば変なのか」
確かにそうかもしれない。俺がリリファのことを師匠と呼んで、リリファが俺のことを師匠と呼ぶ。考えてみれば変かもしれない。
「じゃあ、リリファさん」
「さんもいりません」
「わかった。リリファ」
「はい、ジェイドさん」
「俺もさんはいらない」
「いや、さすがに年上の人を呼び捨ては、ちょっと」
別に気にはしないんだが、リリファが気にするのならそれでいいだろう。
「では、改めて。これからよろしくお願いします、ジェイドさん」
「ああ、よろしく。リリファ」
世の中には学ぶことがたくさんある。もう終わり、ということは永遠に無いだろう。
そう、終わりはない。学び続けなければならない。完璧だと思った時点で成長は終わるのだ。
学ぼう。しっかりと。
野良のおっさん錬金術師 甘栗ののね @nononem
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