第4話

 ユクシ村に来て三日目。今日から店に並べる商品作りを始める。その前に、リリファがなぜか謝ってきた。


「すいません、あの。昨日は取り乱して」

「昨日? なんのことだ?」

「えっと、ミスリル釜のことで」

「ああ、あれか。あれは俺が悪い」


 あれは俺が悪い。錬金術師の命とも言える錬金釜を風呂に使おうとしたんだ。まあ、予備はあるしいいか、と考えた俺が悪い。


 だがしかし、風呂は欲しい。だから、形を変えてみた。そう、釜が釜の形をしているからいけない。


「ちゃんと変形させておいた」

「そうですか。へん……。変形?」


 俺はいくつか錬金釜を持っている。一つぐらい潰しても問題はない。


「ああ。こう、手足を伸ばしてゆったり入れるように、横長に」

「横長?」

「横長」

「どうやって?」

「ミスリルは魔力を込めるとある程度変形させることができる。ってのは知ってるだろう?」

「知って、ますけど……」


 変な顔をしている。リリファがなんとも形容しがたい顔をしている。


「いやいやいやいや、道具を使わずにミスリルを変形させるってどれだけ魔力が必要だと」

「魔力があればできる」

「だからそれが普通じゃないんですって!」


 何を怒っているんだ? 騒ぐことでもないだろう。これぐらい錬金術師ならできるはずだ。ジジイは素手でミスリルを粘土みたいにこねくり回していたんだ。


「疑うなら見てみるか?」


 というわけで俺とリリファは作業の前に浴室へ向かった。


「……」

「錬金釜を変形させた浴槽だ。扱いは釜と同じだ。湯の温度は魔力で調整できる。保温性もいい」

「……頭が痛くなってきた」

 

 ミスリルの浴槽を見てリリファが頭を抱えている。調子が悪いなら、作業は明日からにした方がいいが、大丈夫だろうか。


 もしかしたら引っ越しの疲れが出て来たのか? ここに来てすぐに掃除やらあいさつ回りで休む暇もなかったから、リリファは疲れているのかもしれない。


「疲れてるなら無理するな。体を壊したらどうしようもない」

「……ありがとうございます」


 リリファがでかいため息をついている。やはり疲れているようだ。こういう時は休んだほうが良い。


「大丈夫です。あなたが非常識過ぎて頭が痛いだけですから」

「非常識?」

「非常識でしょう、どう考えても」

「なぜ?」

「……本当にわからないんですか?」


 わからん。俺が非常識? 一般常識は身に着けているはずだが。


「あのですね、普通の人間は道具も使わずにミスリルを変形させることなんてできないんですよ」

「俺は錬金術師だ」

「普通の錬金術師はできません!」

「錬金術師ならできるだろう?」

「本気で言ってるんですかこの人は」


 なぜかリリファが化け物でも見る様な目で俺を見ている。そう言えば前に同じような目を向けられたことがある。確かあの時は、ヒゲも髪の毛もボサボサで、俺を見た奴らが魔物だなんだと騒いでいたな。


「そうだな。客商売をするのにこの見た目は非常識だな」

「いや、え? 見た目?」


 ここは工房兼住居兼店舗だ。ここが開店すれば俺も店番に立つかもしれない。店の顔は看板や店構えだけじゃない。そこで働く従業員も店の顔だ。なら、汚らしいヒゲも伸びすぎた髪も、店に立つ人間としてはふさわしくない。


「ハサミと剃刀を持ってくる」

「あ、え、ちょっと……」


 この店の主はリリファだ。俺は助手でしかない。主であるリリファに恥をかかせちゃいけない。年上の男が年下の少女に恥をかかせるわけにはいかない。


 が、さて、どうしたものか。ヒゲは剃るとして、髪の毛をどうするか。丸坊主にしてもいいのだが、その方が楽なのだが。


「あの、ジェイドさん」

「すまん、嬢ちゃん。流行りの髪形は知らんのだ」

「いや、あのですね」

「悪いが嬢ちゃんが切ってくれ」

「……なんなんですか、この人は」


 どれぐらい髪を切っていないのか忘れてしまった。ヒゲもいつ剃ったのか思い出せない。見た目なんてどうでもいいと思っていたし、気にする必要のない生活をしていた。


 だが、それじゃいけない。人前に出る以上は見た目に気を付けないと。


「なにがなんだかわかりませんが。髪を切ればいいんですね?」

「ああ。頼む」


 というわけで俺とリリファは俺の髪を切るために外に出た。外に椅子を置き、その椅子に座るとリリファがハサミで俺の髪を切り始めた。


「まあ、これくらいでいいんじゃないですか?」


 背中の中ほどまであった長い銀髪をバッサリと肩のあたりで切りそろえた。前髪も整えて、とりあえず顔が見えるようにはなった。


 次に俺は浴室に行ってヒゲを剃った。鏡を見ると自分の顔が映っていたが、久しぶりに見たヒゲのない自分の顔はなんだか別人のように思えた。


「これでいいか?」


 髪を切りヒゲを剃った俺はその姿をリリファに確認してもらった。店に出てもいいか店主であるリリファに判断してもらうためだ。


「どうした?」


 ヒゲのない俺の顔を見たリリファはなぜかポカンと口を開けていた。そのポカンと口からおかしなセリフを吐いた。


「……だれ?」


 誰? とはなんだ? 俺は俺だが、俺は俺じゃないのか?


「俺だが?」

「……非常識」


 リリファは俺の顔をじっと見て、なぜか顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。なぜ? さっぱりわからん。


「どうした? 具合でも」

「きょ、今日はお休みにします! おやすみ!」


 なぜかリリファは怒っていた。やはり体調が悪いのか。もしかしたら、月のものか? 女は男と違って周期的に体調を崩す。だとしたら、悪いことをしてしまった。もっと注意しなくては。


 しかし、どうしたもんか。こういう話はデリケートだ。男が踏み込むには少々難しい話題だ。昔、それで痛い目にあった。辛そうだからと薬を渡したら、デリカシーがないとボコボコにされたことがある。


 俺は四十。男でおっさんだ。女のデリケートな悩みに不用意に立ち入ればリリファを不快にさせてしまう。かと言って苦しむリリファをそのままにしておくのは忍びない。


 そうなるとここはカルナかジェーンに相談したほうがいいかもしれない。俺は薬は作れても乙女の悩みは専門外だ。


「休みになったし、話してみるか」


 わからないことを聞くのは恥ではない。わからないことをわからないままにしておくことは危険だ。そして、わからないのにわかるフリをするのはもっと危険だ。


 まずはカルナに話してみよう。ついでに調薬に必要な素材や道具も見に行こう。


 というわけで俺はカルナの両親が営む道具屋に向かったわけだが。


「……ふぁあ」

「どうした? 俺の顔になにかついてるか?」


 カルナの店に行くとちょうどカルナが店番をしていた。そして、俺のに気が付くとなぜだかカルナは動かなくなってしまった。


「……あ、あの、どちら様、でしょうか?」

「俺だが」

「もしかしてジェイドさん!?」


 なぜだか驚かれてしまった。意味がわからん。


「ひ、ヒゲは」

「剃った」

「髪は」

「切った」

「はわ、はわわ」


 なぜ驚く。そして、どうして離れる。距離を取ろうとする。もしかして、カルナは俺の顔が怖いのか?


「すまん、怖かったか?」

「こ、怖くなんてないです! むしろすごくいいと思います!」

「そうか?」


 何がいいのかよくわからんが、俺の顔を怖がっているわけではなさそうだ。それなら、いい。


「カルナ、少し相談にのってくれるか?」

「相談、ですか?」

「ああ。できるなら一緒に食堂に来てほしいんだが」


 一人で店番をしているのなら無理に誘うのは悪いと思ったが、どうやら奥に母親がいたようだ。カルナは母親に店番を頼むと、俺と一緒にジェーンのいる食堂へ向かった。


 そして、そこでもカルナと同じような反応をされた。


「……誰だい、あんた」

「俺だ」

「もしかして、リリファちゃんの助手かい!?」


 驚かれた。なぜ?


「なんだいなんだい、いい男じゃないか」


 いい男。ジェーンは俺をいい男と言った。そう言えば、昔、同じようなことを言われたな。ヒゲを剃れ、髪を切れ、風呂に入れ、身だしなみに気を付けろ。いい男なんだからちゃんとしろ、と。


 いい男。そんなことはないと思う。俺が助けた王子様やライルに比べたら、俺なんざ足元にも及ばない。


 そう言えばあの王子はリックベイルとか言ったか。王子様には悪いことをした。クビになったとはいえ何も言わずに出て行ってしまった。王子様も恩返しのつもりで俺を研究所に入れてくれたのだと思うが、それを無下にしてしまった。


 もしまた会うことがあったら謝ろう。不義理をしたのだから。


「そんなことはいいんだ。それより二人に相談がある。実は――」


 俺はカルナとジェーンにリリファのことを相談した。どうすればいいかと、俺にできることはないかと聞いてみた。


 だが、どうやら俺にはできることはないらしい。やはり四十のおっさんが踏み込むにはデリケート過ぎる話題のようだ。


 なので、この話はカルナとジェーンに任せることにした。今度、リリファを連れて食堂に来て、ジェーンとカルナがそれとなく話をしてくれるらしい。


「助かる。今度何か礼をする」

「いいですよ、そんな」

「そうだよ。これから村のために働く仲間なんだ。もし何かしたいなら、働いて返してくれりゃいい」

「そうか。わかった。ありがとう」


 いい奴らだ。カルナもジェーンもいい人間だ。この世界の人間がすべていい人間というわけじゃないが、カルナとジェーンは信じられるいい人間のようだ。


 ありがたいことだ。本当に。

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