手長の道

 僕は塾が嫌いだ。と言っても、別に勉強が嫌いというわけじゃない。

自分の行きたい高校に入るためには、勉強しないといけないし、その先のことを考えても、勉強は大切だ。先生だってちゃんと質問に答えてくれるし、同じクラスの友達も一緒に通ってる。

 それでも、塾に行くと帰りが遅くなるから、嫌いだ。学校の部活が17時過ぎに終わって、それから授業があって、終わるのは20時くらい。残って気になることを質問したり、友達と勉強してしまうとあっという間に21時を過ぎて、帰り道は真っ暗だ。

 正確には街頭とか、コンビニとかの明かりがあるから、山道みたいに真っ暗にはならないんだけど、それでも昼間に見る景色とは全く違う。


 暗いところには、決まって何か怖いものがいるように見える。道路の角とか電柱の裏とか、街灯の少ない細い路地とか。本当はただの影で、大きさとか形が人間に似ているから、脳が錯覚しているんだって。でも理屈が分かっても怖いものは怖い。

 両親からは、防犯のために、なるべく明るくて人通りのある道を通るように言われているし、自分でもそういう道を選んでる。でも明かりが多いってことは、できる影の数も多いってことでしょ?

 街灯のある大通りに立って、途中に伸びた細い通りを覗いてみると、普段よりいっそう暗く見えて、何か得体のしれないものが向こうから走ってくるんじゃないかって、嫌な想像をしてしまう。


 小学生に上がってすぐの頃、夏休みに訪れたおばあちゃん家でお化けを見たと大泣きしたことがある。おやつの前に手を洗っておいで、と、炊事場まで小走りで向かった時、廊下の向こう側、炊事場の中から壁に沿って長い影みたいな手が伸びていた。

うわぁぁと叫びながら両親の元に戻り、泣きながら、「キッチンにお化けがいる。」と訴えたのだが、戻った時には何もいなかった。

 「おばあちゃんはこの家に何十年も住んでるけど、お化けなんてあったことないよ?」

そうやって優しく慰めてもらったことを覚えている。おばあちゃん家のお化けは、それ以来現れてないし、家に帰ってきてからも変なことはなかったから、気のせいだったのだと思うようにしている。

 それでもいまだに暗がりは怖い。机やベッドの下、押し入れの端、朝の誰もいないリビングや、夜中に喉が渇いた時のキッチン。普段過ごしている当たり前の場所が、違う景色で見えた時に、すごく怖く感じるんだ。


 塾に通うようになって、日常的に夜道を歩くようになってから、これまで以上に暗がりを気にするようになったと思う。「恐怖」という感情は厄介で、一度気にし始めるとその影響はちょっとずつ増えていく。

 初めのうちは、暗いから早く帰ろう。くらいだったものが、

あそこの影が人に見えるな。

あそこに誰かいるんじゃないか。

もしこの暗がりに何かがいたらどうしよう。

と段々と大きく膨れ上がってくる。そうすると、過去の記憶も合わさって、「いるはずのないもの」が輪郭を帯びてくる。


 「それ」もまた、小さな違和感から始まった。いつもの塾の帰り道。車が来ないか視線をやった細い路地の、奥にある電柱の裏に人型の影が見えた。そういうのは、たいてい選挙の看板とか、自販機の横にあるゴミ箱とか、電柱への光の当たり方とかが理由だ。ちょっと嫌な気持ちになったけど、いつものことだと家に帰った。

 それなのに、毎日帰るたびに見かけると、そこに何かいるような気がして怖くなる。一週間くらい経った日には、影がちょっと大きくなったような気がした。大きくなのか、長くなのかわからないけど。

 その次の週には、ぼんやりとした輪郭が、ちょっとだけくっきりしているように見えた。人間にしては長めの腕を、壁に沿って伸ばしているように見えて、すごく怖かった。

 

 その路地を見ないようにしたいのだが、見ないようにすればするほど、頭の中で嫌な想像が成長する。影はどんどん手を伸ばして、やがてこの通りまで手が届くんだ。

ある日、横目で少しだけ路地を見てみた。

相変わらずそこに影はあった、相変わらずはっきりと人型だし、手は前より絶対伸びていた。


 友達も親も、「暗がりのお化け」は卒業してしまったけど、僕の中ではずっと生きている。僕が本当に無視できない限り、あれは成長し続けるし、そのうち本当にこの通りまで手が伸びるんだろう。


 こうして夜道を歩いていると、歩道やら壁やら、僕の後ろから長い影の手が伸びてきて、すぐ後ろまで来ているんじゃないか。

 そんなことばかり考えてしまって、怖くて後ろが振り向けない。確かめてしまったら、それはもう想像じゃなくなってしまいそうだから。

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怪談ノ本箱 夢翔 鳩 @pigeon_yumetobi

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