愛を知らない私は悪なのか?

脳幹 まこと

ようこそ、出来損ない。


 三日間の帰省が終わった。

 正確には明日までの四日間だったのに、実家でキレ散らかして、制止も聞かずに最寄り駅までの数キロを歩いてきた。

 財布とスマホ以外の荷物は置き忘れてきたけど、まあ、安い衣服とか、時間潰し用の本くらいしかなかったから問題はない。

 さっきから振動がうるさくて、スマホなんて絶対覗いてやらないぞなんて思ってたが、それは自分の心拍だった。連絡は一つも来てない。自業自得なのに泣きたくなった。

 反省の言葉でも書こうと思ったが、何も浮かばない。駅のベンチに腰掛けるとオリオン座がくっきり見える。冬は好きだった。どんなに悲しくてもオリオン座を見ると少しだけ震えがおさまるから。



 アラサーになるまでもなく、私は一生独身のつもりだった。

 縁がないからじゃない。そういう精神性だから。いるじゃない。友達とか知り合いだったら面白いけど、ずっと一緒にいるとなるときつい人。

 私はそういう人。自他ともに認める恋愛不適合者。まあ、エンターテイナーとかじゃなくて、冷徹なコンピュータ人間なんだけどね。

 例えるならオフィスが舞台になるドラマで出てくる悪役みたいな人。部下を駒のように扱い、効率化のためには手段を選ばない。最終的には大らかな心を持った主人公と仲間達に打倒される。ほだされるか、クビになるかは物語次第だけど、まあ自分の強みをへし折られる形にはなる。

 コンピュータ人間は誰かと深い付き合いをすると、意図の有無を問わず、誰かの心を傷つけてしまうことがある。なぜかというと、人を始めとしたあらゆるものをモノ・・としか見ないから。

 過程や機微、感情を重要視しない。彼らにとって必要なのは結果、データ、メソッド。そういう生き方は効率的ではある。


 ともかく、私はそういう人だ。今までの就労経験で自覚を得た。誰かと付き合ってよい人ではない。人格破綻とまでは言わない。でも、仕事に身を捧げた方がきっとマシなのだ。私はそういう役割であると把握し、実際、割り切ってからは仕事が上手くいきはじめた。

 でも家族はそのり方を認めてくれなかった。私以外の全員が結婚をし、子供を授かっている。私の知らない愛を持ち、私の知らない幸せを持っている。そして、帰省のたびに、それとなく私に推すのだ。


 最初、私は罪悪感があった。家族の優しさを無下にするなんて。親戚の子供だって可愛いし、その様子を眺めるパパママとなった従兄弟いとこの姿だって幸せそうだ。

 自分が経験したこともない恋愛を、そのまま手放してしまっていいのか。誰にだって権利がある。別に難しく考えることもないのでは、と。

 だから、もどかしさを抱えながらも、周りには「縁があったら」とか「頑張ってみる」とかそれとなく諦めない姿勢を見せてはきた。


 でも、30超えた方のアラサーになって、周りの心配が大きくなってきて、対して私は悟っていた。もういつ爆発してもおかしくはなかった。



 当時の爆発の様子を、言葉で説明することは冗長な上、とても不毛だ。

 あったことだけを書くなら、以下の通り。


・帰省二日目の夜、親戚Aより第一射をうける。やんわりと先延ばしを試みるも、親戚B・Cから「やっぱり血の通った子供が出来ると、優先順位が変わる」をはじめ、仕事軽視の発言が多く出る

・露骨に口数が減る。不機嫌を感じ取ったか、親戚一同は会話を中断。ただしその情報が実母に伝わる

・帰省三日目、顔を合わせないように外出し時間を稼ぐ。季節が季節のため、あまり目ぼしい成果なし

・夕方に帰宅。実母から夕飯の提示を受け、実父含めテレビ番組を見て談笑

・番組が面白くなったところで、実母より結婚に関する尋問を受ける。番組の方に集中させようとするも、実父リモコンを使用しテレビを消す

・尋問のやり取りをまとめると「仕事に対する取組み、私の性質は理解しているが、それでも将来、自分と苦楽を分かち合える人と出会うことは、必ず人生に替えのない経験を与えてくれる。考えてはもらえないか」というものだった

・私の反論はすべて一旦は引き受けられるが、すべて上記の結論に帰結

・このやり取りが一時間を超えたあたりで、私は「生涯独身を貫きます」と発言。彼らは悲しみと怒りが半々になったような反応をした。言葉にするなら「なんでわかってくれないの? この頑固者は」

・貴重品を持ったうえで実家から出た




 知ったことか。


 経緯を改めてまとめてみて、自然に出た言葉がこれだった。


 なんでなんだろう。

 なんで、あなた達の思っている数十倍も数百倍も思い悩んできたって、思わないんだろう。

 都会じゃ、帰省先よりもデートスポットが遥かに多いし、遥かにオープンに関係を公開してくる。平然と抱き合っているカップルもいる。その様子を見て劣等感や嫉妬をくすぐられないと思ってるのか?

 愛が大切なものだなんて、分かってる。どの哲学書を引いても、「愛」が結論にならないものはなかった。愛は常に味方にある。


 その味方に突き放された者はどうする?

 愛を得られない者は、愛以外のもので何とかするしかない。私の場合は仕事だった。幸いコンピュータ人間は、一般的にはやりたがらない仕事が出来る。後ろ指をさされようが、それが世の中に貢献するってことだし、自分の存在意義を確かめることにもつながる。

 仕事人間で何が悪いんだ。あなた達がパートナーや子供で埋めているものを、仕事で埋めて何が悪い。そのくらいわきまえてるさ。

 そのかわり、あなた達が得られなかった幸福を、これから私が得るんだ。それが世間ドラマ的には悪役に位置するものだとしても、それは良い事じゃないのか?


 私は家族や親戚は好きだ。でも、この面だけは吐き気がする程嫌いだ。



 でも、この吐き気がする程嫌いな面が、どうにも世間一般の考えってやつらしい。

 私は絶望的になる。


 運動が出来ないから学校でいじられるのは、最悪学校が終わればなんとかなる。今なら仲間だって大勢いる。

 外見が悪い点も、外見が九割だって分かってるだろうが、仲間はいる。中身を見てくれる人だっているだろう。少なくともドラマはそういう連中を救ってくれる。

 でも愛を知らない連中は、家でも学校でも職場でも老人ホームでもネットでも、どこにも居場所がない。

 だって、外見より中身が大事だって作品がうたってるスローガンは「結局のところ愛は勝つ」だもの。

 ドラマを見てごらんよ。仕事一筋だった人間にも、ちゃっかりパートナー出来てないかい? 仕事が報われた、これだけでいいじゃん。でもいつの間にかそのひたむきさに惚れた人が出来てる。つまり、これが「報われる」ことの最低条件だって思われてるんだ。


 愛なんて知らない。知りたくもない。

 そんな自分を肯定しようとすると、ニヒリストやら反出生主義なんて言われてしまう。 

 これは男だ女だって話じゃない。愛はなぜか否定されない。否定しようとするとどうなると思う? 反発さえこないんだ。

 彼らはね、あわれみを持った目でこちらを見つめる。


 ああ、かわいそうに。愛を持たない人はこうもかたくなになってしまうのね。

 わかっているよ。わかっている。そんな気持ちはわたし達にもあった。でもね愛はそれをも包み込むの。

 それでも愛を求めることを止めないで。



……あなた達になにがわかるっていうんだ?


 この反抗すら「愛」に包含されてしまう。

 愛は万物のいしずえであり、規則であると言いたげだ。


 何をどう解釈しても私は「求めている」ことにされてしまう。ア・プリオリということだ。愛は何よりも先んずる。



 愛を知らない(経験しない)と、その他のものをどれだけ磨こうとも、100点満点のテストで20点減点になるらしい。そして、心を持たぬ80点完璧超人は、主人公一同の90点くらいの絆の前に屈しましたとさ。

 自分で向き不向きを見分け、向いているものに全てを注ぎ、他のものを見向きもしない。一般人よりも何倍努力しようが、愛を持たないとその時点で減点なのだ。

 誰もが簡単に出来る問題だから、生物として当たり前の感情だからという名目がある。


 それは正解だ。

 本当にそう思う。愛を持たないものは出来損ないだ。

 あなた達の理解だと、仕事は愛の対象には含めないみたいだね。そうだよね。仕事は喋らないし、笑わないもんね。

 なら、出来損ないでいいよ。わかった。それは認めるよ。


 子供時代から何者でもなかった自分。仕事に身を捧げることで何者かになれたと思った自分。

 30過ぎてようやく嬉しさを噛み締めた自分。


 今までの努力はあなた達の前置き、愛の噛ませ犬に過ぎなかったというわけだ。


 畜生。

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