看取ってからの話

火葬は近所の霊園にお願いしました。


段ボール製の棺に遺体を入れ、ドライフードやちゅ〜る、ゆで卵(猫の好物)、彼がよくいた場所の写真や家族の写真も用意しました。私の髪の毛も持って行ってもらうことにしました。

(棺にシーツや布団、枕などのセットもついていて驚きましたね……。ちなみに段ボール製の棺はネットに売っています)


骨壺は火葬場でも売っていましたが、私は事前に用意しました。


お骨は人間と同じように箸で入れることができるようで、「ペットは家族」という認識が浸透しているのだなとありがたく感じました。

(火葬場によって違うと思いますので、ご利用の前によく確認してください)


お骨を見ていて気づいたのですが、左の頬から下顎にかけての骨が残っていませんでした。


そうです、腫瘍があった場所です。


道理で口が開かなくなるわけだと。そんな中でよくここまで頑張ってくれたと、すぐに彼を追いかけて抱きしめてやりたい気持ちになりました。


骨壺に収まってしまうと、やはり一段落ついたという気持ちになるのでしょう。少しだけ気持ちが前向きになったような気がしました。


葬式は残された人のためにある、とはよく言いますが、本当にその通りだと思います。


骨壺やお仏壇を選んでいる時は、不謹慎ながらもあまりのかわいさに和んだ覚えがあります。本当にかわいいんですよ……。


ところで、我が家は猫が二匹いると冒頭で申し上げました。残された一匹はどうなったかというと、特に変わった様子がなく、変わらず日々を過ごしています。


故猫が動けなくなるまで長い時間があったから、その期間に何か話したのかもしれません。探すような仕草も見せず、2匹で寝る用に買った大きなベッドを堂々と占領しています。


看取る間際に漏れた尿の染み込んだズボンや、猫の口を拭ったティッシュ、寝床をなかなか処理できなかった私とは大違いです。


未練がましい私を見かねてか、残された猫は毎日のように私の布団の中で寝てくれるようになりました。本当に優しい子たちです。



さて。

ペットロスはつらいと聞いていたので覚悟していたのですが、少なくとも看取ってすぐの時はあまり感じませんでした。


というのも、看取り以降すぐに同人誌出版のための原稿修羅場に突入してしまったので、じっくり浸る余裕がなかったのです。


もちろん、ふとした瞬間に看取る間際のことを思い出してベソベソすることはありましたが、噂に聞く鬱のような症状はありませんでした。


少なくとも、看取ってすぐの時は。


時間を経るにつれて、次第に現実がーー「あの子がいない」という現実が染み込んできました。


遺体を安置する間ガンガンにかけていた冷房の音や「2日」という日付、服や家具に残ったあの子の毛、いつもいた場所、はたまた何でもないふとした瞬間に、あの子のことが、あの夜が蘇るのです。


看取りは本当につらい経験です。もう二度としたくない。だけど、命を預かる以上、何らかの形で「その日」はやってくる。


残った一匹の猫も、いずれ看取る日がくるのでしょう。


その子を看取ったあと、私は正気ではいられないかもしれない。そのくらい本当につらくて苦しくて、恐ろしい経験です。


ですが、仮にうちの子のすべてを看取ったとして、もう二度と誰一人として家族に迎えたくないのかと問われたら、私は「否」と答えるでしょう。


看取る瞬間も、弱っていく過程を見守るのも嫌です。でも、それもその子の人生だし、見守ることができるのは光栄なことです。また、それ以上に楽しい時間はたくさんありました。


ほえほえ鳴きながら人形を運ぶのが好きでした。

輪ゴムやティッシュを食う、とても危険な子でした。

尻に体温計を突っ込まれるのがめちゃくちゃ苦手でした。

トイレの縁に片足をかけて踏ん張る独特なスタイルで用を足しました。

布団の中の足の間に収まるのが好きでしたが、5分と経たずに飛び出してきました。

脱走してもご飯の音を聞くとすぐに戻って来る子でした。

ヨーグルトの中でも「カスピ海ヨーグルト」が好きでした。

もう一匹の猫に、よく枕にされていました。

愛情深い、とても優しい子でした。


今はつらい思い出の方が先に思い出されますが、それもいずれ時間が解決するのでしょう。


現に、半年経ってようやく「あの子、あれが好きだったね」「あの子、あの時ああだったよね」と笑顔で話したり思い出せるようになりました。


もちろん、闘病の半年も大切な時間です。確かにつらかったけど、それも彼の猫生であり、私の人生です。いつか笑って思い出せるようになるといいな。


この文章を読んでいる人の中には猫や犬、鳥など、さまざまな家族を迎えた人もいるでしょう。これから迎えようとしている人も、きっといるのではないでしょうか。


そんなあなたに伝えたいのは、「終生飼養は飼い主の責務である」ということです。


耳にタコができるほど聞いた言葉でしょうから、わざわざ言う必要もないかと思います。


すべてのペットが円満に寿命を迎えるわけではありません。私の愛し子のように病気をすることもあるかもしれません。お金も時間もかかるし、時にはつらい選択を迫られることも。


ここに書いたことは、あくまで私とあの子の人生の一部です。つらい状態や苦しい状況はもっともっと、それはもう第三の選択肢に手を伸ばそうかと真剣に悩むような状態の日もありました。


そういうことが起こるかもしれない。それでも家族として迎え入れる以上、ともに向き合う義務があると私は思います。


脅すようなことばかり書いていますが、こういうこともあるのだと知っていただければ幸いです。飼い主の判断が遅れたことで、より苦しめることになったことも。


歯周病と扁平上皮癌の間に因果関係があったのかは今となっては分かりません。歯周病と思っていたものが扁平上皮癌の初期症状だったのかもしれないし、もっと早く原因が分かっていてれば治療ができたのかもしれない。


後悔しっぱなしです。ずっと。

「いつかよくなる」って言い聞かせていたのが間違いだった。

セカンドオピニオン、本当に大切。


でもね、やっぱり魅力的ですよ……ペットとの生活は。心から思います。本当に楽しかったもの。


あの子はどう思っているかな。

少しでも楽しかったと、うちに来てよかったと思ってくれるといいな。


生まれ変わってもうちに来てくれると嬉しいけど、また苦しい思いをするくらいなら天国で待っていてほしいような気もする。たまに夢の中で顔を見せてくれればいいからさ。複雑な親心です。



うちの子を看取って半年。ようやく気持ちの整理がつき始めたので、文章に残してみることにしました。

号泣しながら書いたので読みづらい部分もあったと思いますが、ご容赦ください。


この文章が同じ苦しみを持つ方や同じ病気の子を支える方の、何かの助けになれば幸いです。


セカンドオピニオン、本当に大事。本当の本当に。これだけは覚えてほしい。

どうか私と同じ轍を踏まないで。


すべての生き物に幸と健康あれ。


三浦常春

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愛猫を看取った話 三浦常春 @miura-tsune

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