4. 二つの出会いの日(2)
――12年前、高3の夏。
緊急合宿と称して家に泊まりに来た萌絵と、明日菜はこの港に碇の引き上げを見に来たのだった。
あの日、碇は想像していたよりもずっと大きく、ゴツゴツとした質感があって、萌絵も明日菜もただただ圧倒されていた。すぐにビニールシートを被せられてしまったから、実物を見られたのは数分くらいだったけれど、その印象はあまりに強烈だった。
歴史とか、ロマンとか、よくある言葉でくくるのはもったいないくらいに思えたあの時間。
次は、船だよ。絶対、見に来よう。自分が言ったのか萌絵が言ったのか覚えていないけれど、囁くように交わしたその言葉は、決意と約束が入り交じったその思いは、少しも色あせてはいなかった。
「私、これからあれ調べるから」
「……へ?」
一歩前に出て、凜とした表情で、明日菜の横に並んだ萌絵が発した言葉。うまく情報が処理しきれず、気の抜けた返事をしてしまう。
「ちょっと、リアクション薄くない? 決まったと思ったんだけどなー」
にっと口角を上げて、萌絵が得意げな表情を浮かべる。それでようやく、明日菜の胸にもその意味がすとんと落ちてきた。
「……博物館?」
「そうそう」
「……萌絵が?」
「うん、私が」
「……ホントに?」
「ホント。時間かかっちゃったし、非常勤で見習いだけどね。一応、研究員ってことで」
「ちょっと待って……。やだ、ちょっと、嬉しすぎるんだけど。え、ホント? ホントに? いつ?」
「落ち着けー鷹野ー。来月からだよ。引っ越し、手伝ってよね」
「手伝うよ! 市内に借りたの? それともこっち?」
「こっち。なんか貸家? みたいなのがちょうど出ててさ。買い物は不便だけど職場が近いし、いいかなーって」
萌絵が、この島に来る。いや、来るどころじゃない。博物館で、今、檻に入れられて水切りをしているあの船を調べることになったって。
「すごいよ、萌絵……」
「鷹野もね。館長さんから聞いてるよ。何だっけ、歴史部? 顧問の先生がすごく熱心に指導してるって」
「地歴研。地理・歴史研究部だよ。えー、そうなんだ。館長さん、普段は突っ込み厳しいのに……」
「歯ごたえがあると、思ってるんじゃない? あの人、学究肌だし。私も苦労しそうだなー」
不思議だ。違う進路を選んで、二人とも大人になって、あの頃とは生きてる環境も全然違うはずなのに、短い言葉だけで通じる気がしてしまう。
いつの間にか、肌寒さも霧雨で濡れる前髪も気にならなくなっていた。
「鷹野、見て。多分こっち向いてる方が後ろだよね。お尻がクイッて上がってる」
「本当だ。壊れてるけど、ちゃんと分かるね」
「周りも掘ったのかなあ。あれだけ形が残ってたら、船の中にあったモノもいっぱい残ってそうだよね」
「それは、萌絵の仕事になるんじゃない? 潜れるの?」
「一応はね。うわー、そうか。私もやるんだー」
「やるんだよー」
顔を見合わせて、笑い合う。明日菜と萌絵の間に、ぽんぽんと会話の花が咲いていく。12年の歳月を埋めるように、色とりどりで賑やかな花々が。
「今、思い出したんだけど」
萌絵が急に、笑い出しそうな表情を浮かべた。その表情は、明日菜にある種の予感をさせる。
「前にここに来た時にさ、鷹野と…… 碇、見たじゃん」
「……うん、見たね」
「めっちゃ感動したじゃん」
「確かに、感動した。うん。とっても感動した」
「それでさ、その熱い思いをさ、熱いうちにって……」
「や~め~て~」
「あはは、もう遅い。完全に思い出した。ね、すっごい詩を書いたよね」
「イヤー。覚えてないよー」
――君は、いつか目覚める。今は僕たちの知らない場所、深い泥の底で眠っていたとしても
「沈んだ船が ”君” で、私たちが “僕” じゃなかった? 痛いよね、僕って何だよって感じしない?」
「あの時は、萌絵もカッコイイと思ってたでしょ~。私のせいだけにしないでー」
水底から目覚めた船は、明日菜と萌絵の間に小さな花を咲かせている。今日は、今夜は長くなりそうだ。
それから先は、この小さな島にもきっと、たくさんの花を咲かせるだろう。
12年の年月を越えて、果たされた約束。忘れていなかった二人。
この小さな島で重ねていく日々は、明日からどう変わっていくのだろう? 明日菜の中で高まったこの熱は、しばらくの間は冷めてくれそうにない。そして明日菜は、そんな自分の感情の行く先を楽しみにしている。
水底からの目覚め/あの日の約束 黒川亜季 @_aki_kurokawa
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