Holy Days

月夜野すみれ

Holy Days

 クリスマスイブの夜、新宿駅東口駅前広場のイルミネーションが明るくきらめいていた。


 栄司えいじ愛菜まなを待ちながら腕時計に目を落とす振りでサンタクロースのコスチュームでチラシを配っている男から目をらした。


「ここは日本だ」

 不意に後ろから声が聞こえてきた。

「え?」

 驚いて振り返ると少年が立っていた。

 知らない少年だ。


「悪いサンタがいるのはドイツだろ」

 少年が言った。

「悪いサンタじゃなくて黒い……」

 栄司はとっさに訂正しかけて慌てて口をつぐんだ。


「仕事をさぼるサンタは悪いサンタだろ。世界中の子供が待ってるのに」

 少年の言葉に目を見張る。


「……お前、人間じゃないな」

 栄司が言った。

「お互い様だろ。それより仕事に行けよ。あんたも貰った分は働け」

「なに言ってんだ。貰ったことなんか……」

 そう答えかけた時、少年が栄司の背後に目を向けた。

 少年の視線の先にはこちらに向かってくる愛菜の姿があった。


恋人はづきがプレゼントだってのか?」

 そう言って視線を戻した時には少年の姿は消えていた。

 愛菜に目を向けると彼女の様子がおかしかった。

 沈んだ表情をしている。


「待った? 遅くなってごめんなさい」

 愛菜がそう謝って頭を下げると同時に肩にかけていた鞄が落ちた。


 栄司は急いで愛菜と一緒に落ちたものを拾い始めた。


 一通り拾って立ち上がった時、

「何これ」

「ゴミだろ。コピーに失敗した」

 後ろから声が聞こえてきた。


 愛菜が慌てた様子で振り返って声の主に、

「あ、あの、それは超音波写真って言って……」

 と言い掛ける。


「超音波写真? お腹の赤ちゃんをる?」

 栄司の言葉に愛菜がしまったという表情になる。

 栄司は愛菜を抱き締めた。


「きゃ! え、何……?」

「ごめん、嬉しくて」

 家族なんて絶対に手に入らないと思っていた。


 これがあの少年が言っていた貰ったものか……。


「ホント? 良かった……ホントは明後日言うつもりだったの」

「え、なんで?」

「その……友達が妊娠したら振られちゃったから……クリぼっちは嫌で……」

「まさか!? けど、ごめん、実はこれから急な仕事で……」

「あ、そう……」

 愛菜ががっかりしたような表情で頷く。

 嬉しいというのは嘘で、振られたと思ったのだろう。

 逃げる口実に仕事を使ったのだと。


「違う! ホントに抜けられない仕事で……」

「大丈夫、気にしなくていいよ、行って」

 愛菜が無理に笑顔を浮かべて手を振った。

 今、行ったら愛菜を失ってしまう。

 けれど、栄司が行かなくても愛菜や子供にもしものことがあるかもしれない。


 どうしたら……。


 そうだ、この近くに……。


「証明する!」

 栄司はそう言うと愛菜の腕を掴んで歩き出した。

「証明って? どこに行くの?」

 愛菜が栄司に随いて歩きながら訊ねる。


「区役所! すぐそこだから!」

「え!? 区役所? 何しに?」

「入籍届出しに。そうすれば信じてくれるだろ」

「ちょ、ちょっと待って! 入籍って……区役所だってもう閉まってるだろうし……」

 愛菜がそう言った時、栄司の目の前に紙が差し出された。


 目を上げるとさっきの少年がいた。

 紙に目を落とす。


〝婚姻届〟


「区役所へは明日出せばいい。それを書いて渡しておけば信じてくれるだろ」

「い、いいのか? あんたの分じゃ……」

「高校生が結婚出来ると思うか? それはあんたの上司からだ。遅刻すんなってさ」

「あ、すまない……」

 引ったくるように受け取って書こうとすると、

「待って」

 愛菜が止める。


「え、なんで? あ、プロポーズしてないから?」

「そうじゃなくて……信じるから! それより遅刻しそうなんでしょ。子供が生まれるのに失業されたら困るから……」

「あ、ああ、でも記入くらい……」

「いいから!」

 愛菜が婚姻届を引ったくる。


「じゃあ、なるべく早く帰るから!」

 そう言った瞬間、目の前にトナカイが引いたソリが現れた。


 周囲の人間達はソリが見えない様子で行き交う。

 愛菜の方を振り返ると、彼女も改札口の方に目を向けている。

 栄司の姿は見えていないのだ。


 栄司が乗り込むとソリが空へ飛び上がる。


 地上にいる愛菜の姿はあっという間に小さくなって見えなくなった。


「なぁ、この先、毎年クリスマスは一緒に過ごせないのに離婚されたりしないと思うか?」

 誰にともなく呟くと、

使用人の日ボクシング・ディにネズミの国のホテルの最高級スイートルーム宿泊と豪華ディナーだってさ」

 先程の少年の声が聞こえた。

 周囲を見回したが誰もいない。


 ボクシングディというのはイギリスの祝日でクリスマスの翌日の十二月二十六日である。

 イギリスではボクシングディに使用人にプレゼントを贈ることになっており、この日もクリスマスの期間なのだ。


「ボクシングディって、ここはイギリスじゃなくて日本だろ」

 苦笑してそう言った時、ウェストミンスター寺院の鐘の音が聞こえた。

 下を見るとロンドンの街が見えた。


「まぁいっか」

 栄司は苦笑した。

「メリー・クリスマス。良いお年を。末永くお幸せに」

 どこからか少年の声が聞こえてきた。


       完

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