初詣のソーシャル・カスタム
佐倉千波矢
初詣のソーシャル・カスタム
鏡の中の少女は振袖姿だった。
紺地に白や薄紅の桜を散らした着物は、華やかであっても派手すぎず、大人びた容姿の彼女によく似合っている。腕をひろげたまま右を向いたり左を向いたりするたびに、長い袖がふわりと揺れた。その場に一足早く春が訪れて、桜の花が舞っているようだ。
姿見に映った自身を、かなめはまじまじと眺めてチェックする。
普段は下ろしている髪は、ざっと三つ編みに結ってからシニヨンにした。着付けの前にアップにしたので、乱れていないのを確かめる。
今度はくるりと回って後ろ姿を映してみた。桜の描かれた銀色の帯が、斜めに蝶結びしたような形を作っていて、どこか凛とした印象をプラスする。
悪くない。うん、悪くないじゃない。
かなめは満足感に浸った。振袖など数えるほどしか着たことがないので物珍しさもあるとはいえ、少々自己陶酔気味になっているのは事実だ。
以前「きれいだ」と言ってくれた(というか言わせた)ときの、落ち着かなげな様子で頬を少し赤らめた宗介の顔が思い浮かぶ。この前は地味な訪問着でもあれだけ反応がよかったんだもん。これならあいつだって……。
「いかがですか、千鳥さん?」
傍らに控えていた友人の問い掛けにハッと我に返る。
「大満足。ありがと、お蓮さん」
かなめの感謝を込めた満面の笑みに、蓮がしっとりと微笑み返した。
「立て矢結びにして正解でした」
蓮の手がかなめの背後に伸びて、帯の形に少しばかり手を加えた。
「って帯の結び方のこと?」
「ええ。かなめさんには、すっきりとした結び方がお似合いになるだろうと思ったんです。それに立て矢結びは背の高い方に特に映えますしね」
かなめは肩越しにもう一度鏡を見たが、生憎と蓮の身体に遮られて帯は映っていなかった。
「さ、これでいいですよ。とてもお似合いです」
「ホントにありがとね」
「どういたしまして」
蓮が小物を片付け始めた。畳の上には、余ったり使わなかったりした腰ひもや帯揚げ、タオルなどがいくつか散らばっていた。かなめもすぐに手伝う。
「前に着せてもらったときも思ったけど、お蓮さんてやっぱ上手いよね」
万事におっとりとした蓮であるが、日頃から和装に慣れているからか、とても手際がよかった。かなめはなまじスタイルが良いため、逆に着物を着るには不向きな体型であるのに、補正に苦労した様子もない。
ちなみにかなめの言う「前」とは、部室争奪ナンパ合戦の折りに、変装として母の訪問着を着付けてもらったときのことだ。
「そうでしょうか?」
「うん、全然苦しくなくて動きやすいもん。中学のときに美容室でやってもらったことがあるけど、すっごく苦しくて辛かったのよね」
「普段着物を着てらっしゃらない方には、着崩れないようにときつくしてしまうのかもしれません」
「ああ、なるほどね」
一通り片付けると、蓮はたすき掛けを解き袖を整えた。彼女もやはり振袖を着ている。エンジ色の地に古典柄の折鶴をあしらったあっさりしたものだ。シンプルさが、蓮の上品さを引き立てている。
「向こうに参りましょう。相良さんがお待ちかねではないでしょうか」
「あ……うん」
促されて、蓮の部屋を出た。
二人が美樹原家の居間に入ると、そこに待機していた宗介が顔を上げた。すでに顔見知りである蓮の「家族」も数名居合わせた。その中の誰かのものらしきラップトップPCを囲んでいたようだ。ちらっと見えた画面には、どこかの洒落た雰囲気の建物が映っていたが、すぐに蓋が閉じられてそれ以上はわからなかった。
「お、かなめちゃん、こりゃまたいつも以上に別嬪さんじゃねえか」
「お嬢さんと並んでると、『いずれアヤメかカキツバタ』っすね」
「へへへ。ありがと」
手放しに誉められて、かなめは上機嫌になる。
「仕度は終えたのか?」
聞き慣れた声に振り向くと、すでにコートを手に取った宗介がすぐそばに立っていた。
「うん」
「では出かけるぞ」
「……うん」
宗介はさっさと縁側に出ていった。
なんらかの誉め言葉を期待して、それとなくポーズをとっていたかなめは、脱力気味に後に続く。玄関へと歩く少年の後ろ姿に、小さく毒づいた。
(ったく、なにか言うことはないのかっての!)
落胆している自分を内心で叱った。
似合うとかキレイとか、そんな言葉をこいつに期待なんかしたってムダなだけ。あのときに思いがけなく言ってもらえたのは、きっと不意打ちで動揺していたからだ。
「どうした、千鳥?」
「……着物って慣れないから歩きづらいのよ」
「そうか。では歩調を落とすように気を付けるとしよう」
少女にとってはどうでもいいことばかりへの気配りが恨めしい。
「いってらっしゃい」
「あ、はい。いってきまぁす」
見送る蓮を玄関に残し、かなめと宗介は美樹原の家を後にした。
駅に向かって歩きだしてすぐ、ちょうど通りかかったタクシーを宗介が拾った。バスで行くつもりだったかなめは意外に思ったものの、もちろんタクシーの方が便利だ。
「なんか気が利くじゃない」
「君の仕度を待っている間に、小野寺から初詣について電話でアドバイスをもらった」
「ふうん」
目を細くして鼻を皺め、思いっきり胡散臭げな表情になりながら、車に乗り込む。いや、乗ろうとしたが、所作に慣れない着物のため、もたもたしてしまった。するとためらいなく宗介の腕が伸びてきた。「えっ?」と思ったときには抱きかかえられていた。
「ちょっ……ソースケ?」
戸惑った声を上げている間に、少女の身体は後部座席に載せられていた。
「あ、ありがと」
「いや」
奥の席への移動は自力でなんとかなり、すぐに宗介も乗り込んできた。
「荒羽場神社までお願いします」
行き先を伝えると、車は静かに走り出した。
同時に、宗介の手がかなめの肩に回され、気付けば抱き寄せられていた。
「ななななに?」
「帯が邪魔で背もたれに寄りかかれないだろう? 代わりに俺の方にもたれるといい」
「……あ、えっと、うん」
こんなに気が利くヤツだったっけ? なんだか調子が狂ってしまい、かなめは戸惑うばかりだ。
「ソ、ソースケ」
「なんだ?」
わずかに頬を赤くした仏頂面を向けられると、何も言えなくなった。
「……なんでもない」
「そうか」
かなめは俯き、右肩に感じる少年の手と、左頬に感じる少年の肩を強く意識しながら、ささやかな幸福感に包まれた。
(これってやっぱり着物の効果?)
少女は、自分の頬が熱くなるのを感じた。
年が改まって五日経ったこの日、仲間内で新年会をやるために蓮の家に集まる約束があった。
言いだしたのは瑞樹だ。年末に神社で巫女さんバイトに勤しんでいたかなめと恭子の元にわざわざ訪れ、幹事をやれとせっついてきた。
よくよく聞き出せば、瑞樹は新しい振袖を買ってもらったから着て行く場が欲しいだけだとわかったものの、イベント好きで仕切り屋のかなめは、結局幹事を引き受けた。三が日を過ぎればバイトも終わってヒマになるし、ちょうどその場に居合わせたやはり雑用バイト中の宗介が関心を寄せたせいもあった。
新年会なるものはなにかという素朴な質問に始まって、日本の正月について彼の疑問は数多かった。少女達は口々に説明してやる。だが各自の主観や家庭ごとの違いなどもあって、宗介をよけいに混乱させたようだ。
「日本の慣習には興味深いものが多いな」
生真面目に言う彼にかなめは苦笑した。
その後、話の流れでアフガニスタンでの正月について尋ねてみた。
「特別な行事はない。そもそもグレゴリオ暦を使用していないからな。アフガンの新年は西暦では三月二一日にあたる。その新年もモスクで祈祷式を行うくらいだ。なにせ戦時下だったからな」
「へえ、そうなんだ」
ここは一つ、日本の高校生らしいお正月を経験させてあげようではないか。かなめは密かに心に決めた。
しかし生憎となかなか会場が決まらなかった。高校生が新年会に使えるような店というとファミレスやカラオケボックスくらいになるが、目星を付けた店はどこもすでに予約でいっぱいだという。自宅マンションを場に提供しようかとも考えたが、当初の参加者それぞれがあちこちに声をかけている内に人数がだいぶ増えて、メゾンKの一室ではどうにも手狭だ。結局は参加者の中で一番広い家――屋敷と呼んだ方が相応しいかもしれない――に住む蓮が、家族の了承を取ってくれたのだった。
振り出しが瑞樹の振袖発表会だったことから、女子は皆振袖にしようと誰かが言いだした。持っていない者には蓮が着付けのサービス付きで貸し出すことも決まった。母の遺品の着物はどれも留め袖だったので、かなめも借りる一人になったというわけだ。
料理や菓子は持ち寄りに決めたが、メインだけはかなめと蓮で鍋を用意することにした。かなめが早々と美樹原家に着ていたのは、着付けの他にその下拵えをするためでもある。
だが蓮の家には人手が多くあり、皆が下働きを買って出てくれたおかげで、準備はそれこそあっという間に終えてしまった。着付けをすませても新年会の集合時刻まで二時間ほども余ると知り、ふと宗介を初詣に連れて行ったらどうだろうかと思いついた。
年末年始を神社でバイトして過ごしたのだから今更という気もしないではない。とはいえ改めて参拝客として訪れる案は、初詣などしたことのない宗介の興味を引いた。この際、イスラームであるのは横に置いておく。
そうして今に至る、というわけだ。
荒羽場神社はさほど大きい神社ではない。それでも、スサノオを奉っていることから転じて勝負事や受験にご利益があるとして、地元ではそこそこ知られている。現に三が日はそれなりの人手でにぎわい、バイトの三人はてんてこ舞いしたのだ。
五日ともなると混み合うほどではなくなっていたが、バイトがいなくなった分、神主の檜川は忙しくなっているようだ。姿を遠目にしたものの、挨拶に行ってはかえって悪いだろうと考えてやめておいた。
手水舎に直行する。清めをすませてから神前に進んだ。
そこで宗介が財布からコインを取り出して、かなめに手渡した。
「……なぜ五円?」
掌の五円玉を眺めてかなめがぼそっと呟く。
「知らないのか? ご縁と五円の語呂合わせだそうだ」
「それは知ってる。なんであんたがそんなこと知ってるんだろって思ったの」
「小野寺から聞いた」
「……そう」
宗介の受けた初詣についての講釈は、いったいどのようなものだったのだろうか。かなめは疑問に思った。タクシーのことといい、微妙にピントがズレているように感じる。情報源が小野寺だというところに一抹の不安を覚えつつ、コインを賽銭箱に投げ入れた。
参拝そのものは実にスムースだった。たった四日間とはいえバイトしていたのだ。作法については宗介ですら心得たものである。鈴を鳴らした後に、二拝二拍手一拝できちんと拝礼をすませた。
かなめは神妙な面持ちで真剣に願った。宗介の戦争ボケが改善して、平穏な学校生活が送れますように……。彼女にとっては死活問題とも言えそうな、かなり深刻な悩みである。
さらに、たった五円で厚かましいと思いつつ、もう一つ願わずにはいられなかった。
……今年もソースケと一緒にいられますように、と。
神社を後にした二人はのんびりと歩いていた。
慣れない着物、それも所作にいっそう気を遣う振袖、しかも借り物となると、普段のように気軽ではいられない。参拝を終えて少々疲れを感じた。それをかなめが口にすると、近くに休憩にちょうどいいところがある、と心なしか弾んだ声で宗介が答えたので、そこへ向かうことにした。
(デートの下調べをしておくようになるなんて宗介も進歩したもんよね。……いや、デートじゃないけど。これもオノDのアドバイスってやつかしら?)
かなめがちょっとばかり感慨を覚えている間に、目的地に着いた。
「……ここ?」
連れてこられた場所には上品でモダンな外観の建物があったのだが、中に入ってからかなめは唖然とした。そのロビーは、どこからどう見てもその手のホテルだ。
さりげなく、だが彼女に一八〇度方向を変える間を与えることなく、宗介が片腕を肩に回してきた。
「ちょ、ちょっと宗介! ダメだったら。あたし着物なんだから……」
いや、問題はそこじゃないでしょ、と自分にツッコミながら、かなめは足を踏ん張って抵抗した。そうはいってもただでさえ男女差があるというのに、本気になった有能な軍曹殿に力でかなうはずもない。身動きできないほど強く抱きすくめられたまま、どんどん奥へと引きずられていく。
「問題ない。ここは七日まで、予約を入れておけば着付けのサービスを受けられるんだ」
「はあ? な、なんでそんなことをあんたが知ってるのよ」
「言っただろう? 小野寺からアドバイスを受けたと」
「なんなの、そのアドバイスはっ!」
「初詣における彼女のエスコート方法を特集した雑誌の記事を紹介してくれたんだ」
「…………」
「疲れたと女性が言いだしたら、誘っていると解釈するのだそうだな」
「ぜんっぜん違うわよ!」
「あらかじめこの近辺のホテルを調べておいてよかった」
「ヒトの話を聞きなさい!」
かなめは、一時間くらい前に、着付けを終えてリビングに移動したときを思い出す。あのときPCの画面に映っていた建物と、ロビーに入る前に目に入ったこのホテルの外観が記憶の中で一致した。
「調べたって……もしかしてさっきのパソコン……」
「肯定だ。着付けサービスのあるホテルがちょうど神社のそばにあったんだ。ちゃんと予約を入れておいたぞ」
呆れるかなめを尻目に、宗介は手柄でもたてたかのように胸を張って口端で笑う。誉めてくれと言わんばかりの彼に、かなめはなんと返せばいいものやらわからなかった。
「ホテルは久しぶりだな。たまには違う雰囲気でするのもいいと思わんか?」
「…………わよ」
「ん、なんだ?」
宗介が顔を覗き込んできた。一瞬彼の腕が弛む。
少しばかり自由を得た右手をグーにして、かなめは思いっきり突き上げた。
「ちぃーーーっとも思わないわよ!!!」
拳は宗介の顎にクリーンヒットした。
それでも彼は、ヤル気と根性でなんとか持ちこたえる。
「かなり痛いぞ、千鳥」
「離しなさい、このっこのっ」
かなめは暴れようとしたが、彼女を拘束する腕がそれ以降弛むことはなかった。
じりじりとだが確実に、宗介は前進を続ける。
もしも小野寺と風間がその場に居合わせたなら、アッパレと評したかもしれない。かなめにしてみれば災難というしかなかったが……。
二人が美樹原家に戻ったのは、新年会の開始予定時刻を過ぎて一時間近く経ってからだ。蓮と恭子が玄関まで迎えにでてきた。
「おかえりなさい。みなさん、もうお集まりですよ」
「遅かったね。待ちきれなくて先に始めちゃった」
「いいの、いいの、気にしないで。遅くなったこっちがいけないんだから」
遅くなった、のところでかなめは横に立つ少年を軽く睨んだ。恭子と蓮の顔にハテナ・マークが浮かんだが、気付かないふりで奥の座敷を目差す。
「あ~お腹空いた。さあ、食べるぞぉ!」
せっかくの振袖も泣きそうな乱暴な足取りで、どすどすと廊下を進んだ。慌てて恭子たちも後に続いた。
「相良くん、いったいどこ行っていたの?」
「初詣だ」
「初詣だけ?」
「肯定だ」
背後から聞こえる恭子と宗介のやりとりは、あえて無視した。だが、
「あら? 千鳥さん、帯が……」
という蓮の呼びかけには、なにか粗相をしたのだろうかとかなめは立ち止まった。
「なに、お蓮さん? 帯がどうかした?」
「千鳥さんの帯は、たしか変わり立て矢にしたはずですのに、立て矢結びに変わってます」
「変わり立て矢? え? あれ? 立て矢結びって言ってなかった?」
「ええ、立て矢は立て矢なんですけど、お正月ですもの、少し華やかにと思って変わり結びにしたんです」
「変わり結び?」
「ええ、基本の立て矢結びをアレンジした結び方です」
「…………」
「不思議ですわね」
「…………」
「なあんだカナちゃん、そういうことかあ」
「…………」
心底不思議そうに首を傾げる蓮と、事情を察してニマッと人の悪い笑みを浮かべる恭子を前に、かなめが固まった。
「千鳥、どうした?」
まったく状況を把握できていない宗介の呑気な物言いにムッとして、かなめは動きを取り戻す。
「みんなあんたが悪い!」
スパァァァン、と盛大な音を立てて、今年初のハリセンが少年の頭に振り下ろされたのだった。
了
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