足末小話

そうざ

The Anecdote of the Toes

 辞書で『爪先』の項を紐解くと『足の指の先』とある。

 であるならば、五本の指の全てが爪先という事になるが、女が俺に求める爪先の正体については、かんおおいて事定ことさだまるなんて古びた故事まで調べる手間を前提としなければならない。

「俺は手を用いた刺激もお手の物だよ。子供の頃から手先が器用なんだ」

「ううん、爪先が良いの」

「口先で刺激する事も出来るよ。昔から口が上手いって評判なんだ」

「ううん、爪先が良いの」

 薄暗がりのしとねに仰向けになった女は、折り曲げた両足を左右に広げ、膝窩しっかに腕を回すと、後は目を瞑ったまま刺激を待っている。無論、着衣は事前に脱ぎ散らかされている。

 女の無防備な体勢は、一かばちかで死んだ振りをする健気けなげな甲虫を連想せずにはいられず、油断をすると噴き出し兼ねない珍妙な光景でもある。

 俺は、おもむろに自らの爪先を女に宛がう。女の口から夜陰を撫ぜるような声が絞り出される。指の第一関節を屈すると、更なる喘ぎが薄闇に色を添える。

 そして、俺はいつも冷めた脳味噌で思うのだ。

 この行為は図らずも愛車のアクセルを吹かす所作に似ている。まかり間違ってもブレーキペダルではないだろう。その証拠は、女のみだりがわしい反応が雄弁に物語っている。

 それにしても、と思う。

 女は五体のあらゆる箇所にてらいのない刺激を求めるが、最も肝心な部分には決して触れさせようとしない。多汗なその部分をこれ見よがしに俺の眼前に晒しているにも拘わらずだ。

「この部分を責めて欲しくないのかい?」

「責めちゃ駄目」

「どうして?」

「可笑しくなっちゃう」

 そもそも女は十二分に可笑しい存在だった。

 人気ひとけのない夜の公園で出会った時、女は定番の体勢で転がっていた。豪雨の日も、寒風の日も、妙々たる爪先に巡り逢う事だけを夢見て待ち続けていたのだろう。その根気強さは、死んだ振りの虫並みだ。

 これまでにどれだけの頓痴気とんちき唐変木とうへんぼく木偶でくの坊、野暮天に出くわし、言葉巧みに拾われ、玩具宜しくもてあそばれたかは想像に難くない。女は、何処の馬の骨とも知れぬ爪先に幻滅する度、我が意を得たりのトーキックを逆にお見舞いし、何とかんとか示談に持ち込み、事なきを得たに違いない。全く女の持つバイタリティーには舌を巻かざるを得ない。

「それはそれとして、君程の強運の持ち主がこの世に生を受ける確率はそう高くない」

「そうかしら」

 俺は臙脂えんじ色の乳首に爪先を食い込ませ、完膚なきまでに陥没させてやる。

「そうさ。金に物を言わせて大型特殊爪先第二種免許を取得した俺みたいな人間に出会える確率はそう高くない」

「そうなのかしら」

 俺は大蒜にんにくのような鼻に爪先を押し当て、鼻梁をし曲げてやる。

「そうさ。タワーマンションの最上階で満天の星空を眺めながら爪先で刺激して貰える確率はそう高くない」

「どうもです」

 俺は腫れぼったい瞼に爪先を置き、奥目になぁれと眼球を減り込ませてやる。

「だから、時には特別な夜というのも良いじゃないか」

 俺は、侵すからざる箇所に爪先をぐいっと突き立て、フルスロットルをました。

「あ~れ~っ」

 瞬時に窓硝子が粉々に弾け、部屋に生暖かい夜風が止め処なく吹き込んだ。

 女は行ってしまった。

 お得意の体勢を保ちながら全身全霊を噴出し、音速に勝るとも劣らぬ威勢で夜の虚空を翔けて行った。

 女は、滑々ぬめぬめと光る俺の爪先に見事な回答を遺した事になる。

 こんな結末は可笑しいのか、可笑しくないのか。これが可笑しくないというのならば、人生は丸ごと可笑しくない。可笑しくない人生にどんな価値があるのか。人間万事塞翁が馬なんて故事を調べる暇があるのならば、おのが足を再び見詰め、どの指が爪先に相応しいのかを今一度、一考すべきなのだ。

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足末小話 そうざ @so-za

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