『獣の踊り場』─満月の夜に聞こえる、つま先の音─
ソコニ
第1話 『獣の踊り場』─満月の夜に聞こえる、つま先の音─
メイン州ウィスパリング・パインズ。この村には古くから言い伝えがあった。「月が満ちる時、森は目覚める」―私の祖父は昔、そう語っていた。当時は子供向けの寝物語程度にしか思っていなかったが、今となっては違う。あの夜を境に、すべてが変わってしまった。
私、ジョン・カーターは地元で獣医をしている。母から診療所を引き継いで15年になる。特に変わったことのない、静かな村での生活。そう、あの異変が始まるまでは。
最初に気づいたのは、リスの行動の変化だった。診療所の裏庭に住み着いている数匹のリスが、突然立ち上がり、まるでバレリーナのようにつま先立ちで歩き始めたのだ。獣医学の知識からすれば、あり得ない行動だった。脊椎の角度、筋肉の使い方、どれを見ても自然の摂理に反していた。
それは満月の3日前のことだった。
翌日、村の端にある農場主のビル・ハリソンから電話があった。「牛が様子がおかしい」という。現場に向かうと、20頭の乳牛全てが後ろ足のつま先立ちになっていた。前足は地面につけているものの、明らかに異常だった。体温は通常より2度高く、瞳孔は異常に開いていた。鎮静剤を投与しても、その姿勢は変わらなかった。
「ドク、これは伝染病かなにかなのか?」ビルの声には不安が滲んでいた。
「...正直なところ、わからない」私は認めざるを得なかった。
その日の夕方、村の図書館で古い記録を調べていた時だった。1879年の村の記録に、ある一節を見つけた。
『満月の夜、すべての獣が森に向かって歩き出した。二本足で。翌朝、村人たち12名が行方不明となる。捜索队が森で発見したのは、つま先だけの足跡だった。』
背筋が凍る思いだった。しかし、これは単なる偶然の一致なのか?科学者として、私は合理的な説明を見つけたかった。
2日目。今度は村中の猫が変化し始めた。裏庭のリスは姿を消していた。診療所に運び込まれる動物たちの数が増えていく。犬、羊、鹿...。すべての症状が同じだった。体温上昇、瞳孔散大、そして最も不気味な、つま先立ちの歩行。
血液検査、レントゲン、あらゆる検査をしたが、原因は見つからなかった。ただ一つ気になったのは、すべての感染個体の脳波に異常な振動パターンが見られることだった。まるで何者かに操られているかのように。
満月の前夜。私は森の縁で夜間観察を行うことにした。双眼鏡と記録用のノートを持って。母から受け継いだ古い日誌に、祖父の残した書き込みを見つけていた。
『森の中心には、円形に並んだ七つの石がある。先住民は、そこを「獣の踊り場」と呼んでいた。』
月が昇り始めた頃、最初の動きを見た。森の中から、動物たちが一列になって出てきたのだ。鹿、狼、熊、そして数えきれないほどの小動物たち。すべてが後ろ足のつま先立ちで、人間のように歩いていた。その目は赤く光り、虚ろだった。
思わずシャッターを切ろうとしたその時、私の足に違和感が走った。足首が、意志に反して持ち上がっていく。つま先立ちになろうとしていた。パニックになりながらも、私は症状を記録しようとペンを取った。
「左足首から痺れと硬直が始まる。意識は...明瞭。しかし体が言うことを聞かない。右足にも同様の症状が...。瞳孔が...拡大していく。森の中心から、何かが...呼んでいる...」
ここで記録は途切れている。私の意識も、徐々に霧の中に沈んでいくのを感じた。
村は恐怖の夜を迎えた。次々と住民たちがつま先立ちで歩き始め、森へと消えていく。警察も、救急隊も、誰一人として止めることはできなかった。
翌朝、村には誰一人として残っていなかった。ただ、無数のつま先の足跡だけが、一晩の出来事を物語っていた。そして、診療所の机の上には、最後まで開かれたままの祖父の日誌。その最終ページには、かすれた文字でこう書かれていた。
『踊りは、まだ終わっていない。』
一ヶ月後、満月の夜。森の中心にある七つの石の周りで、新たな足音が響き始めた。つま先立ちの、そして人ならぬ者たちの足音が。
『獣の踊り場』─満月の夜に聞こえる、つま先の音─ ソコニ @mi33x
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます