恐れ

 暇な瞬間を探しては、そこに茶色の雫を落とす習慣が付いた。

 起床時、バイト前、バイト上がりには必ず飲み、気合を注入。チェンジマイライフはカフェイン量が尋常じゃないとはいえ、タブではなくキャップだから、一日一本で腹痛を起こす僕には丁度良い。

 絵鳥さんとの時間も次第に広がっていった。

 僕にはバイト、絵鳥さんには福祉部の活動がある。遊びに誘う勇気以前に予定が合わないから、絵鳥さんの部活が無い日など下校を共にして、それで満足するしかなかった。

 それもまた、刹那的で悪くなかった。

 女子グループとの時間を奪ってしまっているのではないかと感じたこともある。駆け引きなんて知らないから、真っ直ぐに「僕と一緒でいいの?」なんて聞いてしまうも、絵鳥さんは「むしろ中くんと過ごす方が楽」と言ってくれた。

 女子で広がって歩くと、喫茶店やファミレスに流れることが多くなるらしい。放課後はバイトか、オン・オフラインの友人とゲームに没頭する僕にとって眩しい光景だ。

 対称的に絵鳥さんは俯き歩く。辛い付き合いなのか、と聞くと、絵鳥さんは首を横に振り、スイーツが辛いのだと話した。

「パンケーキを無理に入れて、お店のトイレから二時間出られなくなったことがあるの」

 当時を思い出したのか、伝染しそうになるほど絵鳥さんの顔は蒼白。迂闊を謝るも、絵鳥さんは、ううん、とまた首を振った。

「救急車を呼んでもらおうとも思ったけど、カバンからエナジードリンクを取り出したらすぐに気分が回復したの」

 それも当時を思い出したように、絵鳥さんの顔に生気が戻っていた。

 エナジードリンクによる体調不良は、エナジードリンクで治せるのだ。

「絵鳥さん、昼は菓子パン一つしか食べないよね」

 僕ばかり聞いている。どうも慎重になれない。

「エナジードリンクは空腹も抑えられる。食費も減らせて一石二鳥」

 依存、と蔑んではいけないほど、絵鳥さんはエナジードリンクを使って人生を節約している才女なのだ。


 家でも学習机の右上にエナジードリンクを置き、勉強に励むと言う絵鳥さん。高いコンクリートの壁でも一口含めば砂のように脆く感じるようで、長時間の集中により独特の心地を得られると語った。絵鳥さんが成績優秀なのは、カフェインを絶やさない姿勢によるものなのだ。

 絵鳥さんを真似て、僕もエナジードリンクを傍に置いて期末試験の対策をしてみた。

 自分とは思えないほど集中が続いた。今までなら考える前に諦めるような問題でさえ時間を忘れて紐解く意志が身に宿り、解を得た際には思わず万歳・絶叫してしまった。

 机上の不可解全てを解き明かせる。エナジードリンクを一口含んだだけで、本当にそういう気持ちなれるのだ。

 期末試験の後、独り教室に残り、納得のいかなかった部分をピックアップした小テストを自作、自分で解き、自分で採点する作業に取り組んだ。元から全問正解だったため、採点というより、もっと良い答案があるのではないか、という探求が正しいけど……。

 絵鳥さんの部活が終わるのを待つ約束があったから、時間を有意義に使うのに丁度良かった。

 夕刻の空もエナジードリンクの色をしている。煙草を落とした水も同じ色だな、とぼんやり眺め、また机に向かう。


 無事に期末試験を突破した記念に、絵鳥さんとドラッグストアに立ち寄った。

 目的は決まっているのに、体を装って(心配されたくなくて)お菓子やドリンクのコーナーから見て回った。

「エナジードリンクを飲むようになってから毎日が充実してるんだ。期末も余裕だったし、本屋のバイトも、うるさい客の相手も仕方ないなって思えるようになった。愛飲者たちの気持ちが分かった気がする」

 話題だけはエナジードリンクに傾いた。絵鳥さんは、うん、うん、と聞いてくれる。

 エナジードリンクのような悪評が薄く、誰が飲んでも良いことになっているジュースやコーヒーを手に取るわけでもなく眺め、通り過ぎる。絵鳥さんがここにいてくれるから、無駄な時間にも思わない。

「エナジードリンクってどうしてあんなにやばいとか死ぬとかって言われてるんだろうね。飲み方を間違えなければこれだけ良いものなのに」

「飲まず嫌いがほとんどだと思う。エナジードリンクより危ない物も沢山ある。ドラッグストアなんて特にそうだと思わない?」

 絵鳥さんの姿勢からして軽率な言い方をしてしまったけど、絵鳥さんはこの程度では乱れず、違う角度の意見を述べた。

「確かに。チェンジマイライフは四本で死ぬけど、ここには使い方次第で一発で人の命を奪うものが沢山ある」

 酒のコーナーを横目に、僕は薬や洗剤を思い浮かべた。

「そう。未成年でもほとんどのものが買える。店員さんも危ない使い方をするなんて思わずにレジを通す。だから、エナジードリンクだけが危険視されるのは変なの」

 絵鳥さんは僕をここに置いていく速さでレジ近くのオープンケースを目指した。


 僕たちの関係が崩れかねない会話だったけど、避けては通れない道だったとも思う。

 僕がエナジードリンクを知る前から変わらない、絵鳥さんはずっと絵鳥さんだ。

 それでも時折、模範生にしては思考が停まったような、エナジードリンクに対して盲目過ぎるきらいが見て取れる。僕も同類かもだけど、絵鳥さんの進み方が不安を煽るのだ。


 ――授業中でもエナジードリンクを愛飲する絵鳥さんを誰も気にしなくなった理由なんて、分かり切ったことだ。


 何もかも順調な今があり、元は絵鳥さんに近付くために試し、生まれ変わった僕の人生だけど、他でもなく絵鳥さんと二人きりの時に、少しだけ、カフェインよりアルコールのような臭みが鼻を突くことがある。

 六本ものバイパーボルトをストックして登校する、と聞いた時の衝撃を過去にし切れない。あの時の衝撃が、彼女の待つ崖の先へ飛び移ることを躊躇わせている。


 ――どうしてエナジードリンクを飲むの?


 そう聞かず、いつもそれ飲んでるよね、と聞いたから二人になれた。

 僕は間違っていない。

 一緒にいることを許してくれて、女子グループといる辛さも正直に話してくれた。

 僕と絵鳥さんは一緒だ。それならきっと……。

「絵鳥さん!」

 何を伝えるかも決めずに彼女の手首を掴んだ。

 手首で、間一髪だった。いきなりは刺激が強過ぎて、きっと拒絶してしまうから。

 オープンケースを見つめる絵鳥さんの横顔が跳ねた。困惑も紅潮もなかった。せめて困ってくれれば謝れたのに。

 僕は結局、知りたいから、勿体ないから、止められないから、絵鳥さんの手を握ることにした。


 絵鳥さんの手は、長い間オープンケースに置かれたように冷たかった。


「大丈夫、大丈夫……」

 僕の手が被さってもなお、彼女の手は凍えるように震えていた。きっと、夏を暑く感じないと言う彼女が冷房の強いドラッグストアに長居したせいだろう。


 今はもう暑くない。

 それでも、この先は……?


 白い顔に汗を浮かべ、「大丈夫」と繰り返す絵鳥さんに、僕も「大丈夫だよ」と重ねた。 

 未来を案じるより、エナジードリンクでも飲んで気分をリフレッシュさせた方が有意義だと、他でもなく僕たちは知っていた。

 悩むなんて、勿体ないからだ。

 咽ぶ寸前の絵鳥さんに代わってエナジードリンクを取り、手に持たせた。

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エナジードリンク絵鳥さん 壬生諦 @mibu_akira

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