チェンジマイライフ!
次の朝、教室に入り、真っ先に絵鳥さんを見つけると同時に、彼女を囲う女子がまだ誰も来ていないのも瞬時に把握した。
復習か、絵鳥さんは黒色と蛍光色の詰まったノートを凝視している。
机の右上にはバイパーボルトが置かれていた。今では、コミュOK、のサインに思えてならない。
本当に僕なのか、と疑うほど、カバンを机に置くより先に、いつもみたくただ挨拶を交わすためだけに大袈裟な覚悟を決めるなどもせずに、気さくに絵鳥さんへ近付くことができた。
本屋バイトで培った対面コミュ力も関係ない。カフェインって酔っ払うものなのか、何とかなると思えてならない。
「おはよう、絵鳥さん」
「……中くん、おはよう」
いつも通りの挨拶というのに、絵鳥さんは顔を強張らせたように見えた。
それでも、ここまで来たら引き下がれない。
失敗したくないからではなく、勿体ないから。
「飲んだ」
「飲んだ」
復唱につい苦笑するも、絵鳥さんの口角が少し浮かんだのを見逃さなかった。
「どうだった?」
しかし、こう返されると決まっていたのに、僕は言葉に詰まった。
エナジードリンクはあれが初めてだったからだ。比較できない。エナジードリンクとして優れているかも分からない。
味も難しい。目が覚める、飲みやすい栄養ドリンク、としか言えない。
絵鳥さんに失望されたくなく、記憶にあるネット評を思い出すも、どれも爽快感とか後を引く味とかで、具体的な感想など一つも書かれていなかったことに気付き、額に汗が溜まる。
愛飲者もよく分からずに飲んでいるのか?
決して紐解けないものだから、悩まされず気軽に楽しめる。
それを『解放感』と呼ぶのだろうか?
具体的な感想は思い付かず、ただ「美味かったよ」としか答えられなかった。
絵鳥さんは「そう」と言って、僕からノートへ視線を戻した。
終わった。
……と思えず、エナジードリンクの如く、何故か分からないけどまだイケる気がした。
気落ちするなんて、勿体ないからだろうか。
絵鳥さんを囲う女子たちがもうすぐやってくる。このチャンスを逃したら次は無いと、独り焦燥していた。
「あのさ、絵鳥さん、いつもそれ飲んでるよね」
そう聞くと、まだ少人数とはいえ、教室中の視線が僕と絵鳥さんに集中した。やっぱり気になってたんじゃねえか。
気まずくなったのは僕だけだった。絵鳥さんは注目を浴びても泰然を乱さず「うん」と頷き、思い出したようにバイパーに手を伸ばした。
(このタイミングで⁉)
いつもそれ飲んでるよね、が嫌味に聞こえなかったようで安心した。
つい「よし」と言ってしまった僕を見つめる白い首が傾いた以上、繕うのはもうやめにしよう。
「実は昨日のが初エナジードリンクだったんだ。味も違いも、よく分かってない」
絵鳥さんは垂れた上目蓋を起こし、面映ゆい僕を見つめた。嫌気とは違う意味があるように思えてくると、僕も臆さず彼女の瞳を覗くことができた。
「初めてがあれなの?」
「そうだけど……」
絵鳥さんは再び僕を見つめて固まった。
「絵鳥さん?」
「やるね、中くん。あれ、上級者向けのエナジードリンクだよ」
「そうなの?」
評されるとは予想外で、とぼけた反応になったが、絵鳥さんはノートを閉じるだけでなく、机から僕へと両脚を向けてくれた。
「うん。400ミリ缶でカフェイン255ミリ。連続で四本飲むと即死らしいよ」
「即死⁉」
「何か変化はあった?」
「えっと、手足が痺れたり、いつもより眠りが浅かったかな。あとは下品な話だけど」
絵鳥さんは真剣に聞いていた。
「尿の色までそれっぽくなったような……」
「よくあることだね」
「そうなの? やばい体になったんじゃないかと……」
「大丈夫」
ああ……変わるんだな、と。
堪能すべき今に、妙な寂しさも付いてきた。
「エナジードリンクファンが集まって、お互いの趣味を共有したり、雑談したりするネットの繋がりがあるの。私も入ってる。バイパーを愛飲している人がほとんどで、355ミリ缶、カフェイン150ミリのバイパーと同じ値段でボリュームを上回っているあの新商品をみんな畏怖していた。他のエナジードリンクに慣れると、より強烈に感じるって」
寡黙なわけではなく、必要分だけ喋る女子、という印象があった。
ただ、これまで見たことがない情熱を正面から浴びると、この一時がとても幸福に感じられる反面、困惑も正直なところ。
「えっと、絵鳥さんはバイパーしか飲まないの?」
後ろの席からずっとあなたを見ていました、と白状してしまった。今日はまだ一口も、人生でまだ一本しか開けていないのに、激しく胸が鳴っている。
「今はね。私は毎朝、カバンに六本のバイパーをストックして登校する」
「六本⁉」
ネットの範囲だ。誇張ばかりに決まっている。
しかし、各パッケージにも多量の摂取を推奨しない文言が記されていたし、絵鳥さんの机にあるバイパーボルトも、十八歳以下、体重50キロ未満の人は一日一本までにすべきと書いてある。
僕たちは高二で十六か十七だ。体重も50キロあるようには見えないほど、ハイソックスの両脚は細い。
愛飲者の偏見から、かなり不健康なのでは……と総毛立つも、今から否定するようではせっかくの縁を断ってしまう気がして躊躇った。
別に良いとも思える。絵鳥さんは模範生なのだから、僕の指摘なんて余計なお世話か誤解に他ならない。
何より、エナジードリンクを危険なものと断定するのなら、僕も指を差される側へ行ってしまっている。
「大丈夫。眠りが浅いか深過ぎるか極端だったり、夏が暑くない程度だから」
絵鳥さんはクソ暑い今日でもセーターを着ている。
「で、帰りにドラッグストアでも買う。でも、一本しか買ってなかったよね?」
「通販で定期購入しているからストックが尽きることはない。あの時もカバンに二本残っていたけど、冷たいものが飲みたかったから。あのオープンケースは自動販売機より低い温度設定なの」
今すぐに止めるべきなのかもしれない。
でも、いつからか、僕はそんな、模範生でありながら全身刺激物な彼女の在り様に……若いから通っているだけの学校も、金とコミュ力が貰えるだけのバイトも、プロの技術で構築されたものであろうと所詮は非現実に過ぎないゲームも……どれも遠く及ばない無二の魅力を感じて止まないのだ。
「カバンをポータブル冷蔵庫に変えるのが良いね」
冗談で、狂っていないことになっている女子に悪さを振りまいた。
絵鳥さんは、きっとグループの女子たちにも見せたことのないキョトンとした顔で固まった。
それから右手で口元を覆うも、結局笑いが溢れ出た。
「中くん、いつも挨拶だけだったけど、面白いんだね」
初めて見るほころんだ顔でカバンを漁り、バイパーボルトを一本くれた。
頻繁に、どこかしらのメーカーがお得にエナジードリンクを提供してくれるのも、界隈の人たちを虜にする所以なのだろう。
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