路傍の石

赤城ハル

路傍の石

「いたっ!?」

 うちの冷蔵庫は1番下が冷凍室で、その冷凍室の戸を足で閉めようとしたら、大きく内からはみ出たものがあったらしく閉まらなかった。

 そのため、つま先を痛めてしまった。

 私は屈み、はみ出たものを冷凍室へときちんと収めて、今度は手で冷凍室を閉めた。

 そしてリビングに戻り、痛めた方の足のソックスを脱ぐ。

 爪が割れたわけでも、指が捻挫したわけでもない。

 手で足の指をさする。足は冷たく、しっとりと汗ばんでいる。

 改めて自分の足を見ると、お世辞にも綺麗とは言わない女の勲章である外反母趾が目に入る。

 手で親指と中指を開き、ほんの少しだけ親指を外へと圧をかける。

 もちろん、こんなことで外反母趾が治るわけではない。

 と、そこへスマホが鳴った。

 珍しく相手は高校時代からの友人だった。

 名前は時任紗理奈。

 次の同窓会にはまだ早い気がする。

 なんだろうと不思議に思いつつ、私は通話に出る。

「もしもし」

『島村、久しぶり。今、大丈夫?』

「大丈夫だけど、どうしたの?」

『ちょっと今度さ、皆で会うかなと思ってさ』

「同窓会?」

『違う。そういうのじゃなくて、ちょっとお茶会的な。来週の日曜とか空いてない?』

 今まで私と紗理奈の間にはそういったものはなかった。それがどうして今更?

 かなり怪しいので断ろうと考えていたら、

『長谷川も来るよ』

 と、告げられた。

 長谷川というと長谷川雪だ。長谷川も高校時代からの仲。いや、縁か。

 あえて私は「どの長谷川?」と聞いた。

『長谷川雪だよ。仲良かったでしょ?』

 その言葉に私は眉根を寄せる。

「仲良かった?」

『大学時代、一緒にいたじゃん』

「それは学部と学科が同じだからよ」

『雪とも高校時代からの仲でしょ? 雪も会いたがってるよ』

「わかったわよ」

 私は溜め息交じりに言った。


  ◯


 騙された。

 それに気づいたのは辻本晴美がいた時からだ。

 お茶会の場所は時任のマンション。旦那と息子は遊びに出かけているらしい。広い部屋で今はキッチン側のリビングではなく、別のリビングにいる。上品なテーブルにテーブルクロス、椅子も凝った作りのもの。壁には絵画、床の端には謎アンティーク。

「……皆、遅いね」

 分かってても、あえて聞いた。

 出されたカップはもうから

「紅茶をどうぞ」

 と、時任が白磁のティーポットを持ち、私のカップへと紅茶をれる。

「どうも。で、皆は?」

 カップに口をつける前に私は再度聞く。

「ごめんね。島村。実は皆とのお茶会は嘘なの」

 時任が謝る。

「ならなんで辻本がいるの?」

 長谷川も他の皆もいない。いるのは辻本。

「実は貴女に話があって、こんな形で呼んだの」

 辻本が口を開く。

「へえ? 何?」

 なるべく機嫌悪く言わないつもりだったが、少し感情に出てしまった。

「ポットの中なくなったから、足しにいくね」

 と、言って時任は離れた。

 二人っきりになり、私は目で続きをと促す。

「実は私、末期がんなの」

「へえ」

 どうでも……いや、嬉しいことか。

「それでずっとあなたに謝りたかったことがあるの」

「何?」

「高校時代、美術の授業であなたの絵に落書きしたのは私なの。それと技術家庭の授業でもあなたが作っていた小物入れも私が壊したの」

 だろうね。

 わかっていた。お前がやったということは。

 こういうことをするやつは、お前しかいないんだもん。

 辻本晴美。こいつは嘘をつく奴だ。いや、隠す奴というべきか。そしてそれは周りに無言を伝播させる。

 いわゆる、周りが知らないと言わせるタイプ。

 そのため私は被害に遭っても、周りが知らぬ存ぜぬを突き通すため、結局、被害に遭ったまま。

 誰がやったかは知っている。

 でも、決定的に突き止めることができない。

「その様子だと気づいていたのね」

「ええ。皆が……誰1人、口を割らなかったわ」

 ちなみにこれは皆がこいつを好きだからではなく、面倒には関わりたくないからだ。

「あの時はごめんなさい」

 辻本が頭を下げた。

 私はカップの紅茶を飲む。

 これで溜飲が下がるわけではない。

 私はカップを置き、

「それだけ?」

「ええ。謝りたくて」

「そうじゃなくて、謝ることよ」

「え?」

 辻本が頭を上げる。その顔をには「他に何かあったかしら?」という白々しい言葉が張り付いていた。

「結婚式」

 辻本の眉がピクリと反応した。

 そのまま沈黙が流れる。

 私は目で訴え続け、辻本はそれを流そうとする。

 たぶん、辻本の頭の中はどう言い訳をするかを考えているのだろう。

 もしくは詭弁を。

「結婚式って、あなたの? 出席が……出来なかったのは用があってのことよ」

 本当はこいつなんて結婚式に呼びたくもなかった。だけど、呼ばないとうるさいから仕方なく、ハガキを送った。

 そしてこいつは来なかった。

 それはいい。むしろ歓迎。でも、問題はそこではない。

「なら皆は?」

「さあ? 知らないわ」

 間髪入れずに辻本は返す。

「田島青子って、知ってる?」

「……ええ」

 辻本は少し間を置いて答えた。

 たぶん思い出せなかったのだろう。

 それも仕方ない。あまり接点はなかったのだから。

「あの子、2年前に子宮頚がんで亡くなったの」

「そうだったんだ。知らなかったわ」

「その田島から教えてもらったんだけど、あんた、皆に『島村の結婚式には出るな』って言ったらしいじゃない」

「そんなことしないわ」

 心外だ。私そんな悪いことしないみたいな面をしている。

「田島にはメールを送ったでしょ?」

「……」

「彼女、死ぬ前に私に謝罪してきたわ。『あの時はごめん』って」

「…………それであなたは許したのね。なら──」

「『私を許せ』と?」

「許してくれないの?」

 なぜか困惑の顔をする辻本。

「シラを切ろうとしたでしょ?」

「それは思い出せなかったからで」

「高校時代のことは思い出しても? 結婚式のことは知らないと?」

 高校時代のことも許せは出来ないが、結婚式の件はそれを越えてもっともっと許せないことだ。

「ただの欠席はまだしも出席すると返事しておいて当日に欠席はおかしいでしょ? 1人2人ならまだしもどれだけの数だと思ってるのよ」

 とうとう私は声を荒げてしまった。

 キッチンへ向かった時任にも聞かれているだろう。

「でも、それは出席しなかった方にも非があるんじゃない? というか島村にもさ」

 嘲笑うように辻本は言う。

 とうとう本性を表してきたな。

「皆に当日欠席しろというあんたが悪質でしょ。しかも一部には何度も連絡して欠席しろとか裏切るなよとか言って脅迫まがいなことしてたでしょ」

「知らないわよ」

「出席した人から聞いてるのよ。音声データもあるわよ」

「誰よ?」

「言えるわけないでしょ? 相手はこのことがあんたにバレると何されるかわからないから黙っててと言ってたわよ」

 私は立ち上がる。

「結局、あんたはそうやって昔のことをちょっと謝って、楽になりたいんでしょ? はあ? 無理だから。許せないから。あんたは天国になんか行かないわよ。ねえ? なんで地獄があるか知ってる? 罰を受けるため。あんたは地獄に落ちて、ちゃんと罰を受けてきなさいよ!」

 私は怒り肩で時任のマンションを出る。

 あいつにとって私はつま先で蹴る路傍の石なんでしょうね。

 暇な時に蹴って遊ぶ。

 そしてマウントを取られないために工作をする。いや、不幸にする。

 別にマウントなんか取ってもないのに。時任はよくても私の幸せはあいつにとっては許せないことなんでしょうね。

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路傍の石 赤城ハル @akagi-haru

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