終演


 目を覚ますと、そこは学校近くの河原だった。


 土の匂い、草の匂いが、鼻に優しく届く。ゆっくりと体を起こして、ぼんやりと周りを見回す。

 どうしてこんなところで寝ていたんだろう?

 頭の中に疑問がぐるぐると回るけれど、答えは一向に出てこない。


 ふと、小指に硬い感触が伝わり、視線を落とすと、そこには牛乳瓶と鞄が転がっていた。

 慌ててそれを拾い上げ、両手で牛乳瓶にヒビが入っていないか確認する。

「…よかった、大丈夫だ」

 母さんに飲ませるために買ってきた大切な牛乳。それが壊れていたら、どうしようもなかった。


 体を起こして立ち上がる。頭がぼんやりとして、まだ何かが掴めない。空を見ると、茜色の夕焼けが広がっていて、学校を出たばかりの様に思える。

だから、きっとそんなに長くは寝ていないはずだ。


 草を払いながらズボンを叩いていると、ポケットの中に何か固いものがあることに気づく。

 手を突っ込んでみると、青色の宝石がついた指輪がひとつ、転がり落ちてきた。


「指輪…?」


 どうしてこんなものが?

 こんな美しいもの、でもどうしてだろう。その指輪を見つめるたび、胸が締め付けられる様な感覚が押し寄せてきた。痛いほどに、苦しいほどに、何かを失った様な気がして、心が張り裂けそうになる。


「いや、こんなことしている暇はない。早く帰らなきゃ…」

 鞄を肩にかけ、指輪をしっかりと握りしめたまま、牛乳瓶を両手で抱え、土手を駆け出した。

 一歩、また一歩。

 確かに足を進めるたびに、涙がこぼれ落ちる。大粒の涙が頬を伝い、止まらない。


 どうしてこんなにも涙が溢れてくるんだろう。

 胸が苦しい。

 何かを失ってしまった様な、そんな気持ちがどんどん大きくなって、息ができなくなりそうだ。

 大事な誰かのぬくもりが、どうしても思い出せない。

 その顔も、声も、何一つ覚えていないのに、胸が痛くて仕方がない。


 どうしてこんなに苦しいんだろう。




「     」


 言葉は、喉の奥で途切れたままだ。ただ、胸の中で渦巻く痛みがすべてを言葉に変えて、涙となって溢れ出す。

 風が、背中を押すように強く吹いた。

 振り返っても、そこには誰もいない。

 それでも、まるで誰かに後押しされたかの様に、胸の中で響く温もりが残っている。


 手のひらで涙を拭いながら、指輪と牛乳をしっかりと握りしめた。


「行かなくちゃ」


 自分に言い聞かせるように呟いて、僕は前へと進み始める。

 足元が少しふらついて、周りの景色がぼんやりと揺れ動く。

 それでも、僕は足を踏み出す。


 あの誰かの大事な温もりが、きっとどこかで僕を見守っている気がする。

 だから、前を向く。

 涙が乾くそのときまで。

 覚えていなくても、僕の中には確かに残っているものがある。名前も、顔も、声も、すべて失ってしまっても――。

 あの日、あの人と交わした約束と、あの温もりが、僕の歩みを支えている。これから先、その温かさだけは、胸の奥で輝き続けるだろう。

 だから、行こう。

 

 どんな道でも、君と一緒に歩いた日々を胸に抱いて――。

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銀河とさよなら adotra22 @adotra

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