山田太郎の疾走

三屋城衣智子

山田太郎は誤解を解きたい

 山田太郎は困っていた。


 雪だるま柄がでん! と中央に配置されたオフホワイトのセーター、ダークブラウンのカラージーンズ、ダークグレーのダッフルコートといったで立ちで。今太郎は神社の鳥居とりい前でソワソワうろうろしつつも待ち人を、なんてことない顔して待ち望んでいた。


 今日は、初めての彼女との初めての初詣はつもうでである。

 待ち合わせより三十分以上も前に来て、どころか、一時間以上前に来て、太郎はずっと待っていた。

 そこへ、だ。

 いきなり声をかけられてもう三十分は経っただろうか。

 振袖姿の女性がずっと、太郎へと声をかける……というよりかは、ずっとしゃべり倒していた。


「……それでですね、私言ってやったんですよぉ。ってちょっとタロウさん、聞いてますか?」

「あ、はい、聞いてます!」


 待ち合わせの時間までは後二十分はある。

 けれど相手だって、予定の時刻より早めに来るかもしれないのだ。

 だから太郎は非常に困っていた。


 どんよりとした寒空の下なのに、額にじわりと汗さえにじんでいた。

 これは一体、誰なんだろう、と。


 そんな太郎の困惑はお構いなしに、長身の太郎より少しだけ背の低いその女性は、身振り手振りを交えながら、自分の身の周りに最近起こった出来事を、それは熱心に語って聞かせていた。

 シックな紺の色合いが美しい着物の袖が、右に左にと揺れている。


 と、そこへ遥か前方豆粒ほどのサイズで彼女が見えた。

 普通、人はそのサイズで誰かなどとは判別が不可能だろう。

 しかし太郎にはその一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそく全てに愛らしさを感じすぐさま彼女であるとピンときた。

 ただ一人だけ、輝いて見える。


 太郎の頬が桃色に染まる。

 しかし困った。

 女性と、しかも振袖姿の人と一緒となれば、誤解をされても仕方がないかもしれない。

 最悪、これにて今生こんじょうの別れ……とばかりに交際解消を告げられることも考えられる。


 しかし、誰なのかもわからず、話す速度に口を挟む余地すらない。

 どうすればいいのか。

 段々と彼女の姿が近づいてくる。

 桃色の綺麗な色の振袖姿の彼女に、今すぐにでも駆け寄りたい気持ちの太郎は、一瞬彼女に見惚みとれて、見惚れすぎてほうけてしまった。


「ねぇ、ちょっと、本当に聞いてるんですか?」


 そのほんのちょっとの隙に、目の前の振袖が、太郎のコートの肘あたりを掴んだ。


 見惚れていた彼女の足がぎゅっと止まる。


「あ、ミケネコさんですか?」


 と同時に背後から振袖の女性へと声がかかった。

 太郎が振り返って見てみると、オフホワイトで中央にでん! と雪だるまの柄の入った、ブラウンのチノパンを穿き、グレーのロングコートを着た坊主頭の男性が立っていた。


 パッと女性が太郎の腕から手を離すと、「……チッ、今どき珍しいセーター着てんじゃねぇよ、ハゲ」とすれ違いざまにボソリと言い。

 さささと移動しながら「タロウさんですかぁ? リアルでは初めましてっ」と相手の坊主頭の男性へと挨拶をした。

 太郎は慌てて彼女の方へと視線を戻す。

 しかし、彼女はもうきびすを返していて、その背中がちょうど遠ざかっていくところだった。


 太郎は駆け出す。

 その背後では、先ほどの二人が、挨拶が終わると神社の敷地内へとそろって遠ざかっていく。

 走る太郎にギリギリ聞こえる距離で。

「え? あ、なんかぁ、ナンパがしつこくって一生懸命断ってたんです」

 という女性の声とそれに何某なにがしか返事をする男の声がしたが、太郎の耳にはもう届いていないようだった。


 太郎は走る。

 汗ほとばしるのも構わずに。

 全速力で一陣いちじんの風となった太郎は、丁度ちょうど先ほど彼女を目で捕捉ほそくしたあたりでその腕を掴むことに成功した。

 彼女は片手で目を隠す。


 ふわふわの白いファーの上には、泣いたのだろう、涙の粒がきらりと光った。


 太郎は人生で一番、たくさんしゃべった。

 何時に鳥居に着いたのか、あの振袖の女性が誰なのか。

 どうやらオフで会うのが初めての人と待ち合わせをして、人間違まちがいをされたこと。

 無事当人同士が出会えて、すぐに離れていったこと。

 去り際に「ハゲ」と罵倒ばとうされたが、自身のそれはただの坊主なのに……確かにツルツルに母親に剃られているけど。

 と、なんとか笑ってもらえないかと自虐を交えて。


 お陰で。

 少しは誤解が解けたらしい。

 彼女はふっと笑って、それから、冬休み前には確かにあった太郎の髪の毛について聞いてきた。


 太郎は母親の傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりについて話しながら、彼女のファーを肩からとり、自身のマフラーをいっときの代わりとばかり巻きつけた後。

 濡れたファーをハンカチで拭った。


 しかし、その太郎の努力も虚しく。

 ふわりはらり。

 くっついた氷の結晶がファーを静かに濡らしてゆく。


「あ、雪」

「本当だ」


 もういいよ。さっきはごめんね、ありがとう……と彼女が言ったため、太郎はファーを彼女の肩へと返そうとした。

 けれど、もう少し貸して欲しいと愛しの彼女が言うものだから。


 太郎が首に堂々ファーを巻き。

 彼女にくすくすと笑われつつも、二人。

 境内へと、お参りをしに歩を進めるのだった。


 ――自分のおみくじを木の枝のなるべく高い場所へと、くくりつけようとしてくれる背後の太郎に、彼女が振り向きざま背伸びし。二度目のキスを彼女からプレゼントをするまで。

 後、もうちょっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山田太郎の疾走 三屋城衣智子 @katsuji-ichiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画