【短編】エルフは雪と人に恋をする ~冷凍食品異世界転生物語~

杉林重工

第1話 君が欲しいといったもの

『助けてくれ、解放してくれ、寒い、寒い、凍える、嗚呼、僕達に死を、終わりを!』


 ――そう聞こえるんだ、とレエジは言っていた。


 霊峰ウォルマルトの麓、霜の森。百人程のエルフが住む小さな集落の入口には、珍しく松明が掲げられていた。その下に、集落の長モザの娘アーテがいる。彼女はそこで祈るように手を組み、小さく震えていた。


 今日は、朝から雪だった。昼にはその塊が親指の先程になり、やがて吹雪と化した。そして夜。あれだけ人を脅すようだった吹雪は急に止み、静寂が訪れていた。


 松明の照らす範囲、精々十メートルほどの距離、さらにエルフの視野を用いても百メートルほどが限界。その範囲は全て、真っ白な雪に包まれて、地面も樹も、空も、全てが動かなかった。まるで、身を揺することすら忘れてしまったようだった。


 ——否、これは、死。


 そこまで考えて、アーテは首を振った。


「死んでない。大丈夫」


 彼女は自分に言い聞かす。その時、彼女の赤く霜焼けた長く尖った耳が、小さな音を捕らえた。


「レエジ!」


 アーテは松明を手に取り、集落の入口から森へ走った。やがて、雪に覆われ凍てついた木木の中に、自分と同じく、揺れる松明の輝きを見た。二人のエルフの男だった。


「レエジは?」


 彼女の問いに、二人は引っ張っていた橇を指した。それを見た途端、アーテは思わず悲鳴を上げそうになった。


 ——真っ白な雪に覆われた、人型。


 静止、その白に、アーテは命を感じなかった。手から松明が零れ落ち、雪に刺さって火が消えた。立ち尽くす彼女のその目からじわ、と涙が滲む。


「大丈夫、生きてる」


 突然、雪塊が喋った。腕と思しき部位を掲げる。すると、アーテはまるで倒れ込むように彼の傍に行き、持ち上げられた手を握った。ドラゴンの皮の手袋。故に熱は感じないが、その奥に微かな動きを認める。彼女は漸く安堵と、そして別の感情が芽生えた。


「馬鹿! なにやってんの、吹雪だったじゃない!」


 アーテは木木の枝枝に積もった雪すら吹き飛ばす大声で怒鳴った。すると、橇の上の雪塊から笑い声が漏れる。


「アーテの言う通りだ。しかも君は雪崩に巻き込まれたんだ。普通、人間は雪崩に巻き込まれたら死ぬ」


 エルフの男達もやれやれと首を振る。すると、雪の人型=レエジはもう片方の手で何とか、鼻から下を覆っていた布を下げ、エルフの職人特製の『ゴーグル』を外す。金羊の毛糸で編んだ帽子も脱ぐと、彼が普通の人間であることがわかった。


「でも、声が聞こえたんだ」


「死んだら駄目。声が聞こえたってだけで命を懸けるなんて間違ってる。あなたは、まるで……」


 アーテの視界をちらちらと雪が邪魔した。また降り始めたらしい。すると、アーテはもう声が出なかった。そうして、最後には安堵が勝り、涙が止まらない。レエジは溜息をつく。


「おれは生きてる。それに、命を懸けた甲斐があった。吹雪の中、前も見えないし、雪崩に遭ってこうして足の骨も負ったが、ほら、これを見てほしい」


 レエジは身を捩って背嚢から戦利品を広げた。『それ』を前にして、思わずアーテは喉を鳴らし、唾を飲んだ。場違いだと、本来なら彼を叱らないといけないはずなのに、そんな気持ちが失せていく。


 ――嗚呼、わたしはこれを前にしたら、堪らなくなってしまう!


『ごっつ旨いお好み焼き』(テーブルマーク)×四袋


『大きな大きな焼きおにぎり』(ニッスイ)×二袋


『スパ王プレミアム ナポリタン』(日清)×三袋


『チキンライス』(ニチレイ)×一袋


『やわらか仕立てミニハンバーグ』(伊藤ハム)×一袋


 主にプラスチックフィルムによって構成されたパッケージに描かれた文字、或いは写真が煌めく。


「ほら、もう見惚れてる。エルフは正直者ばかりだな」


 はっとしてアーテは顔両手で覆い、空を見上げた。そして深呼吸。パッケージを見ただけで、彼女の体は否応なく鼻腔の奥でソースの香りを勝手に再生し、奥歯で米粒の噛み応えを思い出し、トマトソースの酸味を期待するからだ。落ち着け、と今度は胸に手を当て、拍動を制御する。


 そうして何度も肩を上下させて平静を保とうとするエルフの様子を見つめていたレエジは、こっそり、自分の分厚いベヒモスの皮の外套の奥に手を突っ込んだ。そして、もう一つ鞄を取り出す。


「しかも、アーテ。これを見てくれ。今日は凄いぞ、味の素の……」


「!」


 アーテはレエジの手から鞄を奪ってそれを逆さに返した。すると、ぼす、と音を立てて雪の上にパッケージが刺さった。


『パリッとジューシー!』

 そして。

『断然、具がうまい!』


――『ギョーザ』(味の素)×一袋


「ああああ!」アーテの口から今度こそ悲鳴が漏れ出た。歓喜が霜の森を駆け抜けた。しかも、もう一つ、雪原に刺さるものがあったのだ。


――『羽根つき餃子』(大阪王将)


「秘伝のたれがついてる! 大好き!」


 二つの冷凍食品のパッケージを拾い上げ、アーテはそれを天に翳す。ぱらぱらと雪片や霜が崩れ落ち、彼女の顔に触れて溶けていく。


 それに喜んでいるのは、何もアーテだけではない。二人のエルフの男も、アーテと同じく、冷凍食品を見て喉を鳴らした。


「さ、帰ろう、アーテ。ルク、ロット、すまないがいい加減帰りたい」


 すっかり顔を綻ばせているエルフ達へ、レエジは肩を竦めて針葉樹の森の向こうを指した。すると、エルフ達は申し訳なさそうに顔を伏せた。


 本来であれば、自己責任とはいえ怪我をしている人間を放置して冷凍食品に涎を垂らすなど、許せる行いではないのだが、それでもレエジは笑っていた。それには、理由があった。


 ——この世界のエルフは、冷凍食品を食べなければ死ぬ。


 エルフといえば、不死とはいかないものの不老長寿で場合によっては千年以上生き、しかもその間、見目麗しい姿形は衰えないと相場が決まっている。だが。


 ——この世界のエルフは、冷凍食品を食べなければ死ぬ。


 曰く、エルフが死ぬときは、世界に関心を失い、飽きたり絶望したりした時だけ。


 そして、この世界のエルフは、冷凍食品の味や香りが定期的に摂取できない、たったそれだけのことで絶望して死ぬのだ。


 それを知った時、人間レエジは目を丸くして何度も訊ね直した。


『本当に君達は、冷凍食品が食べられないと、人生にそんなにあっさり絶望して死ぬのか』


『ああ、死ぬとも。この世界の食事は全て、冷凍食品の味や香りに比べたら、自分の指を噛んでいるに等しいじゃないか』


 エルフ達の答えに、レエジはしばし思案したのち、確かにこの世界の食事は、苦みすらない分ゲロにも劣る、ゲロマズゲロ以下ゲロ料理だと思い至り、納得した。


 ――レエジは、異世界から転生した少年だった。歳は、今年で十六になる。


『生まれて二年経ちますが、この子は予言めいたことばかり言う。呪われているのだ』


 人間の孤児院からエルフの魔術師に預けられたのがレエジだった。レエジは『この世界』の親の顔すら知らぬが、一方で生前の記憶、否、前世の正確な記憶を保持し、死んだ直後——しょうもない交通事故だった――で全身が車のバンパーに圧し潰され、骨が砕かれ内臓が弾ける最悪な感覚を持った延長線上でこの世界に生まれた。


 その後は、この霜の森でエルフ達に囲まれて、常に哲学的問答を繰り返しながら生きていた。


「明日の昼までは動かないことだ。今日はこのベッドで寝なさい」


 霜の森のエルフの集落に着くと、集落で最も治療魔術が得意なエルフが雪崩帰りのレエジを治療した。暖かい家の中、レエジは窓の外ばかりを見ていた。雪はまた、どんどん激しく降っていた。


「そんなに、雪が好きですか。雪崩に巻き込まれるほど」


 レエジのベッドの横から、アーテは離れようとしなかった。


「雪は好きだ。きれいだ。雪の結晶、見たことあるだろう」


 すると、アーテは頬を膨らました。


「わたしは嫌いです。冷たいし、小さいし、触れると消えてしまう」


 彼女はそう言って、そっとレエジの手を握った。レエジもまた、彼女の柔らかな感触を握り返す。


「おれは雪じゃない。それに、雪が好きで外に出ていくわけじゃない。流石に雪崩に巻き込まれたときは後悔した」


「じゃあ、もう、吹雪の日……いいえ、雪の日は行かない?」


「ああ。約束する」


「『声』が聞こえても?」


 レエジは頷いた。そう、レエジには生まれつき、ある特殊な能力がある。


 ——この世界のどこかにある、冷凍食品たちの声が聞こえるのだ。


 冷凍食品とは、そのままレエジの前世の世界にあった、現代日本のもの、そのままだ。


 レエジは自身の記憶を前世から引き継いでいるが、冷凍食品はどうやら、不可思議な力でもってこの世界に転移してきたらしい。この世界では、スーパーマーケットやコンビニではなく、ダンジョンの奥深くや、この雪山のような寒冷地帯で『発掘』されるのだ。


 大概、冷凍食品の発見は至難の業だが、レエジは例外だった。彼は冷凍食品の声が聞こえるため、それを辿ればあっという間に見つけることができた。


 この世界の冷凍食品の扱いは珍味だ。この異世界では、料理といえば材料は用意したらそのあとは、調理魔術であっという間に、栄養価が高く消化吸収に良い食料『アスケソ』に変えるだけ。『アスケソ』に味はなく、レエジは紙でもしゃぶっていた方がまだ幸せだと思っている。


 そのおかげか、この世界の人間は世代を経て味覚が退化して味の感度が低い。しかし、長命なエルフ達にはまだ味覚というものがまだ鋭敏に備わっているらしく、冷凍食品の刺激的な味や香りにめっぽう弱いのだ。


「冷凍食品たちは、今もずっと、寒い雪山の氷の奥底で解放、否、解凍の日を待っている。でも、流石に君を泣かせるわけにはいかない。今日のことは反省している」


 アーテは、そっと彼の手を自分の唇まで引き寄せて浅くキスをし、気まずそうにしている治療魔術の得意なエルフの彼の横を、そそくさと通り抜けて家へ帰った。


 次の日、レエジの足は全快し、飛んでも跳ねても痛み一つしなかった。レエジは元気よく礼を言って外へ出る。昨日の吹雪が嘘のような快晴。吐く息は白いが、それでも心地よいことには変わりない。レエジは大きく伸びをして、冷えた空気を肺一杯に吸い込んだ。


「長老が呼んでいる。すぐに来てくれ」


 そんな彼を、エルフの男が呼び止めた。その目は険しく、レエジはすぐに集落で一番大きな家に走った。長老モザと、その娘アーテの家だ。


「召還に預かりました」


 レエジは荒い呼吸を整えながら長老の家に入る。すると、アーテの母ウラエがレエジを迎えた。彼女に連れられ、レエジは長老の家を歩く。昔、アーテとよく遊んだ客間、廊下、そして、忍び込んではよく怒られた、長老モザの寝室に至る。


 扉の向こう、天蓋付きのベッドの上。そこにいるモザの姿を見て、レエジは慄いた。

 

 そこには、ついこの間まで、人間でいう所の、精々が三十代前半ぐらいの見た目だったモザが、百歳を超えた老爺のような姿になっていたからだ。頬はこけ、たるんだ肌は幾重にも重なった皺となり、目の周囲は黒く落ち窪んでいる!


「早く冷凍食品を! あるはずです、昨日の『チキンライス』(ニチレイ)は? 貯蔵していた『鶏ごぼうごはん』(マルハニチロ)か『オーマイプレミアム 濃厚カルボナーラ』(オーマイ)ならどうだ、最近あれを、長老は召し上がっていないのでは? 急いで解凍魔術を!」


 混乱を落ち着けるようにレエジは口走った。だが、同じくこの部屋にいるモザの親類たちは首を横に振った。


「どうして! 昨日、おれが取ってきた『ごっつ旨いお好み焼き』(テーブルマーク)はどうしたんだ!」レエジは怒鳴った。すると、一人のエルフがレエジの前に一歩踏み出す。


「長老の言葉を、聞いてあげてください」


 彼の促すまま、レエジはベッドの横で膝を折り、モザの口元に耳を寄せた。


「レエジよ、聞いてくれるか」長老の微かな呼気がレエジの耳に触れる。もはやタンポポの綿毛すら揺らがないであろう微かな振動に、レエジの心臓の鼓動が激しくなる。昔、寝室に忍び込んでこっぴどく彼を叱った若々しく力強いエルフの命が、今まさに凍てつこうとしている――


「……はい。長老」レエジは、放っておけばすぐに詰まりそうになる言葉を、なんとか押し出した。


「わたしは、ずっと後悔していることがある。お前と、アーテのことだ」


 それを聞いて、レエジは俄かに耳が熱くなるのを感じた。


「わたしは今まさに、死のうとしている。この世界に絶望しているのだ」


「なぜです。この集落には冷凍食品がたくさんあるはずです」


 すると、長老は首を振った。


「いいや、わたしの絶望は、お前にはわかるまい。この、白い闇の中、もう、手にすることができない、否、口にし、舌に乗せ、息を吸い、鼻や脳を揺することができない、そのことが、いかに無常であるか。もう、耐えられそうにない」


「どうしたというのです。教えてください!」


「わたしは、これがほしい」


 そういって、老人は布団の中から、じゃがじゃがと不快なプラスチックフィルムの擦れる音を立てて、一枚のパッケージを取り出した。


「これは!」思わずレエジは口を両手で覆った。


「『本格炒め炒飯』(ニチレイ)!」


 レエジは、目の前に死の淵に瀕した老人がいることを忘れて叫んだ。背後では、そのパッケージを見ただけで涎を啜るエルフ達の不快な音がした。


『レンジでパラっと!』

『自家製ゴロゴロ焼豚!!』

『が旨い!』


「……しかも、『数量限定+50グラム増量』版だ……」


 それは、恐れか、それとも尊敬か。わなわなとレエジの体が震えだした。空の、もう萎れたパッケージ相手に。


「ですが、『本格炒め炒飯』(ニチレイ)はすでに絶滅したと聞いています。百年前に乱獲され、食べ尽くされ、全てはエルフ達の胃の中に納まったと……」


 その言葉に、モザは一度深く目を瞑った後、開いた。彼の瞳の奥、そこにまだ生はある!


「『本格炒め炒飯』(ニチレイ)は、存在する」


「馬鹿な!」


 レエジは声を抑えることができなかった。生前、その冷凍食品らしからぬ旨味に何度も舌鼓を打った逸品にして、冷凍食品が人気なこの世界では二度と口にできないと言われていたからだ。


「それは、遠く、この霜の森に連なる霊峰ウォルマルトの向こう、ゼイジュー岳の山頂にある。二千年前にこの集落を訪れた旅人のエルフがもたらしたのだ」


「まさか、そんな……」


 レエジは愕然とした。霜の森はすでに、ほとんど人のいない標高四千メートルに位置している。そこからさらに高く、そして果てなく、北へ北へと続くのが霊峰ウォルマルト。そしてその先のゼイジュー岳といえば、永遠に雪が降り続ける魔境である。レエジがこの集落に居ついてから、いかに冷凍食品があろうと、そちらへ行こうとしたエルフはいなかった。曰く、山頂に渦巻く永遠の吹雪を見ただけで、エルフは絶望して死ぬ。


「ゼイジューの山頂には、いまだに大量の冷凍食品が眠っていると聞く。だが、そこには恐ろしい罠や冷凍食品の守り人がいて、その獲得は容易ならざる」


 その言葉に、レエジは唾を飲んだ。エルフがダンジョンに挑戦して冷凍食品を取りに行って、帰ってくる確率は低い。その場でチンして食べて、知らぬ間に魔物に背後を取られたり、うきうき気分でスキップして罠にはまって死んだりする。


「しかし、お前は別だ、レエジ。遠い地の冷凍食品を、お前の手で解放するのを、許す」


「確かに、わたしは冷凍食品の声を聴き、彼らを解き放つ覚悟で確保に向かいます。ですが、できません。わたしは、アーテと、もう雪の中旅に出ることは……」


「冷凍食品持ってきてくれたらアーテとの結婚を許す」


「わかりました。引き受けます」


 レエジはそのまま長老の家を飛び出した。


「待て。これを持っていけ」


 レエジが振り返ると、相手は狩りを担うエルフだった。彼は、橙色の豪奢な鞘に入った剣を、レエジに突き出す。


「長老モザが使っていた宝剣だ。これを、お前に渡すように頼まれていた」


「そんな、畏れ多い。おれは人間だし……」


「だが、長老はお前を認めた……アーテのことも」彼は唇を噛んだ。


「わかった。受け取る。君達と違って、おれには一瞬一瞬が惜しい」


 家に戻って支度をした。いつも雪山に出るときと同じく、魔物の素材で作られた外套に手袋、ブーツ。そして、ナイフと長老の剣。


「……行くのね」集落の入口に、アーテはいた。


「君にはあっという間だろう。気にしないでくれ、最悪、おれのことも」


「馬鹿!」


 アーテはレエジをきつく、強く縛るように抱き締めた。アーテのまるで、森林の木々のような爽やかな香りが、レエジの鼻先まで持ち上がる。レエジはそっと、彼女の背を抱き返しながら、頭を撫でた。


「消えて、なくならないで」アーテが絞り出すように言う。


「大丈夫だ。おれは、雪じゃない」


 それでもアーテはレエジを離そうとはしなかった。仕方ないので、レエジがおやつとして持っていた『井村屋謹製たい焼き(つぶあん)』(井村屋)を取り出し、集落の奥へ投げ込むと、アーテはまるで海岸でサンドイッチを狙うトンビのように跳躍してそれが地面に落ちる前に滑り込んでキャッチした。その隙にレエジは旅に出た。


 旅は、想定以上に困難だった。普段、冷凍食品達は雪崩や雪解けに乗じて表層に出る。それを回収するのがレエジの『狩り』だった。故に、基本的に慣れた麓や、精々中腹より少し下が対象になる。


 だから、霊峰ウォルマルトの山頂はもとい、それを超えようなどとは夢にも思わなかった。それをしようとする人間もいない。仮にそこに大量の冷凍食品があるとして、割に合わないからだ。ほっといても原則死なないエルフに、金銭という概念は浸透していない。人間が頑張って獲得した冷凍食品をエルフに売ろうとしても、エルフは手に入らないと分かった途端に絶望して死ぬ。


 そして、きっと、頑張ってこの山にエルフが入ったとして、やはり彼らはその場で冷凍食品を食べ始めて死ぬのだ。


 ウォルマルト登頂二日目。ベヒモスの外套を貫く寒さが訪れた。氷の上に雪が積もったその上を歩き、吹き付ける風にも雪が混じり、手を突く岩肌にも雪がある。たまに、足元の雪を退かして氷の奥を見つめると、そこに冷凍されて死んだエルフがいた。彼らは最後に何を見たのだろう。


 そんな時吹き抜ける風音はまるで怪物の雄叫びのようで、いちいちレエジの神経に触る。否、本当にそれだけだろうか。


 レエジがぎりぎりで身を捩った時、彼の上半身があった場所に鈍い光が返った。


「雪蜘蛛か!」


 鋏状の爪をもった腕を一対。そして、全身を白い綿毛のような毛で覆った蜘蛛のような魔物である。大きさは二メートルを超える。八つの目は、その全てにレエジを捉えていた。


 続けざまに伸ばされる爪を、レエジは剣で往なし、何とか反撃したが、雪蜘蛛は時に岩壁の上を走り、或いは四本の脚を駆使して追い詰める。戦闘経験に乏しいレエジは、すでに死を悟っていた。


『こっちだよ』

『急いで』

『壁に沿って走るんだ』


 ふと、レエジを呼ぶ声がした。彼は縋るように岩壁に沿って走り、声の付近に至った。


「ぎいいいいいっ」


 しかして、あっという間に追いついた雪蜘蛛が、レエジを威嚇するように声を上げる。もうこれまでかとレエジは思ったが、その時突然、雪蜘蛛の足元に亀裂が入り、氷は砕けて大穴となり、蜘蛛を吞み込んで奈落と化した。レエジは茫然として、肩を荒く上下させて呼吸しながら、目の前で起きた出来事を理解しようとした。


『さあ、助けて、僕らを解凍して、食べて』

『ここは、寒いよ』

『恐ろしいよ』


 振り返ると、氷の壁の中に冷凍食品が詰まっていた。レエジは急に、百万の味方を手に入れた気分になって顔を綻ばせた。


「ありがとう、『日清中華 ジャージャー麺』(日清)、『ライスバーガー牛カルビ』(テーブルマーク)、『わが家の麺自慢 濃厚ごま香る 汁なし担々麺 』(ニッスイ)……」


 それからの旅は、冷凍食品達と二人三脚で行われた。襲い来る魔物や、天候の変化、近道、その全てを冷凍食品の助けで得た。


 気付けば霊峰ウォルマルトを超え、ついにセイジュー岳に至る。


『気を付けて、ここに、守り人がいるよ』


 それきり、冷凍食品たちは口を噤んだ。レエジの口元も自然と締まる。


 入山七日目。旅立ってから換算すると、もう一年は経ったのかもしれない。レエジは口元で随分と長く伸びたひげを少し弄りながら、ある晩、星空を眺めていた。風もなく雪もなく、どこまでも澄んだ星空が広がっている。その闇すら、今は明るく輝いて見えた。濃紺のキャンパスに薄く虹色を伸ばし、その上に白を散らす。


『お前が、解放者か』


 そんなレエジの耳元で、飛び上がるほどの音量の声が聞こえた。はっとして立ち上がると、そこにいた存在に、レエジは思わず叫んだ。


「お前は、『本格炒め炒飯』(ニチレイ)!」


 それはまさしく、そのパッケージであった。それが、喋っている。


「ほう、お前にはそう見えるのか。だが、違う。わたしは守り人。全ての守り人だ」


「おれは、お前が欲しい。どうか、おれのものになってはくれないか」


「それはできない。守り人の役目は、全てのバランスを守ることだ」


「バランスを守る?」


「冷凍食品は、食べたらなくなってしまう。それは、一瞬の出来事だ。これに込められた思いや旨味、香り、食感、その全ては、儚い。わたしはそれを守っている」


「それが普通だ。永遠などない」


「違う。この世界にはすでに、永遠の食べ物を『アスケソ』がある。お前達はそれを食べればいい。わたしは、その代わりにすべての冷凍食品を凍らせて保存し、守るのだ。お前達はまさか、冷凍食品が無限にあると思っているのか」


 その指摘は、レエジも考えたことがある。冷凍食品はきっと有限で、どこからか無限に涌くものではない。いつか尽きる。そして、その時がエルフの絶滅の時だ。


「わたしは、守っている。全てを」


 この世に、守られなくても存在できるものなどない。それは、冷凍食品も、人間も、エルフも同じだ。


 ふと、また雪が降りだしていた。レエジの頬にも、手にも、それらが一瞬乗り、水滴に変わって消えていく。そう、全てはいつか消える物。


「だが、お前には聞こえないのか、守り人よ、この声が!」


 レエジはしかして、掌に乗った雪を握り潰し、叫んだ。目の前の守り人、否、『本格炒め炒飯』(ニチレイ)は驚いたようにパッケージを捻った。


「呼べ、おれの名を!」


『レエジ! 助けて!』


 その声に従い、レエジは足元の氷に剣を突き立てた。すると、その奥にレエジは確かに、『本格炒め炒飯』(ニチレイ)を認めた。それを引っ掴む。


「待て、置いて行け! 行くのなら、わたしはお前から、奪わなくてはならない!」


「やれるものなら!」


 レエジは『本格炒め炒飯』(ニチレイ)を手に、守り人に背を向け走った。時に、まるで転がり落ちるように。或いは、沼の中を歩くように。雪に浸され、雪を積もらせ、それでも足を止めなかった。


 ——もう、冷凍食品の声は聞こえなかった。


「……世界は、こんなにも静かだったのか」


 もう足が動かない。彼は雪原に仰向けになって、独り言つ。ここがどこかはもうわからない。ただ、手の中に『本格炒め炒飯』(ニチレイ)がある。それだけだ。今日の夜空も、ぱらぱらと雪を降らせていた。


 ——レンジでパラっと!


「ああ、食べたいな」


 たくさんの冷凍食品を回収し、この世界でも食べた。だが、その美味しさから乱獲されたらしい『本格炒め炒飯』(ニチレイ)は久しい。


 レエジは、そっと『本格炒め炒飯』(ニチレイ)を持ち上げ、天に翳す。この中に、如何なる旨味や香りが閉じ込められているだろう。


「もう、諦めたの?」


 レエジの鼓膜を、揺する。もう、冷凍食品の声は聞こえないのに。


「諦めてはいない。だが、もう足は動かないし、そうだ、この世界に永遠なんてない」


 レエジは、自身の手足、体、顔にかかる雪を思った。


「あるよ。永遠」


 そんな、彼の体に、雪より重く、強く、熱いものが伸し掛かる。そこで漸く、彼はこの声が幻聴でないと気付いた。


「まさか、アーテ?」


 ついさっきまで『本格炒め炒飯』(ニチレイ)の味を求めていた彼の唇に、熱くて柔らかい感触が吸い付いた。それだけではない、彼の顔を抑える掌、全身に乗る、外套越しでもわかる柔らかい体、絡む足。その全てを、レエジは知っていた。


「アーテ、追いかけてきたのか?」


 長いキスを終え、漸く唇を話した彼女へ、レエジは問うた。まさしくアーテは、目に涙を湛え頷いた。


「例え、一瞬しかないものでも、いいのです」


 アーテはそう言って、レエジの頬の雪を拭った。その指先に残った雪は、しばしその美しい結晶のままでいたが、やがて溶けて消えた。


「綺麗」










最後までお読みいただきありがとうございます!

感想などいただけるととても励みになります!


また今後の参考にしたく★でのご評価をくださいますと嬉しいです!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】エルフは雪と人に恋をする ~冷凍食品異世界転生物語~ 杉林重工 @tomato_fiber

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画