第3話

 夜中まで色々士官学校時代の思い出などを、イアンとフェルディナントは火を囲んで話していた。ネーリは話を聞きながら側でずっと絵を描いていたが、明け方、イアンが体調も戻ったからこのまま駐屯地に戻る、と立ち上がる頃には、ネーリがいつの間にかフェリックスに寄り掛かって眠っていた。

 側に置かれた薄い板に挟まれた紙を見てみると、夜中じゅう火の側で話していたイアンとフェルディナントの姿が描かれている。イアンが笑った。

「凄いな。この子は、自分がええなと思ったもんは、何でも描き出してしまうんやな」

 フェルディナントは頷く。

「家族がおらんって聞いとったけど、ほんま明るくて優しい子や。こんな子が不幸な目に遭う国は、絶対アカンで」

 もう一度、頷いた。


◇   ◇   ◇


「今日は楽しかったわ。まあ、神聖ローマ帝国軍の人らには迷惑かけてもうたけど」

「気にするな。俺たちは別に、敵同士じゃない」

 イアンは馬に乗って、明るく笑った。

「そうやな。また近々、来るわ。そん時にはうちの海軍演習の予定も整っとるやろ。俺は海に出ぇへんとどーも日中眠くなってしゃーないわ。ネーリ、君は好きな時に駐屯地に遊びに来てくれや。ここの奴らもいい奴やけど、うちの部隊の連中もみんな気さくで明るいいい奴ばっかりやから、怖がらんでええし」

「はい。スペインの軍艦、見に行くの楽しみにしています」

 イアンは目を細めて微笑むと、世話になったわ、と言って駆け出して行った。

 ネーリが手を振っている。

 涼しい風が通り過ぎた。


 ザザ……、


「明るいひとだね。何ていうか……現われると、それだけでその場の空気が変わるひと」

 ドキ、とした。

 それはイアンがネーリに対して言ったことと、全く同じだったからだ。

 確かに、彼らには天性の華があった。

 そこにいるだけで、多くの人間の視線を惹き付ける。

 共にいたいと思わせる、カリスマ性だ。

 やっぱり、ネーリもそれを感じたのか、と妙に胸が騒いだ。

 ――と。

「フレディもそういう所があるよね。特別な人だって、そこにいると分かる。僕は戦場は分からないけど……、きっとフレディと一緒に戦う竜騎兵の人とか兵士の人とかは、フレディが来てくれると戦場でも、この人がいてくれれば大丈夫だ、って安心出来るんだろうな。二人は将軍だからそういう力があるのかな? それとも、そういう力があるから、選ばれたのかな……?」

 ネーリは素直に湧いた疑問を口に出していた。

 振り返ると、赤面したフェルディナントが顔面を強張らせてこっちを見ている。その顔を見て、ネーリも、自分の言った言葉を反芻し、僕なんかが何言ってるんだと思われたかな……と気恥ずかしくなった。

 なんとなく、沈黙が落ちていると、足音が近づいて来た。

 振り返ると、駐屯地の入り口にフェリックスがやって来て、手綱を咥えてフェルディナントを見ている。

「おまえ……」

 フェルディナントが額を押さえた。ネーリが吹き出す。

「僕もこれは分かるようになった。『お散歩行きたいなー』だよね?」

「これだから一度要求に答えると竜は厄介なんだ……」

「ホントに記憶力がいいんだね」

「おまえ、強請るのを覚えたな?」

 フェリックスが更に側にやって来る。

「ダメだぞ。騎竜が『言えば何とかしてもらえる』なんて覚えたら絶対ダメなんだ。今日は我慢しろ」

 ネーリは一生懸命言い聞かせてるフェルディナントと、彼をひたすら見上げてなんとか夜の散歩に連れてっていってほしいみたいな空気を出しているフェリックスのやり取りを見てるのが楽しかったので、少し離れたところで口出しせず、彼らを見守っていた。

「フェリックス。駐屯地に戻れ」

 フェルディナントが指差した方をフェリックスは見たが、不意に、座っていたのが立ち上がり、ネーリの方に歩いて来て、何をするのかなと見ていると、なんと、ネーリの後ろに座り、彼の背の後ろから手綱を咥えた顔を出したのだ。

 これには二人は驚いた。

 フェルディナントは特に赤面する。この行動は、フェルディナントがネーリに惹かれていることを、竜が見抜いた上での行動だったからだ。それくらい彼は、はっきりとネーリの後ろに行った。

 一人と一頭で見つめられ、フェルディナントは肩を震わせる。

「おまえ……!」

 ネーリから言ってもらえれば何とかなるかもしれない、と竜が思ったとしか考えられない行動である。

「一般人を盾にするとは……騎竜のくせになんて卑怯な真似を……」

 二人は真剣だったが、我慢が出来なくなって、ネーリは吹き出してしまった。

「わ、笑い事じゃないんだぞ、ネーリ! こいつは竜騎兵団の隊長騎なんだ。全ての騎竜が、フェリックスの命令に従って動く。こいつが勝手な行動をすると、我が軍の全ての騎竜が影響を受けるんだ。恐ろしいことなんだぞ」

「フレディ、今日だけでいいから少しだけ飛んであげて」

 ネーリは言った。

 そんなこと出来るか絶対ダメだと言おうとして、ネーリの不思議な、穏やかな瞳と笑みを向けられ、フェルディナントは一撃で狼狽が収まった。

「夏至祭が終わったら、またフェリックス達、空を飛べるようになるんでしょ? 騎竜としての勘も、きっとすぐ取り戻せるよ。それに、悪いことばっかりじゃないと思うんだ。

だって、フェリックスは散歩行きたがる以外に、フレディにも他の人にも反抗的な態度は取ってないでしょ。フレディならきっと連れて行ってくれる、ってフェリックスが信じてることは、いいことにだって繋がってると思うんだ。きっと賢いフェリックスがここまで散歩に行きたがるなら、なんかどうしてもそうしたい理由があるんだよ。

 我慢出来るなら、きっと出来ると思うよ。

 だってそんなに空飛びたいなら、別に連れて行ってもらわなくても飛べるでしょ。でも騎竜は人を乗せないで飛んじゃいけないから、飛ばない。命令違反はしてないよ。きっと明日からはフレディがまた忙しくなって、ゆっくり散歩みたいに空飛べないから、二人だけで飛びたいんだよ。そうだよね?」

 ネーリがフェリックスの額を押さえてやる。

 フェルディナントは深い溜息をついた。

「……フェリックス。言っておくが、本当に飛行演習で勝手な真似をすれば本国に強制送還するからな」

 まったく。

 フェルディナントが騎乗する時の、命じる動作を見せる。

 フェリックスがバッ、と翼を広げて、歩いて来て、ぴたりとフェルディナントの隣に止まった。軍馬は先に鐙につま先を掛けて騎乗するが、竜騎兵は鐙に足を掛けるのは騎乗後だ。鞍に手をかけ、腕の力だけで騎乗し、その後に自分で調整した位置の鐙に足を掛ける。

 鮮やかに竜の上に跨ったフェルディナントに、ネーリが目を輝かせて拍手をする。

 かっこいいなあ。

 そんな風に見守っていたら、フェルディナントが後ろにいるネーリに手を差し出して来た。

「えっ?」

「早く来い」

「でも……ぼく……、フェリックスはフレディと二人で思いっきり空を飛びたいんじゃないかな?」

 そんな風に言うと、ぺそ、とフェリックスが足を折り曲げて体勢を低くした。

 フェルディナントは半眼になる。

「これは俺が乗る時に一度も見せたことがない仕草なんだ。お前を乗せたがってるんだよ」

「そ、そうなのかな?」

「いいから来い! 夜が明ける!」

 フェルディナントがネーリの手を掴み、鞍の上に引き上げる。

「二度目だから大丈夫だな?」

 フェルディナントの片腕が、ネーリの腰にしっかりと回される。

 しっかり掴まってろよ……、耳元でフェルディナントが静かにそう言った。

 すぐに、ふわ、とフェリックスが浮いた。

 一瞬ネーリの身体がびく、としたがすぐに柔らかく解けていく。抱き寄せる腕に、それをフェルディナントははっきりと感じた。

「……海の方に飛ぶ気だな」

「そういうの、どこで分かるの? 手綱から伝わって来るの?」

「騎竜の手綱は、こっちの命令を一方的に伝えるために使われる。もう少し細かい命令は、騎竜の鐙は可動域が高く作られているから、このあたりの皮膚が竜は柔らかいから、ここに力を入れたりすれば伝えられる」

 フェルディナントは足をかなり高く上げて、竜の首の根本あたりに鐙で触れた。

「今は好きに飛ばせてる。目を見てるんだ。海の方を見てるだろ」

 彼の言葉通り、あるところでフェリックスが斜めに、滑るように方向を変え、王都ヴェネツィアの方へと飛んで行った。


 ゴォン……、


 鐘が鳴り始める。

 街中の鐘の音が、薄紫色に明け始めたヴェネトの空に響き渡る。

「【夏至祭】の終わる鐘の音だよ」

 このまま王都に近づくようなら、フェルディナントはフェリックスを止めるつもりだったが、あるところで、フェリックスは広げたままだった翼を大きく羽ばたかせて、高度を上げた。

 水平線の向こうから、光の気配がしてくる。

 普段は閉じられていた王都ヴェネツィアの六つの大水門が、鐘の音と共に開扉されて、水路から大量の水が流れてきた。

 その水と共に、色とりどりの花と花びらが、海へと流れ出す。

「……わぁ……!」

 ネーリは思わず声を出していた。

 まるでリボンの帯のように見えた水路の花が、一斉に大海に流れ出て、ゆっくりと四方へと広がって行く。そうしていることは知っていたが、空からそれを見るなんて初めてだった。

 水の都を中央に、そこから本当に、花びらがゆっくりと開いて行くように見えた。

 ヴェネトに住んで、いつも見ていた光景が、全く違う景色に見える。

 亡くなった偉大な王の功績を讃えるために、民が始めた、花の祭事。

 祈りが大海に、広がって行く……。

 最初の朝陽が射し込んだ。

 フェリックスが人目に付くのを避けるように、自然とヴェネツィアから離れていく。

 朝日に照らされて、水に浮かぶ花の色が、一層鮮やかに浮かび上がる。

 やがて水を吸い込むと、あの花も、海の底に消えていく。

 深い海の底に花の雨が降るのだ。

 ネーリは朝日に照らされた丘の上のヴェネト王宮を見た。

 あそこにいる人たちも、この同じ景色を見ているだろうか?

 これだけ多くのヴェネトの民が、いることを。

 この花の多さに、忘れないで欲しいと思う。

 ヴェネトは王家のものじゃない。

 水の都に住まう、民のものだ。

 彼らが、何も無い大海にこの巨大な水の都を作り、その統治者としての、王を求めた。

 ヴェネトの王は、民の意志によって、黄金の玉座についたのだ。

 ネーリは、そう聞いた。


『だからヴェネトの王は誰よりも強くなり、我が民たちを外界の攻撃からも、嵐からも、守ってやらなければならないんだよ』



【ジィナイース】



 遠い声が呼ぶ。

『大海に孤独に浮かぶ、この、宝石のように美しい都……』

 頬の涙に、フェルディナントの唇が触れた。

 慌てて、ネーリは手の平で零れた涙を拭い、誤魔化す。

「ごめん。初めて見る景色で……すごく綺麗で、感動して……」

 感動した涙か、悲しい涙かくらい、見分けはつく。ネーリには、水の都にまつわる何かがあるのだ。美しい絵を描く、感受性の強い彼は、ヴェネツィアの街を深く愛している。

その街を見つめる時の眼差しは優しいし、愛しげだ。そしてヴェネツィアを離れなければならないことを思うだけで、彼のヘリオドールの瞳は悲しみの涙を流す。

 ……何かがあるのだ。まだそれは分からないけど、

 彼が離れなければならないと思う何かが。

 涙を誤魔化そうとしたネーリの両手を、手綱を放したフェルディナントの手が後ろから押さえ込み、重ねた手の甲を強く握り締めた。

 覗き込むようにして、唇を重ねる。

「……ネーリ」

 唇が触れる距離で、フェルディナントが呼んだ。

「俺は、【シビュラの塔】に神聖ローマ帝国を潰させないために、ここに来た。自分のいない所で、一瞬で、帰る場所が失われるのは絶対に嫌だ。本当はいつも、怖いんだ」

 ネーリはフェルディナントを見上げる。星の色に輝く天青石の瞳は、今は暁色に溶けて見えた。

 初めて見る色だ。

 初めて見る、景色の中だから。

 その初めての色で、美しく輝く。

 フェルディナントは誠実にネーリを見つめて来る。

 目を反らせなくなった。強く、射すくめられる。

 優しい色で。

「だから、お前が、故郷を失ったり離れたりする辛さや悲しさは、ちゃんと理解してる。だから……いつか俺が国に戻る時、一緒に神聖ローマ帝国に来てくれないか? 美しいアトリエと、宮廷画家として永遠に、お前の絵が飾られて守られるように……それを贈ることを約束する。そして、お前が望むならすぐにこうやって、飛んでヴェネトに連れて来る。

決してお前からこの場所を取り上げたりしない。ヴェネツィアを永遠に愛していていいから――俺と一緒に来てほしい」

 だめかな……、そう語り掛けるように額を寄せると、数秒後、フェルディナントの唇に触れた。

 柔らかいネーリの唇……鼻先に視線が交じり合う。

 次の瞬間、フェルディナントの手が伸びて、ネーリの身体を引き上げるようにして、鞍の上で自分の方を向かせた。飛行中の上空で、命綱も何も無いのだから、普通ならばネーリは悲鳴を上げただろうが、彼はすぐにフェルディナントの胸に飛び込んで来てくれた。

 少しも、この場所が怖くないみたいだ。

「ネーリ」

 フェルディナントはネーリの身体に両腕を深く回すと、抱き寄せた。

 唇を躊躇いなく奪いに行く。

 約束なんかしてないのに、フェルディナントが絡めに行った舌に、ネーリも応えて来る。

「好きだ」

 フェルディナントは唇を探る合間に、呟いた。

 何故か、今この場でネーリを自分のものにしなければ、いつか彼を失うような気がして、フェルディナントがこの時感じたのは、高揚感というよりも、焦燥感だった。

「お前が好きだ」

 懇願するように口にした。

【エルスタル】が滅んだ時、もう二度と、誰も愛せないに違いないと思った。

 失ったものがあまりに大きすぎて、些細な幸せを感じても、圧倒的な失望感が、闇の底のようにそれを飲み込んで行って、無いものにしてしまったから。

(だからもう誰かに分け与える心なんてない)

 そう信じ込んでいたフェルディナントが、初めて自覚した、燃えるような欲情。

 身を包み込む。

 ネーリを抱いて、手の中にあると思い込んで、愛されていると感じたかった。


 ――こんなに狂おしいほど自分を夢中にさせてくれる人には、

 きっともう二度と会えない。


 








【終】

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