第2話
聖堂から出ると、ネーリが台車を転がしながらやって来る。彼は教会の方へ行っていた。
夏至祭最終日の、夜のミサがあったからだ。
「すんごい荷物やなどうしたん?」
「イアンさん! もう体調は平気ですか?」
ネーリが駆けて来る。彼は画材道具を入れた大きなカバンを背負っていた。
「おおきに。たっぷり寝てもうすっかり元気になってもうたわ。さっき美味しいパンとスープも食べたで」
ネーリはそれを聞いて安心したようだ。
「それ……画材道具か?」
「うん。帰りに干潟のアトリエにちょっと寄って来たの。完成した絵とか、無造作に置いちゃってるから、少し持って来た。僕が借りた部屋に置いてもいい?」
「いいけど……一枚一枚あいつらから回収しないとな」
すでに台車に積んで来た絵を、騎士たちが取り出して回しながら、色のある絵の美しさに驚きながら見ていた。
「ネーリ。お前さえ良ければ、あの絵、騎士館の広間に飾らせてくれないか? あいつらも喜ぶ」
画家の青年は目を輝かせて、頷く。
「嬉しい」
「はは……ええなあ。ネーリ、うちも君の絵飾りたいわ。ちゃんと買うから俺にも一枚くれへんか?」
「ネーリの今ある絵は全部俺が買い上げるつもりなんだ。予約してある。悪いな」
いいよー、と言おうとしたネーリより早く、フェルディナントが断った。
「そうなん? いやそれにしても一枚くらいくれや。友達やんか」
「友情は今関係ない。これは俺の絵であるけれど、いずれ国に持ち帰って皇帝陛下にお見せしようと思ってる。だからそういう意味では皇帝陛下の絵でもある。勝手に譲ることは出来ない」
「フェルディナントおまえいつからそんな強欲になったんや」
「強欲じゃない。予約だ。俺が、ネーリの納得する値段で全て買うと一度約束したんだ。それをいくらお前相手にも反故にするのは、ネーリとの約束も破ることになるだろ。竜騎兵は約束を破ったりしない」
ぷい、と珍しくフェルディナントが子供のように横を向いた。
「ネーリはそんなのええのになぁって顔しとるの分からんか?」
イアンが半眼になってそう言ったが、フェルディナントはそっぽを向いている。
「あかん……。なんや知らんけど殻に閉じこもりおったわ。まぁええわ! ほんなら、ネーリ、今度うちの駐屯地に来て、スケッチ描いてくれへんか? それなら未来の絵やから、文句ないやろフェルディナント。ええか。ほんまにええ絵っちゅうのは、競り合いに出して買い落とすんや。この先ぜーんぶ俺のもの、なんてやるのはルール違反なんやで」
「そのくらい分かってる」
だから宮廷画家がいるのだ。王の画家になれば、競合していちいち作品を売る必要がなくなる。全ての絵が、王宮や、王家の庇護のある教会など、然るべき場所に飾られ、きちんと管理を受けて行くことになる。
「……だからお前を神聖ローマ帝国に連れて行って宮廷画家にしたいのに」
「スペイン王宮に来たらええ。うちに来たって宮廷画家にしたる。生憎うちのオヤジは絵の上下も分からんような奴やけど、オカンがすんごい目利きや。母親似の兄弟の中は芸術好きの収集家もたくさんおるから、うちに来たら王家がこぞってチヤホヤしてくれんで! ネーリ。王宮や教会、海の景色も、スペインは世界一や。田園風景かて、美しい。君を退屈はさせへんで」
「神聖ローマ帝国にだって美しい城や湖がある。海のように広い、大河もあるぞ。皇帝陛下はご夫婦揃ってそれは芸術を愛される方で、必ずお前を大切にしてくださる。そ、それに……竜騎兵団だってもうとっくにお前のファンだ。お前が宮廷画家として来てくれたらみんなでチヤホヤするぞ」
聞いていた竜騎兵団の皆さんが、スペインにネーリを取られる! と危機感を覚えたのか、フェルディナントがチヤホヤするぞ、と言った途端、一斉に騎士たちが歓声を上げて拍手した。釣られたのか、向こうで竜の嘶く声もする。
「なんやねんお前ら……どんだけ仲いいねん」
イアンが口許を引きつらせたが、不意に吹き出した。
「なんやこのままだとスペインと神聖ローマ帝国が戦争になりそうやから、今日のところは俺が引き下がったるわ。けど、ネーリ、スケッチ描きに来てくれるくらい、ええやろ?
綺麗な船うちにはあんで~~~どこぞのフランスみたいにデカけりゃいいみたいな下品な大砲やない。スペイン海軍の大砲は機能美や。全てにおいてバランスが取れてて、美しいよって。君に描いて欲しいねん」
「船かぁ……。ヴェネトには海軍がないから、大きな船あんまり描いたこと無いの」
ネーリの瞳が輝いていて、うっ……、とフェルディナントは気圧された。
「それは……、お前が描きたいと思うものを……描くなと言う気は俺はないけど……。でもスペインに竜はいないぞ、ネーリ。フランスにも。神聖ローマ帝国にしかいないぞ。船は他の国だって持ってるが、竜はうちだけだぞ。一応、言っておく……一応だけど……」
フェルディナントがそう言うと、ひょこ、彼の後ろから、フェリックスが首を伸ばして顔を出した。人の会話を聞いてたみたいなタイミングで顔を出したのが可愛くて、ネーリが笑った。
「フレディ、今度スペインの船描きに行ってくるね。でも、竜の絵もまだまだいっぱい描きたい。いいよね?」
フェリックスの首にしがみついて、ネーリが言った。フェルディナントは小さく息をつき、微笑んだ。こいつには本当に、毒気を抜かれる。
「ああ。いいよ」
やったー、と画材道具を置きに、駆けて行った。
「はは……ほんまにネーリはええ子やな。それに度胸もあるわぁ。今、竜の顔にしがみついとったで。怖くないんやろか?」
「怖くないみたいだな。一番最初からあんなことをしてたよ。他の人間が初対面で騎竜にあんなことをしたら、絶対に噛みつかれる」
「なんか……不思議な子やな。そこにおるだけで、その場の空気が変わっていく……」
二階の自分の部屋の窓から顔を覗かせて、窓の下にお行儀よく座って見上げているフェリックスに手を振っているネーリを見て、イアンが感心したように、そう言った。
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