本流

 太陽が沈む頃合から、繁華街は本格的に動き出す。目抜き通りは無論のこと、裏路地の小さな酒場もワイワイガヤガヤと喧々囂々けんけんごうごうたる雰囲気に包まれる。

 大小様々なビルや店舗が所狭しと密集する大都会に、異彩を放つ建物がある。赤褐色せきかっしょく煉瓦レンガで造られている上に、天へそびえ立つ煙突が特徴的な物件だ。かつ工場こうばだったとも銭湯だったとも言われているが、正確なところは不明である。古くから住んでいる人達は鬼籍に入り、その建物へ誰かが入っていくのを目撃した人が居ない事も、謎を深める一因となっていた。

 昼と異なる殷賑いんしんな雰囲気に包まれる中、不可思議な建物にめられた窓の内に明かりがともる。ただ、四方に林立する大廈高楼たいかこうろうの壁にさえぎられ、その変化に気付く者は皆無だ。

 オイル式のハリケーンランタンが吊るされた室内は優に二十畳を超える巨大な空間が広がっていた。中央には煉瓦製の大きなかまどが設けられ、人の背丈を遥かに上回る巨大な大甕おおがめが据えられている。コウは竈の中にまきを組み、焚き付け用の紙や流木を放り込んでいく。

 粛々と準備が進められていると、コツコツと革靴の歩く音が近付いてくる。その足音を耳にしたコウは一旦顔を上げる。

 姿を見せたのは、あい色のジャケットに空色のジーンズ・白のカッターシャツ・紅白のハンチング帽という恰好の青年。ソレイユの金髪に翡翠ひすい色の瞳、透き通る胡粉ごふん色の肌に痩身長躯そうしんちょうくの体型も合わさり、まるで欧米系のモデルみたいだ。

「待ってたよ、“フェリス”」

 にこやかな笑みを浮かべ、声を掛けるコウ。“フェリス”と呼ばれた青年は手に持つ栗色のボストンバックに脱いだ帽子を片付けながら応える。

「遅くなりまして申し訳ありません」

「なぁに、構わんよ。お前さんみたいな伊達男が歩いていたら男女問わず声を掛けたくなるさ」

 フェリスからの謝罪にコウは鷹揚に返す。眉目秀麗びもくしゅうれいな外見に心を鷲掴みされた乙女は言わずもがな、そうした客層をターゲットにしている商売人によるスカウトも寄って来る。人を惹き付ける魅力がある分だけ苦労も相応にある事をコウは理解していた。

「まず、何から始めればいいですか?」

「取り敢えず、その洒落しゃれた服装から着替えてもらおうかね」

 のんびりとした口調で促されたフェリスは、壁に付けられたフックのハンガーにジャケットを掛け、代わりに黒のワークエプロンに袖を通す。コウの方も黒の割烹着姿である。

 作業着になった事を確かめたコウは、早速やってもらいたい事をお願いする。。

「じゃあ、バケツの液体を大甕へ入れてもらおうかしら」

 壁沿いには、七割から九割がたを中身を占めるバケツがズラリと並んでいる。飲み残しや煙草の灰など不純物が混じっている所為せいで、どす黒い色をしていた。

 指示を受けたフェリスは、バケツの取っ手を握り歩き出す。水量がある為にかなり重たく、運ぶ際の揺れでこぼれそうになる。そのバケツを持ちながら大甕と同じ高さに組まれた煉瓦台の階段を上っていくのはなかなかな重労働だ。フェリスが順々と大甕へ液体をそそぐ中、コウは竈の入口で火をおこそうとしていた。マッチをったコウはねじった新聞紙に火を点け、薪の下へ放り込む。

 新聞紙から焚き付け用の可燃物へ火が移り、次第に流木や木の破材へ転じ、勢いの増した炎は薪を焦がしていく。パチパチと火がぜる音を聞きながら、コウは太い薪を竈の中へ投じる。

 メラメラと燃え上がる炎が大甕の底を舐めるようになると、熱せられた液体の水面みなもにチャコールグレーの泡がポコポコと沸き始める。壁際と煉瓦台の往復をフェリスは文句一つ言わず延々繰り返し、最後のバケツの中身を注ぎ終えると大甕の半分くらいの水位になった。

「ありがとさん。少し休んでてちょうだい」

 感謝を述べたコウは、入れ替わりで台に上がる。小脇に抱えた壺から白い粉末を手ですくい、大甕の中へ振り掛ける。すると大甕の液体は豆打ずんだを思い起こされる鮮やかな緑色へ変わった。そして壁に立て掛けてあった2メートルはあるであろう長い木のヘラを手に取り、大甕の中を底の方からゆっくりと掻き混ぜ始める。撹拌かくはんされた液体は段々ととろみが付いてきた。

「何回見ても壮観だね。まるでカルドロンみたいだ」

 いつの間にか蓋のいた瓶のオレンジジュースを片手に台の上に昇ってきたフェリスが、大甕の中をのぞきながら呟く。Couldronカルドロン、日本語訳すれば“大釜”。ただ、魔女が薬などを精製する際に用いる“魔女の大釜”の意味も併せ持つ。

「“まるで”じゃないさ」

 混ぜる手を止めずサラリと返すコウ。それも束の間、緑色の液体は粘度が増してドロッとしてきたのを目にしたコウはフェリスへ告げる。

「さぁ、ここからが本番だよ! 箱を持ってきておくれ!」

 気合の入った声で命令されたフェリスは「了解」と短く答えると、ジュースを一気にあおり飲み干し、台の下へ勢いよくジャンプする。空き瓶をそこら辺に置き、手近にあった箱を抱えて階段を急いで駆け上がって行く。木箱には発泡スチロールやプラスチック・アルミ缶等々が山積みされていたが、フェリスは躊躇せず逆様さかさまにして大甕へ落とす。直後、投じられたゴミは強酸の海にかったが如くみるみる溶けていく。

 コウは木ベラで手際よくゴミが液体に浸かるように調整する傍ら、フェリスは木箱を運んで来ては大甕の中へ入れていく。大甕の中の液体は固形物を呑み込みながら徐々に水位を上げる。そして、色も緑から再び黒へ変わりつつあった。

 ひたいたまのような汗を浮かべながら混ぜ続けるコウの姿は、さながら熟練の職人みたいである。慌ただしくなってからおよそ三十分、ようやく最後の一箱がからになった。

「ご苦労さん。ありがとね」

 ねぎらいの言葉をコウから掛けられたフェリスは、体力を使い果たした様子でペタリと床に座り込んだ。時間が求められる俊敏さと重量物を運ぶ膂力りょりょく、その両方を維持する持久力が求められ、肉体的な疲弊が相当なものであることは容易に想像がつく。

 バッグの中からジュースの瓶を取り出したフェリスは、コインで器用に蓋を開けるなりラッパ飲みする。一気に飲み終えてプハァと満足そうに息を吐いたフェリスは問い掛ける。

「休まないの?

 異なる名前で呼ばれたコウは作業を続けながら答える。

「アタシゃもうちょっとしてからだね。最後の仕上げが残ってる」

 大甕の中をグルグルと掻き混ぜて固体の感触が無いのを確かめたコウは、台の上から降りて木箆を元あった位置に戻して竈の前へ移動する。太い薪を数本べられた炎は大きさを保ちながら大甕の底を焦がし、灼熱の炎で暖められ沸点を超えた液体から発生する黒い蒸気が天井の穴へ吸い込まれていく。

 順調に蒸気が天へ昇っていく様を眺めるコウへ、知らぬ内に隣へ移動してきたフェリスが声を掛ける。

「コウの事を“シエ”と呼ぶ人も居るけど、僕は“ルネ”の方が合ってるし好きだな」

 何気ない風に言ったフェリスに、コウは「そうかい」と興味薄そうに返す。

「まぁ、魔女と呼ばれるよりかは気分がいね」

 フェリスが先程触れた“シエ”とは、フランス語で『魔法使い・魔女』を意味する“sorcièreソルシエール”の略だ。対する“Renéeルネ”はフランス語圏で女性名にも用いられるが、『生まれ変わる・再生』の意味もある。どちらが好印象かは、言わずもがなである。

 ルネが本名ながら、外国人の苗字と容姿ようし乖離かいりがある為にコウの仮初かりそめ名を用いている。発音の響きから“幸”や“光”などポジティブな漢字を連想しやすいことから、当人も気に入って名乗っていた。

「その点、アンタは羨ましいよ。見た目とピッタリ合ってるし、何よりミーミングがとても縁起が良い」

 世間へ順応する必要に迫られ仮初名を使うコウは、羨望せんぼうを含んだ声で投げ掛ける。

 スペイン語圏で人名にも使われる“Felizフェリス”は、『幸せ・楽しい』という意味も併せ持つ。各地を旅するフェリスは訪れた先で関わった人を幸せに導いてきた、正に“歩く幸運”である。洋風に言えば“ハッピーシンボル”だが、フェリス自身はそれをひけらかす気は皆無だった。それがまた株を上げる要素の一つになっているのだが。

「話は変わるけど、最近煙の量が多くない? あと、色も濃くなってる気がする」

 立ち昇る蒸気を眺めながら訊ねるフェリス。その質問に「あぁ」と肯定したコウが続ける。

「こっちの世界の住人は、昔と比べてゆとりが乏しくなっている。その影響がモロに出てるね」

 コウが明け方にゴミを拾い集めているのは街を綺麗にするのが目的ではない。ゴミに付着する“けがれ”を回収しているのだ。

 そもそも人間は感情を持つ生き物である。嬉しい・楽しい等の“陽”な気と悲しい・辛い・苦しい等の“いん”な気の二つに分けられるが、そうした感情は発露はつろされる度に自然界へ放出されている事を人間達は知らない。明るい陽の気は空気より軽いので空へ浮かんでいくのに対し、暗い陰の気は空気より重たいので地表に滞留する。もし陰の気である“穢れ”を放置していた場合、は負を招き結集し大きくなる性質を持っている事から、戦争や通り魔など惨劇を誘発する恐れがあるのだ。そうした“穢れ”は地面に置かれる物体に付いたり空白に入ったりするので、コウが収集しているのであった。

 今行われているのは、“穢れ”を浄化する作業だ。“穢れ”をまとった物体を溶かした上で清め、大気へ放出する。上空に浮遊する“はれ”の量を見極め、バランス調整をするのがコウ本来の仕事である。

「少し昔までは焚き上げの浄化も一月に一回で済んだけど、今じゃ一週間に一回は必ずやってる感じかのぅ。頻度は確実に増えてる」

 ずっと同じ街に居続けるからこそ、コウは“穢れ”の量が年々増加しているのを肌で感じていた。ゴミ自体は減っていてもギスギスとした世相と比例するように、液体中の含有量や物体の付着量・堆積量は右肩上がりに多くなっていた。

 さびしそうにこぼしたコウへ、ふと気になったフェリスが問い掛ける。

「その“少し”って、どのくらい?」

「さぁて。大体三十年くらいかね」

「それ、人間の感覚だと“かなり”だよ」

 ケラケラと笑うフェリス。歳月の感覚が麻痺するのは人ならざる者達界隈かいわいあるあるだが、大切な事だ。こうした些細な齟齬そごの積み重ねで配置転換を命じられたケースも珍しくない。

「あんまり年寄りをいじめないでおくれ」

「何を言ってるんだい。僕より大分だいぶ年下でしょ」

 軽く抗議するコウにサラリと返すフェリス。一見すれば祖母と孫のように映る二人だが、フェリスは千年を超える歳月を生きてきた一方で、コウは数百年程度。ビジュアルが不変であるが故に実年齢と大きなギャップが生じるのもよくある話だ。

 揶揄からかっていたフェリスだったが、ふと真面目な顔に戻る。

「……ラクに頼まれて手伝いに来たけれど、彼も現状を危惧してた。『現世は未曾有みぞうの規模で“穢れ”に満ちている』って」

「……だろうねぇ。幸せを引き寄せるお前さんが遣わされたのもラクなりの配慮だと思ってたよ」

 黒い蒸気を見つめながら言葉を交わす二人。コウの他にも存在する陰陽のバランスを整える役目の人達は、何れもてんやわんやだと聞いている。加速度的に膨れ上がる“穢れ”に浄化スピードが追い付かず、均衡が崩れる事を何より恐れていた。

「何とか好転させたいと一番考えているのは “Butlerバトラー”――いや、“Herrsherヘルシャー”であり“Verwalterフェアヴァルター”のラクで間違いない。多忙を極める身にこれ以上仕事が増えたらパンクするのもあるけど、この世に生きとし生ける者達の幸せを心から願っているからね」

 話題の人物をイメージしながら深刻な表情で語るフェリス。“Butler”、英語から訳した『執事』にピッタリな恰好と雰囲気のラクは、現世と死後の世界を繋ぐ中間の領域で“Herrsher(ドイツ語で『支配者』)”または“Verwalter(ドイツ語で『管理者』)”の任に就いている。フェリスもコウも直接の関わりは薄いが、現世の人間や生物が不幸な結末を迎える事だけは是が非でも避けたい想いで一致していた。

 しんみりとした雰囲気が漂う中、大甕から上騰じょうとうしていく黒い蒸気を並んで眺めていたフェリスは残っていたジュースを飲み干すと不意に告げた。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

 あとは煮詰めるだけで、人手の要る作業は終わっている。着替えて荷物を持ったフェリスに、コウは「足元に気を付けてね」と優しい声を投げ掛けた。それに対しフェリスは手をヒラヒラさせ了解のポーズを示し、無言で立ち去って行った。

 一人残されたコウは、窓の方へ歩み寄る。ジッと外を見つめていると、小さな雨粒がポツポツと降ってきた。

 浄化された蒸気は天に達すると雲になり、やがて雨となり地上へ戻る。陰の気をはらわれた純粋な水として、大地を潤し川や海の一部となり、再び生物の元へ還流される。そうしたサイクルが人知れぬ内に長年繰り返され、現在に至る。真夜中に作業するのは、黒煙が闇に紛れて人間に勘付かれる可能性を低くする為だ。

 重労働でき使われる上に帰りは必ず雨に遭うと分かりながら、フェリスは嫌な顔もせず駆け付けてくれる。本当にありがたい存在だとコウは頭の下がる思いだった。

 暫く闇空やみぞら見遣みやっていたコウは、大甕からチリチリという音が発せられるのを耳にし、窓際から離れる。台の上に移動したコウが大甕の中を覘けば、たっぷり入っていた液体は底の方が見える程に減っていた。余熱で充分と判断したコウは竈の前へ行き、消火の準備を始める。燃えている薪を火鋏で掴むとステンレス製の容器に放り込み、蓋をし密閉する。このまま放置しておけば酸素を失った炎は鎮火し、次回へ使い回せる。片や、炭やすすはまだ高温なので冷めるのを待つ。

 そうこうしている間に、大甕から立ち昇る蒸気の色が黒から白へ変わっていた。コウは掻き混ぜるのに使用した木箆と壺を持ち、台へ上る。

 大甕の内壁や底は白い物体で覆われている。それを木箆でこそげ取り、すくった固形物を壺へ入れていく。かたまりになっている物も一部あるが、基本的には粉末状だ。

 この固形物、正体は塩である。但し、現世の塩と異なるのは“穢れ”を含んだ物に触れると強烈な酸性に変化し、清浄が済むと元に戻る性質を有する。遥か昔、海水を濃縮し煮出す事で作られていた揚浜式製塩と原理は一緒だ。

 大方の塩を回収し終えたコウは、道具を持ち段を下りる。脇に抱える壺は内部の塩がまだ熱を持っている所為せいほのかに温かい。

 使っていた道具を元の位置に戻したり竈の中を掃除していたら、暁闇ぎょうあんの頃合を迎えていた。コウは休む間もなく“穢れ”回収の支度に取り掛かる。

 延々と繰り返される浄化の日々を、コウは苦と感じていなかった。むしろ、蔭ながら世界に貢献する仕事に誇りを抱いていた。それに、ゴミを片付け綺麗になった光景を目にする度に達成感と清々しさを覚えるので、やりがいがある。

「さぁて、今日もいっちょ世界を掃除しようかね」

 気合を入れたコウは清掃道具とれ物を積んだリヤカーを牽き、外へ向かう。習慣化された一日が、また始まるのだ。


 真夜中に煙突から黒煙が立ち昇る家を見つけたら、そこはコウの棲家すみかかも知れません――。


(了)

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穢祓清雨 -穢レ祓イ清ム雨- 佐倉伸哉 @fourrami

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