千石町の黒猫

 一月七日、関東では松の内の最終日。今日は仕事始めである。といっても、別のバイト先では元日から働いていたので、あくまで日立のバイト先では、の話だが。最近は、出勤前に散歩をするのを習慣にしている。今日は多賀駅前の大通りを少し行って左手へ。千石町の辺りを歩いた。



 大通りを歩くというよりは、こまごまとした路地を見たい気分だったので、大通りから逸れ、狭い道を選んで歩いていく。一月とは思えないほどの陽気であったので、思わず足取りも軽くなる。つい昨日は雪でも降りだしそうな曇天で、街全体が灰色に沈み、いよいよ冬も深まってきたな、なんて思っていたというのに。昨日の多賀と今日の多賀はまるで違う街である。景色の彩度がまるっきり違う。一月にしては青すぎる空を映した水たまりが、昼下がりの光の下できらめいている。



 食堂や個人経営の飲み屋が立ち並ぶ通りの奥に、壁の落書きが目立つ資材置き場がある。夜などは一人でその脇を通ることは避けたいような場所であるが、この日は大変な陽気のために、そんな雰囲気も打ち消されていた。周りでは、まだしめ飾りを出している店や家も多い。門松やしめ飾りをこしらえ、「迎春」などと書いた紙を掲げて、新たな年の到来を喜ぶ。こまごまとした日々の生活の中に横たわる、大きな文化の流れを感じられるこの時期が、私は結構好きだ。とりわけ、やっているんだかやっていないんだか分からない店や、一見空き家のように見える家にしめ飾りが出ているのを見つけると、心が躍るのだ。



 細い道を選びつつそぞろ歩いていると、見覚えのある通りに出た。熊野神社がある細い通りである。昨年の春、この辺りの桜の名所を巡るためあちこち歩き回っていたときに、熊野神社にも立ち寄ったことがあった。神社は住宅街の一角の小さな高台の上にあり、階段を上った先に鳥居があるので、知らない人であれば見落としてしまうかもしれない。階段の下から見上げると、錆びついた手すり、緑色のフェンス、灰色の鳥居と、その両側に掲げられた提灯が目に入る。やや無機質ながらも心にすとんと落ちてくるような、愛すべき、ありふれた景色である。



 賽銭箱も置いていない小さな神社だが、しめ縄に新しい紅白の紙垂しでが取り付けられているところを見ると、きちんと管理されているようだ。境内には、アラカシかマテバシイであろうか、背の高い常緑樹があり、どんぐりが転がっている。そのうちの一つが芽吹き、萌黄色の柔らかそうな葉をつけていた。フェンスの隙間からは、市西部のなだらかな山並みと、その麓に広がる住宅街を望むことができる。春風に比べれば冷たいが、一月の風にしてはあまりに穏やかで柔らかい風が吹く。頭上の木々の葉が揺れる音が心地よい。少しの間ぼうっと突っ立って山並みを眺めたのち、神社を後にした。



 階段を降りると、正面の空き家の庭にいた黒猫と目が合った。数秒の間座ったままこちらを見ていたが、くるりと背を向けて庭の奥へ走って行ってしまった。黄色っぽい目が印象的で、小柄な体格であった。まだ子猫であろうか。逃げられてしまったことだし、と歩き出そうとして、違和感に気が付き足を止める。背の低いササの茂みの中に、こちらを見つめる黒い影が。あれ、さっきの子は庭の奥のほうに行ってしまったはずでは? 見ていると、さっき走っていった子がまたこちらに歩いてきて、茂みの中に入っていった。黒猫は、二匹いたのだ。昼下がりの光がこぼれる庭で、二匹の黒猫が目を細めてまどろんでいる。仕事始めの日からこんなかわいらしい光景を見られるとは、私は甚だ幸せ者である。



 正月休みからまたいつもの日常へ戻っていく途中の、どこか間延びした空気が街全体を満たしている。今年はいったい何度この街を訪れて、どんな景色に出会って、この「日立の記述」を何話まで書き進めることができるのか、楽しみである。

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日立の記述 厳寒 @tres_froid

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