日立の記述
厳寒
日立駅から日立地区産業支援センターへ
茨城県日立市。海と鉱山と桜の街である。
エッセイとも紀行文ともつかない、タイトルの通り「日立を記述する」こと以上の意味は持たない文章であるが、しまい込んでおいても仕方がないので、ここに書き溜めていくこととする。
クリスマスも目前に迫ったある日。日立地区産業センターに用事があって、私は朝九時ごろに日立駅に着いていた。まだ年も明けていないというのに、通路には市内の桜情報のパネルが設置してある。バスが発車するまで時間があったので、中央口のローソンで昼食を調達すると、海岸口へ。冬の朝の海だ。穏やかに波打つ水面に太陽が溶け出したようであった。白い強烈な光が寝不足の目を刺す。
目を細めつつ海を眺めていると、ふと眼下で何かが動いたような気配。崖の下の地面を二匹の猫が横切るところであった。慌ててスマホを構えたものの、一匹しか写すことができなかった。
バスの時間が近づいたのでバス停へ。休日の朝であったから、乗客も少ない。桜の老樹が立ち並ぶ平和通りをバスはするすると走り抜けて行く。交差点でしばし停車。段差の縁にあるランプが点滅する間隔と、ウインカーのカチカチという音の間隔が同期して、心地よいリズム感を生み出している。私はバイト先のチャット画面を開きつつ、透明な朝の光で満たされた街並みを眺めていた。
バスは、住宅街の坂をケーブルカーよろしくゆっくりと登って行く。カーブを曲がると、墓地のある小高い丘が正面に見えてくる。老人がひとり降り、また別の老人が乗ってくる。「日立は老人しかいない」というのはよく聞くセリフだが、実際日立市は茨城県内でも特に高齢化が激しく、消滅可能性自治体でもある。
拙作に、「秋彼岸花持つ老人バスに乗る」という句があるが、これもバスで日立市内を移動しているときに目にした光景を描いたものである。もはや高齢者の存在自体が、日立を描く上で欠くことのできない要素、あるいはモチーフになっているのではないかと私は思っている。
目線を左に移すと、坂の向こうに海。老夫婦がゆっくりと歩道を歩いている。夫が妻の手を引いていた。
――話は逸れるが、一つ書き残しておきたい話があるのでここで挟むことにする。
まだ残暑厳しい折であったろうか。私は、常陸多賀駅付近のとある喫茶店を訪れた。Googleマップにも一応載ってはいるが、クチコミはなく営業時間も不明。一度夕方に前を通ったときは人気がなかったが、今回はどうか。
入り口は一般住宅の玄関ドアのようであるが、ステンドグラス風の模様がついたガラスが特徴的だ。ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。ドアをそろりと開けて店内に一歩踏み込む。
――電気がついていない。ドア付近には、小さい子どもが遊ぶようなアンパンマンのおもちゃ。テーブル席には雑誌やら新聞やら私物が積まれている。あれ、もしかして今日は店休日だったか。次にどんな行動をとるべきかという思考にとらわれ動きを止めた私の前に現れたのは、七十はとうに超えているであろう、背の低い老夫だった。
店の人らしい老夫が現れたことに安堵を覚えつつも、セミがけたたましく鳴き、焦げそうな日差しが照り付ける外界とは打って変わって、薄暗く、質量のある沈黙で満ちた店内のやや異様な雰囲気に、言いようのない緊張を覚える。確か、今日お店やってますか、というようなことを尋ねたと思うが、裏返った声は老夫の耳に届かなかったようで、聞き返されてしまった。もう一度尋ねると。
「奥さんが亡くなってから、ここは、やめたんだ」
ゆっくりと、空気に皺を刻むように声が発せられる。見開かれたその目に宿っていたものは、風化しかけた悲哀だったか。招かれざる客への呆れだったか。それとも?
単なる好奇心からその場に立っていた私は、返すべき言葉を知らなかった。確か、はあ、そうだったんですね、というような間抜けな返事をした気がする。その後何かを話した気がするが、内容はよく覚えていない。
水くらい飲んでいくか、という申し出を丁重に辞退し、暑いのでお身体にお気をつけて、と告げて店を後にした。その私の言葉は、濁りのない祈りに近いものだった。一旦私が店の扉を閉めれば終わる一瞬の人間関係への、きっと二度と私の世界と交わることはないのであろう、老夫の生きる世界への、祈りの言葉であった。
バスはほぼ定刻通りに目的地に到着した。産業支援センターの敷地にはサザンカが何本も植えてあり、今が盛りと紅色の花をいっぱいにつけていた。朝の陽光を抱き込んだ紅色は、
日立の記述 厳寒 @tres_froid
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