のぞき女-3
睡眠不足が祟って、今日はほとんど講義に集中できなかった。それに加えて今日は久々のアルバイトもあった。
俺のバイト先は駅近くにある「カフェ・オリーブ」という個人経営の喫茶店だ。時給は高くなく、若干人手が足りないためあまりシフトの融通がきかないが、交通費支給なうえ初心者も歓迎していた。一人暮らしの大学生にとってはまあ悪くない条件だった。
そして何より、俺はこの店の雰囲気が好きだった。求人サイトを片っ端から漁って応募したバイトではあったが、落ち着いた空気と常に店内を漂っているコーヒーの香りが心を穏やかにしてくれる。和風モダンな内装と、観葉植物が多く飾られているのはオーナーの趣味らしい。月並みのセンスしかない俺だが、オーナーの感性が抜群なのはよくわかる。
「おはよう。河野くん、もう体大丈夫なの?」
「おはようございます。怪我はもう完治したんで、心配いらないですよ」
「そっかそっか。最近は危ないもんねぇ、治安良くないし。よかったよかった」
出勤するなり、オーナーの
平日ということもあって客の入りは多くなかった。若干暇を持て余して、調理器具の手入れをしたり、店の外の落ち葉を掃いたりして時間をつぶした。店内に戻ると、葉山さんとその知り合いであろう常連客が会話を弾ませていた。BGMのピアノがゆったりとした音色を奏でている。
キッチンの方に入るともう一人のバイトの子が食器を片付けていた。色落ちしたピンク色の髪をヘアアレンジしてまとめている。インフルエンサーのような華やかなメイクといい、個人経営のカフェよりもコーヒーショップのチェーン店の方が似合いそうだ。確か、最近新しくここに入った子だ。俺が事故に遭う少し前に入ってきて、何回か仕事を教えたこともあるはずだが、いかんせん空白の期間が長かったせいで名前だけが思い出せない。
「あ、お疲れ様ですう。えーっと……」
それは彼女も同じだったらしい。間延びした声で挨拶したあと、仕事の手を止めて俺の名前を思い出そうとしている。
「お疲れ様です。河野です、河野。事故ってしばらく休んでたんですけど」
「そーだ、河野さんだ。わたし、新人の
そう言って彼女はまだ新しい名札を見せてくれる。だんだんと思い出してきた。早乙女さんは俺と同い年で、違う大学に通っていたはずだ。見た目にインパクトはあるものの人懐っこい性格で、今日くらい落ち着いた日はお客さんや俺のようなほかのバイトと会話していたりしている。
「災難でしたねえ。どこも折れたりしなかったんすか?」
「頭二針縫いましたけど、そんくらいですね。今は全然元気ですよ」
「うわあ、手術したんすか!痛そお~!それに事故って退院して終わりじゃないですよね?手続きとかいろいろめんどくないすか?」
「そうですね、手間かかることも多くて……」
早乙女さんは会話にグイグイ突っ込んでくる方だが、接しやすい。俺は会話がさほど得意ではないので、彼女のように話題を提供してくれるタイプとは馬が合うのかもしれない。
「あと河野さん、けっこう虚弱そうに見えて復帰早いんすね!」
彼女はにっこりと人当たりのよさそうな笑みを浮かべて言い放った。悪気がないことは嫌でもわかる。思い出した、彼女は裏表がなければ遠慮もないのだ。同い年の女子から虚弱そうと言われて、プライドが傷つかない男はいないだろう。
「……俺ってそんな生気なさそうに見えます?」
「いや、確かに前はそうだったんですけど、今の方が元気そうですね!あ、病院食とかおいしかったですか?」
早乙女さんのノンデリ気味のマシンガントークに押されながら、俺はデジャヴのような違和感を覚えた。
昨日のなおとの言葉を思い出す。前より明るくなった、と。不摂生な一人暮らしの生活より、入院生活の方がむしろ健康的だったのだろうか。
食器の片づけを手伝いながら、グラスにうっすらと反射した自分の顔と目が合う。以前の俺は、いったいどんな風に映っていたんだろうか。今の俺とは何が違ったんだろうか。
久々のバイトではあったが、ミスすることなく仕事を終えた。退勤するときに、葉山さんから「ちょっとしたものだけど、退院祝いにね」と飴玉までもらってしまった。
外に出ると日はすでに暮れている。俺は白い息を吐きながら、いつも通りの帰り道をたどった。
いみごと 花いずみ @iykyk
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