第3話

「けっこん」

 

 思わず間抜けな声が漏れた。いけないいけない、とケレスは頭を振る。


「そんな物好きがいるんですね」

「わたしも驚いた。これを見てみろ、さらに驚く」


 自分で言っておきながらなんだが、否定はしないのか。相変わらず、おじにはユーモアというものが全くない。

 そのヘンリーはといえば、胸ポケットから一枚の便箋を取り出した。ケレスはそれを受け取り、差出人を確認する。


「ジン・エンデ……?」


 聞きなれない名前に、ケレスは首を傾げた。


「誰ですか」

「ペガトの魔術師の一人だそうだ」

「魔術師!?」


 ケレスは叫びに近い声をあげ、驚きのあまり便箋を落としかけた。


「なんでそんな人が」

「分からん」


 ケレスは手にしている便箋をまじまじと見つめた。中身に目を通せば、本当に結婚の申し込みの内容が書かれているではないか。


「王宮での勤めから帰ってきた後、これが届いていてな。内容を読んでさすがに驚いた。オリビアに報告したら、彼女はさらに驚いてその場で腰を抜かし、ぎっくり腰になって今寝込んでいる」

「それは……お気の毒に」


 口ではそう言いながらも、内心はどうでも良いケレスである。


「ちなみに、陛下にもペガト王家より書簡が届いていた。臣下の結婚を認めてほしいと」


 自分の逃げ道を失くすためだな、とケレスは顔を顰める。


「……辞退することは可能でしょうか」

「断れると思うのか。相手はあのペガト。機嫌を損ねれば我が国に害が及ぶかもしれん」

「ということは、これは王命なのですね。嫁げという」

「そうだ」


 思いもよらぬ事態を受け頭は混乱しているが、ヘンリーが何を伝えたいのかは理解した。


「もしわたしが逃げたりしたら、どうなりますか」

「クラウン家はもちろん罰を受けるだろうな。そして、逃げたおまえの首に懸賞金がかかるんじゃないか」

「賞金首になるんですか。……それは、下手人みたいで嫌ですね」


 なんで一つも悪いことしていないのに追われなければいけないのか。ケレスはこんちくしょう、と心中で毒づいた。


(わたしの人生、どこまでついてないのよ)


 元々物心ついた時から、ケレスは一体何のために生まれたのか分からなかった。曲がりなりにも自分を育ててくれているクライン家のために、生きようと思った時期もある。ただ、自分がどれだけ努力して結果を出しても、結局は疎まれるだけだと分かり、ひっそりと息を殺して生きてきた。そして屋敷を追い出され、自分の人生はこれからだと思っていた矢先にこれか……。

 希望を持てばあっけなく散らされる。ケレスは諦めたように、長い溜め息をついた。


「分かりました、言われた通りに嫁ぎます」

「相変わらず物分かりがいいな」

「クラウン家で生き抜いてきた術ですよ」


 ちくりと厭味を言ってやったが、ヘンリーは眉一つ動かさない。物分かりが良い――という言葉は、ケレスに言わせれば、諦めが習慣化されているということだ。

 ただ諦めたとしても、結局は自分で選んだ道。その先で笑うも泣くも、自分次第だ。これからも、今からも。


「ただ、突然抜ければ店に迷惑をかけることになります。逃げないので、せめて猶予を下さい。セディアさんは乳飲み子を抱えているんで、わたしの代わりに働ける従業員が必要です」

「なら、わたしが手配しよう」

「おじさまが?」

 

 怪訝そうにケレスは目を細める。


「迷惑をかけるのだ。それくらいして当然だろう。おまえと同じように良く働く者をこちらで手配する」

「いいんですか」

「構わない。人員の手配が済んだら、おまえは一旦屋敷へ戻れ。おまえに一通りの教養を叩きこんではいるが、身の回りのものが要りようだ。分かったな」

「……はい」


 ヘンリーの的確な指示に反論することなく頷けば、彼は用は済んだとばかりに店を出た。


(おまえと同じように良く働く者、か)


 ヘンリーは昔から口数が少なく、妻であるオリビアとこどもたちがケレスを嫌い、いじめることを一度も咎めることはなかった。けれど、ヘンリー自身がケレスを貶すことも一度もなかった。


(昔からよく分からない人ね、おじさまは)


 ケレスはヘンリーが出て行った扉をぼんやりと見つめていたが、セディアとアルトに伝えるべく、頭を振って二階へと向かった。


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約束の果てで、君を待つ 深海亮 @Koikoi_sarasa

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