イブの夜

渋川伊香保

イブの夜

しんしんと雪が降り積もる。近くの街路樹には電飾が光り、行き交う人々のざわめきが響く。

今はクリスマスイブの夜だそうだ。

しかしその子犬には知る由もない。

ただただ寒さが体に滲みる。脂っこいが美味しそうな匂いのものが、いつもより多く捨てられているので辛うじて腹は膨れた。

フラフラと子犬がこの場所に辿り着いたのは3日ほど前のことである。このあたりには小さな飲食店が多い。烏やネズミ、猫やハクビシンといったライバルも多いが、餌には困らない。たどり着いた当初よりは少し身体もしっかりしてきたようだ。

これからどうするか。

他の場所に行っても今のように餌に不自由しない保証はない。この場所に逗まるか。

そう考え始めた矢先のクリスマスイブである。

「それにしても寒いなぁ」

子犬は呟いた。親や兄弟のことを探すのはとうに諦めている。乳離れしていたのは幸いだった。

空腹を感じたので、いつものように餌を探そう、と歩き始めた時だった。

「やい、お前。いつまでいる気だ」

隻眼の猫が話しかけてきた。大きな顔の大柄な雄の猫だった。

「なんであなたは犬の言葉が話せるのです?」

子犬が尋ねた。種の違う者同士は話ができない。体の構造が違うから発音が異なるし、なにより話す文法も全く違う。だがこの大猫は、子犬にもわかる言葉を話した。

「ふぅん、それがわかるのか。大したもんだな、お前」

大猫は少し面白そうな目で子犬の値踏みを始めた。

「賢い奴は好きだぜ。生き抜く力が持てる。着いて来な」

大猫が歩き始めた。子犬も後を着ける。どのみちこのままだと後の生命も保証はないし、逗まる意味も特にない。なにより、子犬は出会ったばかりのこの大猫が、なぜだか信頼に足るものだと感じていた。

なぜそんなことを感じたのかはわからない。

大猫は店の裏道を通り抜け、塀を歩き、空き地を貫いた。子犬にとっては少し難しい行程だったが、なんとか着いて行った。

やがて、二匹は広場に着いた。周囲の木々にはキラキラとした電飾が施された、眩しさに目眩を起こしかけた。

子犬は、その中心に人間がいることに気が付いた。あの大猫は人間の側にいた。

人間は子犬にとって危険な存在だった。見つかると追い回され、危うく捕まりそうになったこともある。身を捩って暴れ、その時には逃げおおせた。

だが今向き合っている人間には、不思議と危険は感じなかった。それよりも生きているものかどうかすら危うかった。人間が放つ匂いが感じられない。

人間の周りには他にも色々な動物がいた。見たことがある種類も、見たことがない種類もいた。

やがて人間は口を開いた。

「ようこそ、君たち。よく今まで生きてこられたね。今日は特別、プレゼントだ」

そう言ったかと思うと、あたりはさらに眩い光が広がっていった。

気付くと光の中だった。他の動物たちもいる。光の中で、子犬は幻を見た。山の中、知らない犬たちと共に駆けている。互いに鳴きかわし、匂いを嗅ぎ、喧嘩したりジャレたり怒られたりもしている。

こうあるべきだ、と体の底から思いが湧き上がる。僕はこうありたい。

やがて光が収縮した。元の広場の中心だった。電飾も動物たちも人間もかわらずいた。

動物たちは皆呆然としていた。

「君たち、希望を見ただろう。君たちならば可能だろう。今見た希望に向けて行きたまえ」

この人間も自分たちにわかる言葉で話している。子犬だけでなく、ここに集まっている様々な動物たちに向けて。果たして、言葉を話しているのか。そもそも本当に人間なのか。

「今日は私の産まれた日だからね。君たちにささやかなプレゼントだよ。グッドラック。メリークリスマス」


その後、犬は都市を抜けて森へ向かった。あの時見た幻想によく似た風景。山の中の野犬の群れに出会い、仲間入りした。仲間と共に狩りをし、遊び、群れの掟に従う日々。こうあるべきと願った通りに。

今でも森を駆けている。

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イブの夜 渋川伊香保 @tanzakukaita

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